企画部屋 | ナノ


▼ 月光マーメイド1

 心を奪われました。
 月光を浴び、強い潮風になびく緑色の短い髪。質の高い衣服を纏うその人は、少年から青年へと移り変わる曖昧さを残していて。
 波に揺れる船の甲板。そこから星の散らばる夜空を見上げる人間に、とある人魚は目を離すことが出来なくなりました。

「……」

 海から顔を出す人魚は特徴的な色の瞳にそれらを映し出します。
 呼吸も。時間も。響き渡る波の音も。全てを記憶の狭間に置き忘れていて。

 だから、気付くのが遅れてしまいました。

 荒れ始める波。比例して揺れる一隻の客船。嵐が近付いていたことに、人魚は気付くのが遅れたのです。

「うわっ……!」

 甲板に佇んでいた人間は船にとどまることが出来ません。身を投げ出され、人魚達の世界に滑り落ちていきます。

「──っ!」

 それを見た彼女の行動は、とても素早いものでした。



「あんたバカぁ?」

 その結果、海底に存在する人魚の屋敷で苛立ちの声が響きます。
 腰に手を当てて眉を釣り上げる赤毛の人魚。彼女の強い眼差しは屋敷に戻った年の近い姉へと向けられます。

「う……。ごめん」

 瑠璃色の髪と特徴的なオレンジがかったピンク色の瞳を持つ人魚は、妹の怒りにしょんぼりとうなだれました。

「人間の男なんて助けて……見つかったらどうすんのよ!」
「まあまあイリア。無事に帰ってきたんだから、そんなに怒らなくても」
「アンジュはリズに甘過ぎなの!」

 妹にピシャリと言われ、リズと呼ばれた人魚は思わず小さくなります。
 今日はリズの誕生日。十七歳になった人魚は外の世界を覗けるようになるのです。
 それまで外の世界に行けないのは、人間に姿を見られるのを防ぐため。ですからなかなか帰ってこない彼女を姉妹達が心配しないわけがありませんでした。

「リズ姉ちゃん。イリア姉ちゃんめっさ心配しとったんやで? 『リズが帰ってこない。どうしよう』って」
「そうだったの?」
「ウチもハラハラしながら待っとったよ」

 もう一人の妹であるエルマーナの言葉を聞き、素直に謝るリズ。眉を釣り上げていたイリアは次は気を付けるようにとため息を吐いて言いました。

「ひとまず一件落着、かな? でもリズ」
「はい?」
「今日のことは忘れなさい。いいわね?」

 真剣な面持ちのアンジュにリズは身を強張らせます。
 何を忘れろと言っているのか、彼女の脳は瞬時に理解をしてしまいました。



 それから数日間。リズはため息ばかりの毎日でした。今も一人、人影のない岩場で日光浴をしながら物思いにふけります。

 考えるのは、海上で出会った彼のこと。
 海に落ちたところを救い、砂浜に運んだ時。微かに彼の瞳が開いた気がしたのです。
 しかし確かめる術はありません。何故なら途中で別の人間の気配を感じ、とっさに身を隠してしまったのですから。
 通りかかった女性は倒れている人間を介抱して、結果目を覚ました緑髪の彼は、その女性に救われたと勘違いをしたのです。

「……ハァ」

 リズは何度目かわからないため息を吐きます。
 別に救ったことを感謝されたいとは思っていません。ただ、彼の瞳に映りたかった。己の種族を忘れ、そう願ってしまったのです。
 何故そのような想いを抱くのか、わからないまま。

「あら、どうしたの?」

 ため息を吐く人魚の耳に、鈴が転がったような声が届きます。
 驚いて視線をを向ければ見慣れない同族の姿がありました。

「あなたは……?」
「私はチトセ。こんなところで同じ人魚に会うなんて珍しいわ」

 チトセと名乗った人魚が言う『こんなところ』とは、人魚の住処から離れた岩場のこと。ここが魔女の住処の近くということをリズは知りません。

「大きなため息を吐いてたけど、悩み事?」
「多分……」
「なんだか曖昧な答えね……。あ! わたし、すごい御方を知っているわ。なんでも願いを叶えてくれるのよ」

 パンと手を合わせたチトセが明るい笑顔でリズに告げます。
 話を聞けばその御方とは、人魚の世界で『魔女』として恐れられている人物でした。
 頭で警報が鳴る一方、チトセの「なんでも願いを叶えてくれる」という言葉がリズの心を強く震わせます。

 夜空の下で出会った彼にもう一度会いたい。リズはその一心で、魔女の元を訪ねる決心をしました。





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