どうぞ手向けの花を | ナノ



「死ぬということは何程恐ろしいのでしょう」
棺に向かい柔く投げた白菊はここ最近街の花屋で売り出した季節外れの物だった。例えばそう、この瞬間に囀る小鳥や靡く風が命を送り出しているというのならば、きっと幸せなのだろう。
「死ぬことは怖いことじゃない、昔の私ならきっとそう思っていました」
「そうだな....」
「それでも今私は悲しい。シン、悲しいんです」

よく出来た部下だった。執務室の王へ直接何かを運んでくるといった事はきっと殆ど無かったといっても可笑しくないがシンドバッドは彼女を覚えていた。できたといっても格段知能が高かったわけではないが、彼のまた部下である政務官が太鼓判を押すほど動きが機敏だった。周りの者より少し小柄、くしゃりと崩れる幼い笑顔が印象的だった彼女は白菊に包まれて静かに眠っている。
「大分回っていたらしんです。それを聞いたのはつい最近でした。女官たちにも言っていなかったそうです」
「一人で抱えていたんだな....」
「人の情報線は凄いということを彼女は知っていました。...いえ、私が教えたことです。その私の忠告を彼女は真面目に受け入れた」
恋人がいたらしい。彼女にお似合いであっただろう街の青年は、恋人の寝顔を目を細めて何も言わず見つめていた。そして彼女の指で輝いていた指輪を一度握り締め、そのまま王へ一礼した。きっと幸福な一生だったと感謝を添えた真意はわからない。いや、それが真意なのだろう。だからこそ苛まれた罪悪感が鉛のように重かった。
「もう半年以上前から発作はよく起きていたそうで、薬包を常日頃胸にしまっていたそうです。女官に言ってしまえばきっとそこから私に、私から貴方へ広がって迷惑をかけると思ったのでしょうね」
「そうか.....うん...そう、辛かっただろうなぁ...」
「たまにね、どこか抜けたことをする子でした。目を通すだけでいい書類なのになぜか自分の押印をしてしまったり」
「それは知らなかったな」
「ええ、まあ、私が修正して直してましたので」
「あれか、なんか黒塗りしたような上に真っ白な跡の」
「それです」
「道理で稀に少し署名欄が小汚い時があった訳だ」
「すみません」

次々と献花される鼻は綺麗な色彩、その中で輝く金色の大花がどれよりも目立っている。
ひまわりが好きだった彼女は、シンドリアに似た熱帯地域で生まれ育ったという。元々はシンドリアに薬草の視察に来ていた、つまりそういう類の人間だった。ジャーファルがそれに気づき自分が拘束したとき、彼女の瞳は何を映していたのだろう。
(生か死か、馬鹿げているのかもしれないその二択が酷く重く幸福なのだと教えてやりたかった)
気づけば受け入れていた。これじゃまるでお前を見つけた時だなと笑えば彼は難しそうな表情をしつつ彼女に官服を繕う準備を始めた。愛されていたのだ、皆から。
「女官の一部では、彼女のそれまでを知っている者が数名おりました。きっと彼女が話したのでしょう。それでも彼女はこんなにも愛されている。ねぇシン、これがあなたの国なのですね」
「そうだな。お前の国でもあるよ」
「....子供が」
「うん...?」

子供が大好きだったみたいで。そう呟く彼の翡翠の瞳は少し歪んでいて、なんていうのだろう。状況的にすごく残酷な事かもしれないが、嬉しかった。人の死を「悔やむ」事ができる子になっていたんだな、よかった。よかったな。
(それでも俺がこの世界を去る時は、笑っていて欲しいと願うのは滑稽だろうか)
「いつか彼の子を産んで、共に暮らす日が来たらいいと話していました。.....私、すごく羨ましかった。此処に居ると仕事で日々が追われています、彼女はそんな中でも自分の歩きたい場所をしっかり踏みしめてた。嬉しかったし、なぜでしょう、羨ましかった」
「お前もそうすればいいじゃないか」
「本気で仰ってます?」
「.....すまん、少しからかった」
「.....シン、私が死ぬときはどうか、このシンドリアの広い海に骨を風と共に靡かせてください」

パチパチと木の割れる音がする。棺に移り行った炎がだんだんと大きくなり、辺は気温を上昇させたまま白煙を空へ伸ばしていく様を、ただただ黙って見ていた。
-----例えばそう、この瞬間に囀る小鳥や靡く風が命を送り出しているというのならば、きっと幸せなのだろう。それでも。
「息を止めるのは怖いな」
「ちょっとやめてくださいよ」
自分の首を自分の両手で少し絞めてみる。酸素を取り込みづらい所為でひゅ、と言葉が掠れるとジャーファルが焦ったような表情でその腕を半ば無理やり剥がしに掛かる。お前腕力あるんだからそんな本気でくるなよ、王様腕折れる。

「死ぬのは怖いな、」
「.......それはシンドバッドのお言葉ですか?それとも「王」のお言葉ですか?」
「.....どちらだと思う?」
「そうですね.....私には見当がつきませんが」
怖いですね、そうぼやいた彼の瞳から流れた一筋の涙に大丈夫さ、冗談だよと声をかけてあげられたならどれだけ幸せか。怖いものなんてないと言えずただ彼の頭を撫でることしかできなかった「国王」は、「シンドバッド」をどう思うのだろう。この葬儀が終われば、きっと普段と変わらずに彼は大量の書簡を持ち運び俺へと受け渡しに来る。王宮内は少し寂しいかもしれないが、それもあさってには消えているのだろう。

「シン、手が冷たいですね」
「ん、どうしてだろうな。此処はこんなにも暑いのに」
「奇遇ですね、私も今手のひらが冷たくて」
どちらからともなく握られたその手は、どこまでつなぎ止める事が出来るのだろう。途方のない事を考えては空へ投げかける。神は、いないのだ。
それでも夜になれば眠くなる、酒が飲みたくなる、宴を開きたくなって、きっと俺は彼に怒鳴られる。それが幸福なのだとすれば、(俺は本当に欲しかったものを手に入れたのかもしれない)
「シン、あそこ見て」
「ん?...シャルルカンとヤムライハか」
「きっとまた何かおかしな事を言って喧嘩をしてるんでしょうね...そろそろ見飽きます」
「ハハハ、うん、そうだなぁ。見飽きてきたな」

(それでも、また明日も見れるのなら良いさ、)

「シン、シン。.....行きましょう」
空に散った二酸化炭素を、今度は思い切り肺に取り込めばどこか冷たく寂しい気もしたが、隣の彼はもう普段の政務官に戻っている。さあ、戻るとしようか。炭になった彼女の灯火を指で摩り、そのまま風で遠く遠くへ飛ばす。

「ゆっくりお眠り」
そうして灯る最後の灯火に願ったのは浅はかな願望か。その想いごと空へ一緒に持って行ってくれるのならそれでいい。
その最期に、彼とこの場所が在るのなら。


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