アクマイザー

ブラックオパール2


冥府で覚醒したサガ=アーレスは、そのままタナトスの離宮へ勝手に住み着いた。
タナトスの側女であるニンフたちに衣類や必需品を用意させ、空いていた小部屋を自分の居住区と定めると、どこから用意したのか寝台まで運び込んでいる。
タナトスが抗議しても『死の神であるお前の小宇宙が身体から抜けきるまでは、蘇生もままならぬのだが』と返されてしまい、逆に『責任をとって居場所を提供するのが筋だろう』と押し切られてしまった。
神格としては十二神であるアーレスの方が上であるため、力を持って排除することも出来ない。
冥王ハーデスであれば対抗する手段もあったろうが、ハーデスは聖戦の傷を癒しながら冥府の修復に勤しむ身であり、タナトスの私事(しかもこのような情けない事情)で迷惑をかけるわけにもいかず、また知られたくもなかった。
苦虫を噛み潰したような表情で状況を甘受させられているタナトスに引き換え、アーレスの方は生き生きとしているように見えた。普段はその本性を見事に伏せ、サガとしてニンフたちに柔らかな笑みや気遣いを見せるものだから、タナトスの世話をしている側女たちはすっかり彼を受け入れてしまい、公認の居候扱いだ。中には熱を上げる者までいる。
「タナトス様のご友人だけあってサガ様も素敵」
「お二人が揃っていると絵になりますわ」
「離宮の一角をご提供になるほど、仲が宜しいのですね」
そのようなわけがあるかとタナトスが否定しても、サガがやんわり横から誤魔化すので、ニンフたちはそれすら単なる死の神の照れ隠しだと思っている。なにせニンフ達の知る限り、タナトスに友人など居たためしがないのだ。初めて出来た友人関係を応援しようと、見当違いの暖かい視線が贈られる始末。
タナトスの機嫌は急降下するばかりだ。
彼の中では、ここまで自分がいいように扱われたことなど、かつて覚えの無い事だ。
自分が挑発したために痛い目にあったことは棚に上げ、タナトスはむすりと神酒の杯を傾けていた。
しかし、彼の機嫌など気にも留めず、サガは和やかに話しかけてくる。空気を読めないのか読む気が無いのか、彼はいつでもマイペースだった。目の前の椅子へと腰をおろし、首を傾げている。
「そのような顔をして、虫の居所が悪いのだろうか?」
タナトスの目から見ても、サガは綺麗にアーレスの気配を隠していた。いや、隠しているのではなく普段は本当にジェミニとしての性質が勝っているのかもしれない。二重性を持つ双子座の聖闘士は、今はまるで穏やかな青年に見える。
「お前のせいでな」
嫌味ですらない直球な返事をすると、サガは目を丸くして、直ぐに笑った。
「私がこの場にいるのは、誰のせいだろうか?」
そう返されると、二の句が告げない。己の軽挙を悔やんだものの、まさか聖闘士の中に神が潜んでいるなどと想像できるわけもない。しかも女神と敵対しているはずの戦神が。
「さっさと力を溜めて、ここから出て行ってもらおう」
格上の神であると判っていても、悔しさがタナトスの口調を荒くする。
サガは余裕からか笑んだままだ。だが、ふとその笑みが内面から変わった。その直後に唇から零れた言葉はアーレスのものだった。
「つれないことだ。昔はいつも私の後をついてまわっていたものを」
「何だと」
一瞬の変化に、タナトスがほんの僅かだけ怯む。
アーレスは蛇が笑うように微笑んだ。
「戦と争乱を引き起こす私の後を、常に死であるお前が追いかけてきたではないか」
「それは仕事上の話だろう!」
アーレスもサガも、タナトスを怒らせることにかけては天才的な能力を発揮した。どうもわざとそうしているフシもあるが、短気なタナトスはそれを無視することが出来なかった。
「アーレス、貴様こそいつから人間モドキになったのだ」
ガシャンと音を立てて、手にしていた酒杯を卓上へ叩きつけるように置く。
アーレスは呆れたようにその所作を見ていたが、それを嗜めることも、己への無礼も咎めることはしない。
「その短気なところ、やはり昔のカノンに似ている」
全く返答にならぬ言い分を呟き、それからじっとタナトスを見た。
「私はアテナのやり方を長らく馬鹿にしていたが、ヒトとして過ごすというのは、なかなか面白いぞ」
歌うようになめらかに声が響く。
「暇つぶしという事か」
「お前の主の野望を成就させぬという目的もあったのだがな」
邪眼で笑うアーレスを、今度はタナトスが睨んだ。
「何故お前がハーデス様の邪魔をするのだ」
「判らぬか?」
ゆるりとアーレスの指がのびて、タナトスの置いた空の杯の縁をなぞる。ピシリと音がして、それは二つに割れた。
「死で覆われた平和な世界などつまらん。私は私なりに地上とヒトを愛している。闘いを招く女神アテナも」
その言葉が戯れか真実か、タナトスには見極めるすべはない。
「私は死と冥府をも愛するが、お前たちが地上まで治めることを見逃すわけにはいかない」
アーレスの指先はそのままタナトスの頬に伸びて、どこか優しくその輪郭をなぞった。その動きが先日の狼藉を思い出させ、タナトスは反射的に身を固くする。アーレスはますます面白そうに指を滑らせたが、その動きは突如割って入った声により止められた。
「あまりタナトスで遊ばないでいただけないだろうか」
いつの間に現れたのか、ヒュプノスが座った二人を見下ろしている。
言葉は丁寧なものの、その声色にも表情にも抑揚が無く、感情が読めない。
「貴方が本当にそうしたいのは、タナトスではないだろう、サガ」
『サガ』と呼ばれた途端、青みがかったアーレスの銀髪は黒へと変化した。
「…フン、保護者登場か」
黒サガへと存在を変えたアーレスは、指を離すと肩を竦めて立ち上がった。タナトスがほっとした顔をみせるのをちらりと見やり、それからヒュプノスへと視線を移す。
「羨ましいか」
「さあ、どうだろう」
ヒュプノスはその視線から逃げずに答えた。

交わされた会話を理解できずにいるタナトスを残して、黒サガは自室へと去り、代わりに椅子へと腰をおろしたヒュプノスが新しい杯を二人分空間から取り出す。
「久しぶりに私と飲まないか、タナトス」
まだ状況の掴めていないタナトスが、困惑しながらも杯を受け取る。
「無論だ。酒を飲む時に見るのならば、アーレスよりもお前の顔の方が良い」
腹立たしそうに零したタナトスは、それを聞いたヒュプノスが苦笑したのに気づくことなく酒を注ぎ始めた。

(2008/4/24)


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