アクマイザー

ぐるぐる


冥府一の圏におけるカイーナの執務室で、本日の処理ノルマを終えたラダマンティスはホっと一息をついた。

聖戦後、女神の説得により死者の冥府における処遇が改善され、罪科によって永劫の苦しみを負わせることはなくなった。人の魂は一定期間ののち、平等に輪廻の輪へまわすことになり、新規の死者の裁判や獄管理の仕事自体は激減している。そのため、いま彼が行っているのは聖戦での冥府破壊時に一度四散した魂の再管理だ。

冥府から飛び散った魂はあまりに数が多く、人間の手に負えるものでもない。
次元の狭間に落ち込んだ魂の保護や、衝撃で欠損した魂の治癒などは、冥王ハーデスとヒュプノス・タナトスの二神によって今もおこなわれ続けている。
どんなに面倒であっても、零れた魂は全て拾い上げ、この世界の生死の管轄下に戻さなければならない。それが「死を統括する神」の義務であった。
神から見れば芥子粒のような人間の魂を、多次元の海原から拾い上げていくのは容易なことではないようで、冥府の王は今のところ地上や海界に目を向けるような余裕はなかった。

しかし多忙な神々と比べ、冥闘士とはいえ人間であるラダマンティスのできることといえば、ハーデス達が集めた魂を帳簿にまとめ、閻魔帳や名簿と照らし合わせてチェックし、輪廻の輪に戻すという作業くらいだ。何しろ量は多いが、単純作業であり期限があるわけでもないので、部下たちと分担してデータ化さえしてしまえばあとは何とかなる。
以前の目まぐるしく血なまぐさい職務環境と比べれば、歴然の差だ。

戦後処理が片付けば、冥闘士としての職務は冥府の守護という本来の形に戻るだろう。
そう思いラダマンティスは肩の力を抜く。
仕事を終えた彼に気づき、それまで隣のソファーに転がっていたカノンが起き上がって背中側から首を抱きしめてきた。
「よう仕事人間。労働時間は終わったか?」
海龍の鱗のきらめきを連想させる豪奢な銀の髪が、肩口を伝わって零れ落ちてくる。
海将軍でもあり黄金聖闘士でもあるカノンは自分以上に忙しいはずなのだが、相当要領が良いのか多忙をおくびにも見せず、気づくとカイーナへ遊びに来てラダマンティスを呆れさせる。
気配もなく城の中枢にまで忍び込んでくるカノンに、最初は相当驚かされたものだ。
警備体制を見直し、部下を叱り付けて気を引き締めさせたのだが、カノンはその後も何の苦も無く城内の自室へ侵入してきて、翼竜をひそかに落ち込ませた。
そのカノンは遊びに来ているだけだと主張する。
いちいち臨戦状態になるほど暇でもなく、嘘を言うような男でもないだろうと、職務の邪魔にならない限りは仕方なく放置している状態になっていた。
あとでミーノスに「シードラゴンは神を誑かすような男でしょう。正直者のわけがないのに信じるなんて馬鹿ですか」と叱られたが。

カイーナでのカノンは、何をするわけでもなく執務室に居座り、昼寝などをしている。
そうして仕事の合間の僅かな休息時間になると、何が楽しいのかこうして友人であるかのように話しかけてくる。
遊びに来たとはいうがこの城には何の娯楽も無い。仕事を横で見ているだけで何が面白いのだろうかと思った矢先に、また海龍の方から声が降ってきた。
「ラダマンティス。お前こんな机仕事ばかりで退屈じゃないのか」
「余計な世話だ。貴様こそ退屈だろうに、一体何が目的なのだ?」
首に回された腕を払おうとすると、一寸の差でカノンの方が自分から離れていく。
どうもいつも一歩先を読まれているようで気に食わない。
カノンが背後で笑った。
「オレがいても、そう邪魔でも問題でもないだろう?気配を抑えるのは慣れているからな」
「そういう問題ではない」
確かに海龍の言うとおり、彼の存在はいつのまにか部屋に馴染み、他人が居ることによる気詰まりや鬱陶しさを感じることはなかった。
カノンが聖域での過去の生活において、身を隠し気配を消すことを常としていたことをラダマンティスは知らなかったが、これだけの小宇宙を抑えて自然に振舞えるのは大したものだとは思っていた。
だが元敵将であるカノンが、その才能を冥界へ進入するために発揮するのは非常に迷惑だ。
三界が和平を結んだいま、カノンが冥府で何かしでかすことはあるまいと捨て置いてきたが、きちんと真意をただして締め出したほうが良いのかもしれない。
ラダマンティスは溜息をつくと卓上を片付け、真面目な顔でカノンの方へ振り向く。
「カノン、お前は何をしにここへ来ているのだ?」
言った途端、カノンが驚いたような顔をしたことに翼竜は驚いた。
「遊びに来るのに、理由がいるのか」
「いや、だから何故ここへ遊びにくるのかと…」
今度こそカノンの顔が不機嫌になっていく。
「職場に押しかけることは悪いと思ってる。だから邪魔はしないだろう」
「いや、そういう問題でもなく…」
何か会話に根本的なズレがあるような気がするのだが。
悪いことをしたわけでもないのに押され気味の翼竜へ、カノンは顔を近づける。
「いいかラダマンティス。たとえ邪魔だと言っても来るからな」
「…は?」
言ってる意味が百万分の一も理解できず、素でラダマンティスは聞き返してしまった。
海龍は暫し噛み付くように睨んでいたが、ふいと顔を背けてベランダに向けて歩いていく。
どうやらそこから帰るつもりのようだ。
「待てカノン。まだ話が終わっていない」
「うるさい。お前にもストーカーされる側の気分を味合わせてやる、この薄情者」
「そ…それはすまん…って、何故俺が謝らねばならんのだ!」
言っている間にもカノンはさっさと窓から出て行ってしまった。
怒ったのだろうか。
先ほどからの会話を思い出してトレースしてみたが、理由が全く把握できない。
理由どころか、会話の内容も全く理解できない。

なのになぜ自分の方が申し訳ない気分になっているのだろう。
ラダマンティスは混乱する頭で冥衣を纏い、カノンをなだめて連れ戻すべくベランダから後を追ったのだった。

(−2006/10/20−)


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