ハローハローハロー | ナノ


エゴだと笑われるかもしれないが初めて出会ったときにすぐ思ったことは「辛い世界だ」という事だけだった。その時何が起きたのかくらいはすぐに理解できたし、実質あのような急襲は初めてではなかった為そちらは然程何も感じなかった。しかしそれよりも幼い、きっとまともな食事すら与えて貰っていなかっただろう細い体が鋭い刃を握りしめていることが驚愕だった。自分とて小さい頃から迷宮攻略のために技を磨いてきたし、今は様々な理由で幼いものも武器を持つがどうみてもその少年は「それだけのために」仕込まれていた。
かなりの暗殺経験があるらしく狙いどころが大人顔負けの的確さだったが、骨のような腕を捉えてしまうのは簡単だった。案の定両の腕を片手で掴みそのまま床に押さえつけてしまえば激しく藻掻くものの逃げる事は出来ない。形勢逆転といったところだろうか、これからどうするべきかと悩んでいればなんとしてでも死にたいらしい少年は次に舌を噛みちぎろうとする。慌てて片手を離し口を無理やりこじ開けて指を突っ込めば手加減無しにその指ごと噛んでくる。
「痛い痛い、八重歯が当たってる」
「はっはほふひほふへ」
「何言ってるかわかんねーって、こら噛むな」
「・・・さっさと抜けと言った」
「抜いただろ、あーもう、一応武器を握る手なんだぞ、指曲がんないじゃないか」
「知るか」

包帯越しに見える瞳に光はなく、目の前にいる自分を確かに捉えてはいるもののそれは命を狙うものでしかないことが明白だった。しかし逃れることも死ぬことも出来ない状態についにあきらめを感じたらしく、ぐったりそのまま動かなくなってしまった。どうやら衰弱している様で今までの俊敏さは一体どこから訪れていたのかと言いたくなるほどの身軽さだった。こんなか細い命が数え切れぬほどさも無残に転がっている。その転がった塊たちは救われることを待つわけでもなく、はたまた死を待つわけでもなくわからない生き方を探るより手短にある生にしがみつくしかないのだからこの世界は腐っている。
失敗したと認識すればその場で自分の灯火を簡単に抹消してしまおうとするその先なき勇気はとても見習えるものではなく、その模範的行動をした少年を腕で拘束した。しかし驚くのはその華奢な体から出るとは思えない素早さである。力はきっと年相応(もしかしたら衰弱して弱いほうかもしれない)なのだろうが素早さは今まで見た似た部類の者たちの中でも飛びぬけているのは違いない。

シンドバッドを狙う存在はそれこそ老若男女問わず、若い女性ですら仕向けられることがある。女癖は宜しくはないシンドバッドでもさすがに空気や雰囲気でその者が一体どんな目的で自分に接近してきているのかはわかる。はたまた自分より図体のでかい大男に囲まれたこともあるがこちらのほうが素早さは勝りほぼ無傷で逃げたものだ。
これまで数個の迷宮を攻略してきたそれなりの力や素早さ、そんなシンドバッドが驚くほどの俊敏さだった。かなりの訓練を受けてきたのだろう、糸のほつれた中穿きの裾から少しだけ覗くその青白い脚には痛々しい傷が複数ついている。冒険者のシンドバッドだからこそわかるそれは、世界は違えど自分と同じ”生きてきた脚”とでも言うべきだろうか。
「さて、どこからお前と話をしようかな?見た感じ俺よりかなり年が下に見えるが」
「答えるとでも?」
「生意気め、答えなくともいいさ勝手に想像する。そうだな・・・」
「おい、いいからさっさと離せ!!殺さないなら死なせろ!」

偽善者!
最早捨て台詞のようなそれに真面目に耳を傾けるつもりも無いもののそのままにしていると隙をとられて自害されそうな気がして、申し訳ないと思いながらも袖口に隠していた鋭い小刀を細く血管の浮き出ている首元にひたりと当てた。すると先ほどまでの大きな態度と打って変わり今度は顔を真っ青にしながらひっ、とちいさく呻いて黙りこくってしまったその姿を見て笑ってしまった。どうやらそれが勘に触ったらしく暴れる片足で急所を思い切り蹴り上げられて今度はこちらが呻いた。
その表紙に小刀は少し離れた場所に飛んでいってしまい、つかまえていた少年もまもなく体制を整えすぐに離れてしまった。しかし一度シンドバッドを襲いに掛かり反撃されたその足からは赤い血が流れ、激痛が走ったその動きのまま再び床にしゃがみこんでしまった。
いよいよまずいかもしれない、遠目で見ても顔色がだいぶ悪い。殺しに来た側が今そこで息絶えてしまいそうな光景にシンドバッドは冷静尚且つため息を添えて接近する。来るなと叫ぶわ蹴るわ暴れるわの進まぬ攻防に苛立ちを感じ心の中で知らない誰かに謝罪をして手刀を首にかましてやった。ぱったり動かなくなったそれを抱えて場所をあとにする。抱えているのに何も持っていないような軽々しいその体に纏うものはもはや衣類とは言えず、こんな幼子達が一体自分の知らぬ世界でどれほど飢えているのだろうと思い、ジリジリと焦げていくようなその間感覚を少年と共に抱えて歩む。

ジャーファルとの出会いは、それこそ衝撃なものだった。
そして今日2度目の衝撃が訪れる。

::::::::::

「シンが子供を?」
「はい、その、実は早朝にジュダル殿が宮殿に侵入してしまったらしく、王が既に起床していたのでしばしの間相手をすると満足して煌へ戻ると思っていたらしいのですが」
「なんで誰もあいつの侵入に毎回気づかないんだ・・・王は無事なのですね?そしてそこからどうやって子供が生まれてきたのです」
「ええ、それがその、ジュダル殿が魔法かなにかをかけたようで」
「魔法!?」
「と、王が先程私たちに説明をしてきまして、詳しいことは分からずじまいで」
「なにをしているんだあの方は・・・」
「しかしどうやら魔法は王へ掛けられたわけではなく、いわゆる召喚だと思うとのことです」
「危機感くらいもう少し持てないんですかねあの人は」

日差しの強い正午、シンドリアの定例会議の時間が近づきシンドバッドの部屋へ向かうとそこに彼はおらず、普段女官たちが綺麗に整頓しているその中はひどく荒れていた。ベッドのシーツはもつれぐちゃぐちゃで始めそれを目にした時はなんともいえぬため息をついたのだが、どうやら夜伽があったわけではないらしい。壁には鋭いもので傷が付けられた跡があり、いよいよ事の重大さを感じ始めたところに文官の一人が名前を呼んだ。
ここ数日仕事がたまって、ジャーファルやシンドバッドはじめ宮殿の者達がみな忙しなく過ごしていた。それがようやく昨日一段落を迎えたまにはゆっくり睡眠をさせなければと起こしに行かなかったのがどうやら悪かったらしい。女官にも昼までそのままでと命令してしまった自分を若干攻めながらどうしていつも防御魔法を破られるのか、ヤムライハの魔法をもう少し強化させたほうがいいかもしれないとぶつぶつ一人で今後の対策を決めた。
すると目線より少し遠い場所からぎゃんぎゃん何かが吠えたような声がする。不思議に思い文官も連れてその場へ行くと、騒ぎの種の一つになったこの国の王と彼に抱えられて離せと叫んでは暴れている月の色のような髪の毛をした少年がそこにいた。
遠目でもわかる。おかしい。もしかしたら自分が未だ眠りについているのだろうかと頬を叩き、何度か眼をこすれど痛みだけが帰ってきて、今度は愕然とする。見覚えのある存在だと思った、当たり前だ。なぜって、そこにいるのは自分なのだから。
「おお、ジャーファル!」
「なんだよ」
「・・・あー」
「シン、そ、その子は」
「うーん、どう説明したらよいのかわからないんだが簡潔に言えばジュダルが魔法をかけて俺の脳内からイメージを模造してお前をこっちに呼び寄せたって事かな・・・?」
「冗談ですか?」
「お前の目は冗談を見ているのか」
政務官らしからぬ発言をしていることは重々自覚しているもののそれならば他の者は今この恐ろしいとも言える光景をああそうですか魔法ですかと簡単に理解できるというのだろうか。考えるまでもないだろうが、訝しげな瞳で見つめられると自分がおかしいのかと幻覚を起こしてしまう。しかしそのままにしておくわけにも行くまいと脳をぐるぐるめぐる混乱をなんとか隅に弾き再び王の瞳を見据える。横にいる少年は、頭しか見えない。

「あんたは危機感がなさすぎる、それどう見たってあの頃の私でしょう」
「そうだな、先ほども訪れて間もなく刃を向けられて驚いた」
「あの部屋を見た誰しもがあなたの身に何かあったのではと心配をしたのですよ、文官一人に言うのではなくそういうことは王宮内で顔を合わせることの多い人間くらいには伝え置いてくださらないと困ります」
「なにこいつ、さっきから偉そうに」
「ああん?」
「こらこらジャーファル子供をそんな目で見るんじゃないあとああんとか言うな怖い」
「この生意気な感じ本当イラっときますね」
「お前なんだよジャーファル・・・」
「ジャーファル?」
「今度はこっちに説明しなければいけないのか・・・」
シンドバッドが名を呼べば前に立つ両方が返事をする。片方はその仏頂面を崩すことなく、もう片方は真摯な眼差しでこちらを見つめる。シンドバッドにとっては何ら問題のないことなのだがこのままではとても宜しくない。同じ世界に同じ人間が同時に生きているという事はあってはならないし普通あるはずのない自体である。昔のジャーファルがこちらにいるという事は今過去を生きているこの少年はいないのだろう。つまるところあちらの自分がきっと今頃この幼いジャーファルを探して焦っている頃ではないかと見当が付く。そうなるといくら同一人物といえども、いまこの場にこの少年がいてはいけない。何かがきっかけで変わってしまう未来ほど脆く不透明なものはないのだ。

「とりあえずジャー、ちっちゃいジャーファルはヤムライハの魔法見聞が最もだから後ほど聞きに行こう。俺は生憎これから連合会議の主文を作成しなければいけないから部屋に篭る」
「な・・・シン、その間はどうするのですか」
「お前が面倒見てやってくれていると助かる。俺が見ていたいのはやまやまなんだが、お前俺が仕事しないところなんて見せたらきっと悪影響だとか言うだろ」
「なんだか職務放棄する前提に聞こえたのは無視させていただきますね。でも無理ですよ、見てくださいこの威圧ある警戒心」
目を合わせようとしただけでギンと鋭い眼光を寄せてくるそれをみてジャーファルはため息をついた。自分の幼い頃そのままであり、こんなにまで毒を持った蛇同様の顔をしていたのかとうなだれると同時に、シンドバッドが語りかけると少し雰囲気が緩むようなその表情をみてつい息を吐く。みたところ出会ってある程度の期間が経ったのは理解できるが、知らぬ世界に来て様子の変わったシンドバッドを見てしまってはあんな風に暴れてしまうかもしれない。今考えるとなんと恐ろしい習性だが致し方ない、あの頃はそれが当たり前の世界で生きていることが奇跡だったのだから。

「なんだよ」
「いいえ?可愛いなぁと思いまして」
「気持ち悪っ、なにシンみたいなこと言っているんだ」
「おや、あちらの世界のシンはもう君を口説き始めているんだね」
「口説・・・?」
「口車に乗せられてはいけませんよ、あの人はほかの女性にもいつもそうだ」
「確かに」
「ふふ、心当たりでもあるんですね」
さて、とりあえずどうしようかと首をひねらせた。王宮内で知恵をつけさせたいのが本心ではあるが今は正午。つい先程昼を知らせる鐘の音がシンドリア王国に奏でられたばかりで、王宮も休憩や交代などで賑わってしまっている。ほんの数人しか知らないこの事実が一気に広がってしまうのは避けたいとなれば、外に出ることがいいのかもしれない。そう思いジャーファルは幼い自分の細い骨のような腕を引き外門へと連れて行く。
シンドバッドほどではないがやはり中身が一致しているせいだろうか、あんなに警戒していた雰囲気はかなり薄れ、今度はその黒い瞳に自分だけ映している。(こんな子どもらしい瞳も出来ていたのか、知らなかった)
「みたいものはある?」
「わからない、ここに来たことだってわからないんだから」
「そうだなぁ、じゃあシンが勧めてくれる場所を一回りしようか」
「シン、ってやっぱりあの人はシンなの」
「そうだよ。君が共に歩いているシンとはかなり違うかもしれないけれど今は王様」
「・・・ほんとにおうさまになったんだ」
一瞬見せた複雑そうな顔をジャーファルは知っている。ここに飛ばされたというような事実は脳に残っていないものの結局今横にいる幼い少年は自分の記憶の一途であり、つまりはジャーファルが既に経験してきたことをこれから目にしていくのだろう。今の顔は、どうして、そんな顔。
「どうして一人を選んだのって顔」
「気持ち悪い何でわかったんだよ」
「君が私だから」
「・・・・・・じゃー、ふぁる」
しばし黙りこくったあとに発せられた花屋に行きたいという言葉に少し驚いた。このあとの事はわからない。なにせ自分が幼かった頃はシンドリアなどここまで大きいものではなかった。建国はじめの頃でただの陸地だったそこを時間をかけ一生懸命土地としたのはまだ先のことだったため、ああきっと彼は旅路の途中に寄った花屋を思い出しているのかと短楽な考えにたどり着く。
「人がたくさんいる」
「ここに居る方々は皆生まれ育った場所が違うんですよ。人種や性別様々ですがその鮮やかな個性がこのシンドリアを繁栄させているんです」
「・・・本当にあんたは俺なの」
「私も年はとってますけど、君ならわかるんじゃないかな。見た目がそのまま育ってきているから」
「でもそんなに背は高くない」
「これは16歳辺りから成長し始めるから焦らなくていいと思いますよ、なにせあの人が旅の途中途中でナ無作法に食べ物を与えてきていましたからね」
「・・・そういえば昨日も山茸のスープとかいうものを食べさせられた 俺茸好きじゃない」
「ふふ、大人になれば食べられますよ」

味というものに慣れていないだけです、そう笑って言えば不思議そうな顔をしたあとにアンタは綺麗に笑うんだなと遠回りをした嫌味を言われてしまった。嫌味かどうかは自分が言っているのだからすぐ理解できた、外の日差しは先刻より強さを増して少年は首元に手を持ち行き間もなくはっとしてその傷だらけの右手をおろした。出会って3日ほどで彼が勝手に服を買ってきた。そんなボロボロの布は服とは言えないんだぞとなぜか怒られて無理やり湯に入れられたときはその熱さに驚いてシンを蹴飛ばして逃げようとしたのだが結局捕まってしまい一緒に入る羽目になったのは今では笑えてしまう。思い出し笑いをしているとその事実を既に行われたようで湯浴みの話しを自ら持ちかけてきた。花屋にたどり着けば茶色の髪の毛を片方に束ね肩にかけた齢20あたりの女性がまるで花が開いたかのような笑顔でこちらを迎えてくる。それに一瞬びくりとした幼い自分はやはり子供で、ああ、子供だったのだと心のどこかが救われる気がした。
「ジャーファル様、今日はシン様はいらっしゃらないのですね」
「あの人は仕事です、いい加減動いてくれないと大事なものも片付かないんですから」
「ふふ、そういえばこの前うちに来て花を一束欲しいと仰っておりました。どちらの女性にと聞けば愛しい政務官様にねなどと言っておりましたよ」
「あの花か・・・!ああもうあの人はいつもいつもどうやったらそんな言葉が浮かぶんだ・・・」
「・・・あら、可愛い子供さんですね。どこかジャーファル様に似ている気もしますわ」
「ああ、今日一日女官の子供を預かっているんです!似てるでしょう」
ええ、黒い瞳がとてもそっくりで。そう言われて二人で唖然としてしまった。この頃の自分が今の自分とそっくりなのは大雑把な外貌だけだと思っていたのだがどうやら違うらしい。まるで息をしていないものの瞳だと言われていたそれは確かに光を宿し、今目の前に居る女性をしっかり映し込んでいる。白黒の世界に時折飛び散る赤という三色が自分の知っている色彩だったものが今輝きを持ち世界を見つめている。(血色は良いとは決して言えないが自分の知る限り大分健康体に近づき始めている。野菜を食べろと言われた、そこらに生えている雑草たちでいいと言った私を彼はどんな風に思ったのだろうか)

花を一束購入した。紫色した花弁のまだ咲ききらない様々な種そればかりを集めたそれに、派手ではない包装を施して貰い店を後にする。コレが欲しいアレが欲しいといった欲はこの頃存在していなかったはずなのだがあまりにその色の花ばかり見つめるので懐を開ければ顔を真っ赤にして良い要らない、ただ綺麗な色だお思っていただけだ、そう意地を張る。綺麗な色だと思ったのだ(彼の紫が、彼の色が)

「それで、湯はどうだったの?」
「熱かった。俺が嫌だって言ってるのに、水でいいって言ってるのに聴かないんだ。水なんか風邪をひくし入らないと体調が良くならないって」
「だって発疹出てたでしょう?出会ったあたりは。シンは心配してくれていたんですね」
「変なの、あんたもあいつも」
「自分に変って言われてもねえ」
「・・・この前あいつ女に叩かれてた」
「・・・それは・・・昔はよくあったからどの女性のことかちょっとわからないな」
「俺を連れて間もなく宿泊した街で出会ったらしいけど 女は泣いてた」

女性のことは茶飯事だからこれからも冷静に対処したらいいよと言えばあんたはそうなのかと今度は逆に尋ねられ、しばらく言葉を胸に詰め込みいいえと吐き出した。冷静になどいられた時は指で数える程度しかない。毎夜毎夜酒の匂いとは別に彼の周りを纏うその香りがひどく嫌いだった。知り始めた恋心はあまりに切なくて、それでも彼が自分の世界に色を落とした人物であることに感謝が尽きる事はなく尊敬を越えた愛とは言えない程度の忠誠を必死に保ってきた。今もその忠誠は強くなるばかりで、いつしか幼き頃抱いた恋心は消えてくれるだろうと、その時を痛む何かを抑え必死に待ち続けてきた。そんな何重にも出来た壁をさも簡単に取り壊してしまったのは想い続けた本人であるのだからなんと酷い。
この子の記憶が自分の今持っているものと一致するのならば、きっといずれ胸を引き裂くような辛さという感情を知る。変えてしまえるものなら未来を変えてしまいたい。しかしそれをしてしまっては、彼が今の自分位の年齢に成長した時一体どうなってしまうのか全く想像できずただならぬ恐怖が込み上げる。
隣に座り込むその幼い体をゆっくり抱きしめれば、あまりに細いその体に今更ながら驚いた。何が起こっているのかわからないといった顔をしながら抵抗しないそれは、ようやく人の温もりが分かり始めてきたからなのかもしれない。何もかも変わった。彼に出会い自分は生まれた。その過程を自分が変えてしまうことはきっと禁忌に等しい行為だろう。

「なに、なんなの・・・どうしたんだよ!おい!」
「よく聞いてくださいね、貴方はこれから私になります。もしかしたら他を殺める事と同様に苦しむ日が訪れるかもしれません。それでもどうか彼の側を離れずにいるのです」
「・・・なんなんだよあんた、・・・シンがそんなに好きなの」
「ええ、好きです、愛している方なんです」
「男なのに?」
「そう思っていた時期が私にもありましたよ。でももうじきわかる日が来ます。それまでにたくさんの知恵を付けなさい。たくさんの愛を貰いなさい、そして貴方が貰った愛を今度は返してあげるのです」
「・・・・・」
「落ち着きませんか、包帯がないことは」
びくりと肩を震わせたあとで小さく頷いた彼はこの1日ずっと口元へ小さなその手を持って行ったり落ち着きのない様子が何度か目立っていた。理由は聞かなくとも分かる、だからこそ最後であろう今尋ねた。最初出会った時より明らかに近くなったその歩く距離をさらに詰め寄り真意に迫れば諦めたかのように淡々と言葉を並べていく。
「大丈夫 その赤い痛々しい跡も、あってよかったと思える日がもうじき来る」
「何、訳がわからない」
「それがわかる日が来るんです。自分でもありえないくらいに世界が色づいてくる」
「あんたは今、そうなの」
「そうですね」
じゃーふぁるは今、笑ってるの?最後に問われた質問の真意はわからなかった。自分の記憶のはずなのにその意図が全く読めなくてああきっとこの頃も自分は迷っていたのだ、そう思ってすぐにひとつの答え方を見つけた。ルフの鳥になり消えていくその幼い自分に精一杯の大きな声で伝える。どうか命をつないでくれと。
「君はのち、シン様の最も親しい信頼できる存在としてお側に置かれる。いいですか、もし、もし彼が君のことを別の意味で欲してくださったその時は」

ちゃんと笑顔で嬉しいと言ってください、どうか、どうか。

:::::::::::

「シン」
「ジャーファル!大丈夫か、うなされてたぞ」
「・・・ここは」
「ここは国境の宿屋だ。お前が後ろに付いていないことを知ってびっくりしたがどうやらだいぶ疲れていたみたいだな、数メートル先で倒れてた。ったくお前少し慣れてくれたかと思ったら・・・きついときはきついって言えよ、心配になる」
「・・・・・・夢で未来の自分に 会った」
「・・・・未来の?・・・それはすごいな、どんな世界だった?」

とても眩しくて綺麗な世界だったとジャーファルが答えると目を見開きそうか、そう見えたのかと幸せそうに目を細めるシンドバッドが視界に映った。それを見つめることが気恥ずかしくなり足元にかかっていたシーツを引き上げようとして自分の手が何か柔らかな茎を持っている事にようやく気付く。手のひらに握られていた一輪だけの紫をした花はなぜか水を含み凛と咲き誇っていた。つぼみだったそれはどこに置いてきてしまったのかもわからないが、それだけあればいいと思えた。
名前を呼ぶことはまだ慣れず、近くにあった彼の膝を思い切り叩いてこちらを向かせた。ずいと顔ギリギリにその花を渡せば、不思議そうな顔をした後理由も聞かず再び笑顔になりありがとうジャーファルと言われた。それがすごくすごく嬉しくて、紫色した彼の髪の毛を弱く握った。


「俺、文字を書けるようになりたい」



「ジャーファル」
「なんですか、シン」
「帰ったのかあいつは」
「ええ、どうやらジュダルの魔法の効力が消えたみたいですね」
「幼い頃のお前を見るとは思っていなかったな、楽しそうにしていたか」
「はい、とても面白そうに周りを見渡していましたよ。ああ、茸が嫌いだと」
だってお前茸だけいつもよけるんだよ、そう渋い顔でぼやく彼の机に紫の花を置いた。この花はどうしたんだと尋ねる彼に、私の王に、私の恩そのものである貴方にあげたいとおっしゃっていました。ほらね、貴方はすぐそうやって笑顔になるでしょう。だから私も笑うんです。
「きっと喜ぶぞ、俺も」
「喜んでくれなければ私がわざわざ買った意味がないでしょう?でも貴方は私が捧げるものならなんでも喜んでくださっていましたね」
「ああ、今だって嬉しい」
ありがとうジャーファル。

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「お前の名前を知りたいんだ、教えてくれないか」

抑揚のない声でつぶやかれたその名は今まで生きてきた中で最も綺麗な名前だと思えたことがなぜだかとても幸せで、エゴでもいいじゃないかと誰かが笑ってくれた気がして、踏みそうになった小さな小石をこつりと軽く蹴り上げて遠くへ遠くへ飛ばした。

(神よ、この子に数多の幸福が降り注がんことを)





5000フリーリクエスト桜花魁さまからいただいた、シンジャのもとへ子ジャが訪れるというお話でした。
今ジャと絡ませるのが楽しかったです、子ジャ可愛いですね結婚したい。
遅れて本当・・・お待たせしました・・・!!
また機会があればそのときはよろしくお願いいたします^^

0511 綾辻

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