アクマイザー

雨音はショパンの調べ


「お前はまた、あの男の事を思い出しているのか」

黒サガは苦渋を含んだ声で呟くと、自分の中に潜むもうひとりの自我に意識を向けた。
教皇であるシオンを亡きものとして成りかわり、親友であるアイオロスに反逆の罪をなすりつけて殺した黒サガは、自身のうちにあるクロノス神の因子の力を借りて、第一人格である白サガを封じ、強引に奥底へと閉じ込めている。
それでも白サガは、事あるたびに表面意識に浮き上がってきては、自分の野望の邪魔をするのだった。
そうして、それ以外の何ごともない日常においては、たいてい身を潜めて苦悔と懺悔の祈りを、さざなみが静かな水の輪となって広がるように歌い続けている。
それは波動のように身のうちに溢れ、柔らかな刃となって黒サガの精神に傷をつける。
鬱陶しい事この上なかった。

そのさざなみが、時折きれいに消えて、鏡のように水面が凪ぐことがある。
その水面下には黒くて重い思念が淀んでいるのが、同じ魂である自分にはわかる。
そんな時には、どこまでも深く昏い水底の1番下で、白サガは滲むようにかすかに光る宝箱をそっと抱いているのだ。その宝箱の中身がアイオロスへの想いだ。

自分と白いサガは別人格ではあるが、主体としては一つの存在であるため、どうしても想いが引きずられてしまいがちになる。
胸がじんと締め付けられるような痛みを感じて、黒サガは不快とばかり、手にしたワイングラスを握りつぶした。手のひらが切れて血が流れ出すのも構わず、それを舐め上げる。


アイオロスを殺す前、確かに白サガは彼を親友として見ていた。
自分には無い大らかな度量と、確固たるゆるぎない正義感を持つライバルとして、共にあることを誇りに感じていたように思う。
黒サガにとっては、邪魔で目障りな存在ではあったが、彼の人望や実力は不承不承ながらも認めてはいたし、だからこそ事を起こした折には、真っ先に射手座を排除したのだ。

だが、今のアイオロスへのこの想いはなんだろう。
白サガの中で、宝箱が光を増していく。
まるで、祈りの対象であるイコンのように、彼への想いが純化していくのが判る。
あの殉教者の死が、サガを掴まえてしまったのがわかり、黒サガは盛大に舌打ちした。
『神であろうと、わたしを支配する事など出来はしない』
かつて、デスマスクにそう断じたことがある。
誰にも縛られず、誰にも支配されない…それがこのサガであったはず。
サガをつかまえて良いのは、自身であるこのわたしだけだ。
白サガを憎しみの籠でとらえ、自分だけを見るように閉じ込めたのに、自分自身ですら縛ることのかなわぬあの魂を、アイオロスはその死でもって奪い取っていく。


こんな事であれば、あの男は殺さずに捕らえ、幻朧魔皇拳で心を打ち砕いて手元へおき、飼いならして幻滅させれば良かったかと振り返りかけ、頭を振る。
あの男は危険だった。そう簡単に支配出来るとも思えなかったし、そう出来たらできたで、獅子の弟が疑いの目を向ける。白サガが技を解いて開放する可能性も高い。
いつ手を噛まれるやもしれない危険なリスクを負うわけにはいかない。


「…何故、わたし以外に目を向けるのだ」
黒サガの呟きをよそに、サガはアイオロスの影を想い続ける。
「わたしはあの男を、愛したくなどは無い」

そして今日もたそがれの水檻に涙の雨が降る。


(2006/9/30)

[13年間]


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