アクマイザー

バクラヴァ


本日も聖域は快晴だ。
ギリシア建築そのものである十二宮の白壁が、青い空に映える。
書類一束片手に教皇宮から降りてきたサガは、眩しい陽射しに目を細めた。
冬が近く、空気は肌寒いが、聖闘士である彼にとって、この程度の気温は何でもない。
アイオロスなど未だに軽装で訓練を行い、汗をかいたと言ってはすぐ半裸状態になるほどだ。
その様子を思い出してサガはくすりと笑い、足を早める。手に持つ書類は、そのアイオロスへ届ける為のものだった。
今日アイオロスは教皇補佐としてロドリオ村へ慰問に出かけているが、そろそろ帰って来ているはずの時間である。人馬宮が視界に入る位置に来ると、案の定、彼の小宇宙が感じられた。
アイオロスの小宇宙は雄大で、黄金聖闘士たちの中でも一際美しいとサガは思う。
宮の入り口に足を踏み入れると、アイオロスの方でもサガの来訪を感知していたようで、直ぐに出迎えがあった。
「こんにちは、サガ」
柱の脇で軽く片手を挙げ、アイオロスが挨拶をしてくる。精悍な中にも少年ぽさを残した笑顔だ。
彼はかつてサガによって殺され、名を貶められたというのに、それに対する遺恨が何もないように見える。
「こんにちは。村の様子はどうだったろうか」
サガも笑顔を見せてそれに答えた。
「ああ。それがさ、聞いてくれないかサガ」
「なんだ?」
アイオロスの表情がくるりと変わり、悪戯っ子のように目が輝いた。
「俺は村の子と結婚する事になったよ」
サガはぱちりと目を瞬かせた。
「…結婚?」
アイオロスが結婚?14歳でか?
まだそんな年では、いや、わたしが殺していなければ27歳。問題ないのか。
まて、問題はあるぞ。教皇は所帯を持てぬ。しかし、そんなことより…
「おーい、サガ?」
突然固まったサガへ不思議そうにアイオロスが声をかけるも、頭が真っ白になっているサガには届かない。それほど、アイオロスの報告は衝撃を与えたのだ。
「どうしたんだ、一体」
髪をくしゃりと掴まれ、顔を覗き込まれるに到り、ようやくハッと現実へ意識を引き戻したサガは
「す、すまん、急用を思い出した」
という言葉を残して、あたふたとその場を逃げるように去った。


双児宮までどうやって戻ったのか、サガは覚えていなかった。
渡すはずだった書類をそのまま持ってきてしまった事にも気づかず、それらはいま床に散らばっている。
職務用の法衣から着替えもせず、そのまま硬めの寝台につっぷして、サガは深い自己嫌悪に陥っていた。
(まずは友として、祝福を述べるべきではなかったのか)
彼からの報告を前にして、否定の感情しか浮かばなかった己を思い出し、サガはまた暗くなる。
どうしてか、素直に祝うことが出来なかったのだ。
結婚に関する教皇の慣習がどうであれ、そんなことよりも彼の気持ちを優先すべきだろうに。
あのとき自分だけ置いていかれるような気がした。しかし、考えてみればそれも理不尽な感情だ。
(咄嗟に彼の幸福を願えないという事は、やはりわたしは彼を憎んでいるのだろうか)
内面の悪は女神の盾で消えたと思っていたのに、チリチリと胸を焦がす感情がある。
サガは枕に顔を埋めたまま、何度目かの深い溜息を零した。
(明日はわたしも村へ出かけよう。祝いの品を買って、そしてきちんとアイオロスを祝福しよう)
そう考えながらも、サガの顔色は沈んだままだった。


「よう、ばんわ。アイオロス」
蟹座のデスマスクが人馬宮の居住区を訪れたのはその晩のことだ。
「こんばんは、どうしたんだ?君が来るなんて」
「サガがオレの宮に落としてったが、アンタのだろう、これ」
ひらひらと1枚振って見せたのは、確かにアイオロスが受け取るべき書類に違いない。
「そういえば昼間サガが来ていた時に、書類を持っていた気がする。ありがとうデスマスク」
アイオロスは首をひねった。自分用の書類ならば、何故サガは置いていかなかったのだろう。
不思議そうな顔をしているアイオロスを、デスマスクが睨んだ。
「アンタ、サガに何をやらかしたんだ?」
「え?」
いきなり強い語調で尋ねられ、アイオロスはきょとんとする。
身に覚えの無いことだと伝えるも、デスマスクは全く納得しない。
「覚えが無いわきゃねえだろ。仕事に関しちゃ完璧超人のあのサガが、書類を落として気づかないなんて相当だぜ」
「そんな事を言われてもなあ。何か急ぎの用があったみたいで、一言交わしたあと直ぐに行ってしまったし」
「何を話した」
「いや別に…今日のロドリオ村での出来事を話そうとしたんだが、その間すらなかった」
しつこく食い下がるデスマスクへ、戸惑いながらもその会話を再現してやる。
話を聞いたデスマスクは、サガと同様に目を丸くした。
「はあ?結婚!?」
「いやだから、慰問ボランティアでの劇の中でだ。立ってるだけの婿役だから練習もいらないらしい」
「何でアンタがそんなのに参加するわけよ」
「これでも教皇候補だからね。俺が参加すると寄付を集めやすいんだってさ」
デスマスクはがしがしと自分の髪をかき回し、それから『はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』と溜息をついた。
「なるほどな、何となく判った。アンタは悪くねえが、明日あたり頑張れよ」
「何を頑張る必要があるのだ」
こちらは未だ意味が判らず、デスマスクに問い返す。
だがデスマスクは、ひとり勝手に納得したまま教える気はなさそうだ。
「どうせすぐに判る。首突っ込んで損したぜ」
ひらりと手を振って道を引き返していく。
その背中を見送り、いきなり押しかけてきて何なのだとアイオロスは思ったが、それでも彼なりにサガを心配してのことのようだったので、後輩の無礼をとりあえず不問とした。


そして翌日、サガが結婚祝いにと持ってきた包みを前にして、アイオロスは慌てる事になるのだった。
自分の説明不足によって出費させてしまったことを謝ると、またサガが呆然としている。
(昨日といい今日といい、サガのこういう顔は珍しいな)
そんなことを思っていると、サガが何故かうち萎れた。
「ど、どうしたのだサガ」
「自己嫌悪だ…お前の話を聞いて、わたしはホッとしてしまった…」
暗くなっている友の前で、アイオロスは贈られた包みを開ける。
中に入っていたのは、品の良いペアのワイングラス。
アイオロスは贈り物からサガへと視線を戻し、にこりと笑った。
「有難う。これ、片方はサガ用のにするよ。オレとサガでペアのグラスにすればいい」
萎れていたサガがその言葉で顔をあげる。
「アイオロス、わたしを軽蔑しないのか」
「はは、意外にそそっかしいなとは思ったが、そんな事は思わないさ。で、早速今から飲みに来ないか?」
「まだ昼間だというのにそのような…」
「たまには良いだろう。ゆっくり二人でいろいろ話そう」
言葉が足りないから、誤解が生まれる。そういうとサガもようやく頷いた。
アイオロスが手を差し伸べると、サガが戸惑いながらも手を繋ぐ。
急に恥ずかしくなって、サガは俯いた。そんなサガの手をアイオロスが力強く引く。
二人はまるで恋人のように、人馬宮の奥へと入っていった

(2008/11/27)


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