エンゼルランプ | ナノ


「綺麗な花だな」
そう呟いた事をきっかけにしたかのようにこちらを黙って見つめておはようと笑いかけてくる。部屋には溢れんばかりの月光が集まり、濃紫をしたその長い髪に艶を与えていた。大きな窓の縁に置かれたその花は熟れた果実のように燃え盛る色を帯びていて視界に入れるたびに少しチリ、と電光が走ったようになる時がある。
ヤムライハが渡してくれましたと言えばそうか、といつもの笑みを見せてそれに骨ばった指を伸ばす。伸ばした瞬間その蕾のひとつがぼとりとその命を落とし、しばしの沈黙が訪れた。
「水が足りなかったのでしょうか、申し訳ありません」
「いや、いいんだ。花にはそう簡単に触れてはいけないな、脆く儚い」
「・・・シン様、あの」
「ああ、なんだ?」
「今日のお仕事ですが・・・申し訳ないのですが私は監視できませんのでどうか貴方お一人でも期日を越さぬように善処してくださいね」
「監視って・・・そんなに俺信用ないのか。善処はいいとして、何かあるのか」
「今日の夜、街で公営娼館の宴があるそうです。年に片手で数えるほどしか行われないため警備を強化したいそうですが生憎娼館側だけではうまく回らないようですので私が様子視察がてらにでもと」
「そうか、行って来い。楽しんで来たら良いぞ ジャーファル」

ずきんずきんと痛む心の臓を一瞬ぐっと力強く押す、そのままシンドバッドに向け礼をしてジャーファルは王の寝室を後にした。彼の部屋からそう遠くはない自室へ移動してクーフィーヤを外す。初めて自分の顔に化粧というものをしたのはあの世界に慣れて1年後くらいの時だった。女装をしている時は案外ターゲットの首を撥ねやすくなる。欲にまみれた人間の前になるとそれは更に発揮される。周りのものと比べてそれほど外見が良くなかったジャーファルだったが、女装に至っては別格だった。
その色白な肌、珍しい月色の髪、細い身体は女装をすることでジャーファルの暗殺業を安易にさせた。
もちろんそのような事を強要されたこともあったがジャーファルはそれだけは承諾しなかった。たとえ半死に値する苦痛となり後に帰ってこようとも。
さんざん見てきた仲間達の苦痛の声。仲が良かったわけでもないが同じ境遇で生きた彼らは少なくともあの頃のジャーファルにとって仲間だった。
(しまった、粉がない・・・そばかす隠さないと不味い気もするけどそんなに気を使うほどでもないか)
露出をするのはあまり好きじゃなかった。腕についた跡が忌まわしくその存在を主張してしまうから。もちろんこれから行う事にも障害となるので、腕部分は官服のように袖の長いものを着用する。月の光が窓から差し込み、今宵も彼が静かに眠りに付けるようにと願い部屋を後にした。

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街は月明かりと数本間隔で並ぶ灯りのみで道を照らす状態だった。ぽつりぽつりと人が歩いているものの大体は他国から観光に来ている者たちだろう。この時間になれば空いている賑わいの場はただ1種類。目的地に着くなりジャーファルは入口に立っていた人間にチップを渡す。この公営娼館は一般の女性たちも交えて夜の宴を開催することが屡々ある。その宴に小国の王がやってくるのだが、噂は宜しくない。なんでも自国で影ながら認めているだけの私営娼館に金に困った女性の民達を強制的に勤労させ、体を売らせているという。そうしてたまに他の国に出向いては自分の国で使えそうな女性たちを探し出し大金を支払うと交換にそのいたいけな身を鎖につながせるという、質の悪い王だった。
当初それを耳にしたジャーファルは一切何も感じず、そのままにしておきなさい、大して大きな動きはしないでしょうと言っていたのだが、そうもいかなくなってしまった。最近その王がかなりの頻度でシンドリアに出入りしているのだが、その数日後には娼館の女性もしくは一夜限りの女性が姿を消し始めていた。王の心配の種になるわけにもいかないだろうとジャーファルが動き出したのは今宵が初めてではなかった。

最近、何らかの影があったものが無残な形で暗殺されている。首元は綺麗に裂け、体のいたるところに血の滲む縛り跡が残っている。
それが始まったのは1週間ほど前のことだった。
「そこのお嬢さん、私と一杯いかがだろうか。金はうんと上げよう」
しばらく進んでいると煌びやかな姿をした、シンドバッドより多少年のいったとみられる男がジャーファルに話しかけた。どうやらこれらしい。宮内の書簡で見てきた顔と一致している。男は金の髪をまとい、それに共鳴するような黒い瞳をしていた。自分と同じ、汚らわしい黒。
返事をせずそのままにしているとするり肩を抱かれ腰元まで一気にその腕を下げられた。シンドバッドの手を煩わせるわけにはいかない。今はいけない。今彼に干渉する他のものがあってはきっと彼はもう王として、人間として機能しなくなる。それならば今がいい。自分のことを忘れている今が。


名前も呼ばれなかった事、目も合わなかったこと。ジャーファルは一人深く傷ついていた。
近いうちにもどるさ、そう笑って頭を撫でてきたヒナホホの温もりすら冷めたものに感じた。
2週間ほど前、シンドリアを夜襲してきた者たちがいた。もちろんだがどんなに夜が更けようとも王国周辺はヤムライハの魔法はじめ他武官達の防衛で囲われている。それを難もなく壊し侵入したといえども、誰も反応しないわけがない。その日最初に侵入者に反応したのはピスティだった。上空を飛び回るパパゴラスたちが泣き叫び、それを異変と感じた彼女はすぐに八人将を羽笛で呼んだ。王の周りに隙間を作らないように。今まで幾度となく侵入者はいたものの、それまでだった。決して王であるシンのもとまではたどり着けない。当夜もそれは変わらなかったのだが、唯一違うものがあった。
ジャーファルの同郷者がいたのだ。もちろんジャーファルガ応戦したのだが八人の居ない小さな隙をとられてしまった。シンに向けられると思っていた刃は、そのままジャーファルへ向かった。
「ジャーファル!!!」
「っ!!!!」
訪れるであろう衝撃に目を閉じればそれは待てどもやってこない。不思議に感じ瞳を開ければ、目の前には倒れた暗殺者と、 王の姿だった。
「シン!!?シン様っシン様!しっかりしてください!・・・っシン!」
「マスルール!今すぐ医療官を呼べ!」
「っす・・・」
魔力操作を施された暗殺者と同時に、シンが吹き飛ばされた。その暗殺者は同じ香りがするジャーファルが王の横にいることを見てすぐに敵を判断し殺そうとしたらしいものの、無残にも起き上がる力は残っていないようだった。
シンドバッドはジャーファルを守るために体の魔力を一気に放出したため、命ともいえるその力が急激に消費され意識が朦朧としていた。

その騒動の翌朝、シンドバッド王はジャーファルのことのみを忘れていた。
ほかのことは覚えている。自分が酒好きなことや王であること、冒険をしてきたこと。半分堕転していること。その半生の記憶のジャーファルという一片のみが失われていた。
つい最近、ようやくジャーファルの名前もつっかえずに自然に呼んでくれるようになった。
それがジャーファルは嬉しくも切なかった。
じきに戻ると言われた。彼の大事な記憶を優先して語れと言われたジャーファルはひたすら彼の冒険譚を話した。楽しそうに笑うシンの記憶の中に、その愛しい人間はいない。
つかれたな、と呟いた日を最後にジャーファルは毎夜どこかに行っては暗殺をしている。
彼の正義の糧にならないものを切り捨てるために。


「あなたは王様なのですね」
「よくお分かりだな、美しい姫君」
「ええ、あなたのその腕輪、とても高価なものに見えますもの」
「これか、これは迷宮という場所で手に入れたものでな、いやなに、ほんのお遊び程度に行った場所だったのだが」
愉快げに話す王の横でジャーファルは方向性を変更していた。ジンの金属器を持っているとなれば自z分一人ではきっと立ち向かうことで精一杯になる。少し甘く見ていたようで自分の過信にため息を吐いけば王が再び肩を抱きジャーファルに甘い言葉を囁く。
「一杯では足りなかったなぁ、姫君。これからもっと夜が更ける。朝まで私と共に酒の酔いに負けぬ快楽を味わいたくはないか?」
「王ともあろうお方が何をおっしゃいますか、他にもあなたにふさわしい女性は数多にいるでしょう」
「私は君が気に入っているんだ。それとも初心な姫君は羞恥の波に溺れることが怖いのか?」
「・・・ええ、とても。あなたに教えていただきたいですけれど・・・」
「おお!それでは早速閨の準備をしてもらおう!君のその白い肌を私の花で一杯にしてしま」

ひゅん、と一瞬王の頬を掠った何かは、そのまま後ろの壁にザクリと刺さり込む。5秒ほど経って王のそこから赤い血が垂れて、ようやく遠目にいた付きの者達が動き始めた。
赤い紐に繋がったそれをひゅんと引き、軽やかな動きでジャーファルは王から離れて距離を図る。きっと自分はここで死ぬ。死なずに済むかもしれまいがきっと拘束されてシンの弱みになるか、そのまま愛玩されてしまうか。後者は結局シンの重荷になる。それならば自ら舌を噛み命を絶とう。そこまで考えたものの、ああ今の彼ではそんなこと弱みにもならないかと思って少し瞳に映る視界がゆがんだ。
「お嬢さんは随分攻撃的のようだな・・・女性にこのようなことはしたくはないんだが仕方あるまい。目を閉じて自分の死を待ち数えなさい」
「そんなこといられるのも今のうちではないですか?王よ」
「ははは、口数の多い姫だ。さて、お喋りはもおうそろそろ終わりだ」
合図かのようにジャーファルの周りを鋭い武器を持った王の武官達が一斉に囲い尽くした。こんな数を相手にするのは何年ぶりだろうか。シンに出会ってからは大体一人で行動していなかったから然程力量など気にしたこともなかったがどうやらこれは圧倒的に不利になってしまったらしい。
きっと体力を削ったあとに金属器で止めギリギリの攻撃を受けるのだろう。そうなってしまって自分が捕まってしまっても、自害すればいい。それでも、それでも。
(あなたの横で生きていたいと思うのはわがままですか、シン)

「バララーク・セイ!」
「!・・・眷属器・・・そうか、お前、シンドバッド王の臣下だったのか。あの王もやってくれる。ここ数年で力をつけていたとは聞いていたがまさかここまでとは。しかし眷属一人ではさほどおそろしくはないんだ。すまないな」
「はっ、どの口が言ってるんですか?」
ひゅん、と広場を一周した眷属器を動かす赤い紐が、その場にいた者たちを縛り上げて蛇の如く噛み砕いていく。周りにいた武官たちはあっという間に崩れ落ち、数分経てば両の手で数えるほどの人数となっている。
しかし金属器の主であるシンドバッドが近くにいないジャーファルにとって眷属器の力は膨大で、脚は痙攣し立っていることすら精一杯だった。
(まずい、そろそろ魔力が切れてきた・・・ここまでかもしれない)
もしここで自分が死ねば怒ってくれるだろうか。彼のために死ぬ自分を褒めてくれるだろうか。汚らしい世界に戻った自分を彼はどう思うのだろう。それとも何も感じてはくれないのだろうか。一瞬不安に駆られたその隙をずっと影から伺っていた敵に暴かれ、すぐさまその鋭い刃がジャーファルの首元を狙い接近してくる。しまった、これはよけられない。そう感じ反射的に瞳を強く閉じた。情けない話、この生業からかなりの時間離れていた自分は腕が鈍っていなかったが死に対する恐怖が植え付けられていた。死にたくないといった本音が呻き声となりジャーファルの喉から叫ばれた。

瞬き、目の前を見れば真っ白な上衣に7つのジンを宿らせた影がジャーファルの視界を覆っていた。
あの時と同じ、自分をかばう濃紫たなびく髪の毛。こちらを射抜く金色の瞳。
「シンドバッド・・・さま、・・・」
「様子がおかしいと思ったんだ。すまない、もっと早く気づいてやればよかった」
「そんな、こと・・・なんで・・・」
「お前はなんとなくそういう奴なんだろうなと思っていたからだなぁ。きっとお前は何かあっても一人で動いて、全て終わってから俺に報告しにくるんだろう?」

ジャーファル、そう言われてジャーファルの頬を一筋の涙が伝った。ああ、この王は腐っても王なのだ。たとえ記憶の中に自分がいなくとも王という立場で、自分を助けに来た。出来た人だ。そうふざけ気味に感じたと同時に、なんて自分は弱いんだろうと思った。
守りたいと思っても結局守られてしまう。自分は無力なのかもしれない。そう思っているとぽん、と頭を優しく撫でられて、ちょっとお前はそこで見てなさいと言われたきり、シンはぽかんと口を開いて唖然としている敵たちに向かっていった。
そこで、ジャーファルの意識は途絶えた。
気づけばそこは血の海で、シンドバッドの背に乗る形で丁度そこを後にするところだった。王の背中で自分は何をしているのだと混乱して降りようとすれば、ぐっと手に力を込められて敵わなくなる。
「シン様、あの」
「馬鹿、お前ほんと馬鹿だよジャーファル。そんな格好までして一人で立ち向かうなど」
「・・・申し訳ありません」
「まあいいさ、無事だったんだ。悪いが魔力を少し流させてもらったから、数時間は俺の魔力に反応してしまうかもしてない。我慢してくれるな?」
「はい・・・」
「まったくお前は昔からこうなのだろうな。なんとなくわかる。心の片隅で俺の何かがおかしいと信号を出したからよかった。まったく・・・無茶をするな」
「・・・はい、はい、シン様」
「俺が全部思い出したらこってり怒ってやるから覚悟しなさいジャーファル君。あと勝手にどこかに行くな。王様不安になるだろう」
「はい、はい、ごめんなさい、ごめん、なさい」
「、ジャーファル。泣かないでくれ。お前に泣かれるとなぜだか胸が痛い」
「すみませ、違うんです、目に埃が」
「ごめんな、ごめんジャーファル」
思い出せなくて。
そんなこと言わないで欲しい。いつもの彼ならきっとこんなことは言わない。自分が傷つくことを知っているから。自分の何もかもを分かっているのは彼だから。そんな願いもかなわない。それでもだめなのだ、自分はこの人じゃないと。
思い出してくれなくてもいい。こうして自分を見つけてくれた。あの日、自分を闇から救い出してくれた時のように手を伸ばしてくれた。それだけで、彼はシンドバッドなのだ。
たとえその記憶に自分がいなくとも、きっとこれから作っていける。そして、いつか話してやるんだ。あなたが私を救ってくれたのです、と。今でも貴方が私の光なんです、と。

ぎゅ、と肩を掴む手を一瞬強く握り、そこから降りてシンの数歩先に歩いていった。夜はもう明け始め、月は世界に別れを告げ太陽が昇り始める。
「シン、昔ね、あなたと二人であんな娼館に行ったことがあるんです」
「?うん・・・?」
「その時、私はまだ幼くて、あなたのいるところだから付いていったのです。今も変わりません」
「・・・ジャーファル」
「もう幼くない私でも、貴方のそばに居たいのです。私の意志で。例え貴方が私を忘れようとも」
あの頃の笑顔を思い出さなくても貴方は貴方で私の愛する貴方なのです。
「いいです もう何も望みません、貴方が居るならば何も変わりません、シン、シン様」
あなたはあなたなんですから 愛してます ずっとずっと 
窓際で風に揺られるエンゼルランプの蕾が一輪ひっそり花を咲かせ凛と笑った。
彼のその懐かしい笑顔とたくさんの謝罪と腕と、一人の政務官の笑顔がもどるそんな全てを包む時間まであと数秒。




エンゼルランプの花言葉を見て、これはいいジャーファルとひとりごちたので。
アンケートリクエストだった「シン記憶喪失でジャが暗殺者に戻る・ハッピーエンド」をかかせていただきました。

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