脆弱にはお構いなく

最後の一体。

目の前の敵を切り伏せて、###は糸が切れたようにその場にへたり込んだ。断末魔を上げて赤い飛沫をまき散らし、人ならざる者は地面に倒れ伏す。気が付けば手にした武器を握る手がビリビリと痺れていた。休みなく連戦だったから当たり前かもしれない。口の中は、走り回った後特有の鉄の味がする。ようやく一息つけると分かった瞬間、それまでの疲労がどっと出てきたように体が重くなった。

異界の生物――生物と呼んで正解なのかは分からないけれど――との戦闘は初めてではない。むしろ、ライブラに入ってからはその回数は増えたくらいだ。けれどその分フォローを入れてくれる人や、援護をかけてくれる仲間も増えた。一人で複数相手にするのは、思えば久しぶりだった。

やっと静かになった周囲の血なまぐさい風に吹かれながら、息を吐き出す。年中霧に包まれた都市の空気は湿っぽく、うっすらと額に浮かんだ汗はちっとも乾かない。とりあえずお風呂に入って汚れを落としたい。お腹も空いたし、どこかで何か食べたい――レオを誘って、いつものハンバーガーでも食べに行こうかな。

「――###くん!」
「ひゃあ!?」

……と、これからのことを地面に座り込んだままつらつらと考えていた###は、突然名前を呼ばれて飛び上がった。そちらを見ると、物凄い形相で迫ってくる大男の姿があった。普通ならまずその場から逃げ出したくなるような威圧感、オーラ。けれど###は別の理由で、そこから動けなかった。地面に縫いつけられたかのようにその場に硬直してしまう。

「くっ、く、クラウスさん!?」
「大丈夫かね!?」

ものの数秒で距離をつめ、座り込んだままの###のもとに膝をつく。クラウス、###の所属する秘密結社のリーダー。様子を伺うように見つめられて、カッと顔が熱くなるのが分かる。

「どうして、ここに……クラウスさん、スティーブンさんと一緒に西の方へ回るって言ってましたよね?」
「ああ、思ったよりも早く片が付いたのでね。――それより、###くん。そのケガは……!」
「え、ケガ?」

言われてクラウスが見ている自分の右足を見て、息をのんだ。ふくらはぎのあたりをばっさりと斬られ、痛々しく血が滲んでいる。なぜ今の今まで気が付かなかったのか不思議なくらい、ひどいケガだった。自覚した途端、そこがジリジリと熱を伴って痛み始める。

「いつのまに……あ、あの、大丈夫です。」
「だが、ひどいケガだ。女性の足にそんな傷を負わせてしまうなんて……すまない、やはり、一人にするべきではなかった。」
「そんなこと……。」

泣きたくなるくらいの優しい労りの言葉に、思わず言葉に詰まる。ここは一人でも大丈夫だと言い出したのは###の方なのに、まるで自分の落ち度のように肩を落とされてしまってはこちらまで気分が落ち込んでしまう。命にかかわるような傷というわけでもない、少々痕が残るかもしれない程度だ。しかし、他人に対しどこまでも優しく紳士である彼にとっては、それすらも耐え難いことなのだろう。

――だから、彼のそういうところが――。

「立てるかね?すぐに、手当てをしよう。」
「は、はい……痛ッ!」

差し出された手に掴まって立とうとするが、力を入れた瞬間、それまで何ともなかったはずの右足に強烈な痛みが走る。赤黒い液が靴を、地面を濡らしていく。結局、座っていた状態からどうやっても立てなかった。

「ご、ごめんなさい、すぐ、立ちますから……。」

慌ててそう言い訳じみた言葉で場を繋ぐが、少しずつ痛みは増していく。折角クラウスさんが迎えに来てくれたのに――と、半ば半泣きになっている###を見て、クラウスは何か思いついたような声を上げた。

「###くん、少しの間、辛抱してくれ。」
「え?――きゃあ!?」

意味深なクラウスの言葉に首を傾げようとした###だったが、次の瞬間、情けない声を上げた。しかし、無理もない。

「え、ちょ、く、くら、クラウスさん!?な、なな、なに――」
「傷ついた女性を無理に歩かせるというのは忍びない……少し不安定かもしれないが、そこは我慢してくれ。」
「そ、そういうことじゃなくて……!」

目をウロウロと泳がせて顔を赤くしたり青くしたり、完全にパニックになっている###を宥めるようにクラウスは顔を覗き込む。しかし今の状態では逆効果だった。###はクラウスに体の前で抱え上げられ――いわゆる、‘お姫様抱っこ’をされているのだから。肩やひざ裏のあたりに感じる男性のたくましい胸や腕、いつもはふわりと漂う程度の彼の香り、鋭い犬歯の特徴的な強面の顔。どれもこれも近すぎて、頭がおかしくなりそうだった。

「あ、歩けます!歩けますからっ!お、降ろしてください!」
「その足では無理だろう。ほんの少しの間だけだから……###くん。」
「う、うう……。」

どうしても降ろす気のないクラウスに、###は縮こまる。確かにこうして抱えられていれば足は痛くない、けれどその代償にというかなんというか、さっきから早鐘のようにうるさい心臓のせいで、今度は胸が痛い。張り裂けそうだ。こちらを気遣ってゆっくり歩いてくれるのはありがたいが、いっそ全速力で走ってさっさと治療できる場所まで連れて行って欲しい。でないと、心臓がいくつあっても足りなさそうだ。

「###くん。……これは、単なる私個人からのお願いなのだが。」
「は、はい?」

声が裏返ってしまった。

しかしそんなことも気にならないようで、クラウスはいつになく真剣な顔つきで言う。

「あまり無理をしないで欲しい。いくら戦う術を持っていると言っても、君は女性で、何より私たちの大切な仲間だ。負担を減らそうとしてくれるのは嬉しい、が――それで君が傷ついてしまっては、私たちも合わせる顔がない。」
「……。」

ああ、そうなんだよなあ――と、###は唇をかみしめる。

――いくらドキドキしても、ときめいていても、彼にとっての私は‘仲間’であり、‘異性’や‘恋愛対象’ではない。こうして迎えにきて抱きかかえてくれるのも私がケガを負っているからで、決して特別な存在だからという理由ではない。その事実を受け入れても尚、彼の腕の中の温度は、残酷なくらいに優しかった。

少しだけ、ほんの少しだけ体をクラウスに摺り寄せて、目を閉じる。

「はい……クラウスさん。ごめんなさい。」

悲しいとは思わない。つらいとも思わない。私だけを見て欲しいなんて、そんな贅沢なことは願わない。こうして傍にいて、彼を感じることができれば、今は十分幸せだ。

……そんな誰にでも優しい貴方を、私は好きになったのだから。









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