アクマイザー

共生


時折サガは冥界へも降りていく。
同居しているカノンや、次期教皇となる親友の目を潜り抜けて他界へ渡る事が出来るのも、隣宮のデスマスクが密かに協力してくれるからだ。
もっともデスマスクとてあまり良い顔はしない。

それはそうだろうとサガは思う。敵対していた冥王の腹心と、元聖域の反逆者との交流など、周囲へ疑心暗鬼を生むだけに決まっている。
それでも、黙って巨蟹宮に繋がる黄泉比良坂への道を開いてくれるデスマスクに、サガは感謝していた。
この年下の同僚とサガとの絆は、シュラやアフロディーテとの信頼関係ともまた異なっていた。

飛ぶようにサガが向かうのは、冥界の中でもエリシオンと呼ばれる場所だ。
聖戦後のエリシオンは、隔絶された神の道の向こうではなく、再生された冥界の一角にしつらえてある。
それでも人間の魂などが迷い込まぬよう結界が張られ、冥闘士の立ち入りも許されない。サガとてタナトスの許可がなければ、結界に踏み込んだ途端に弾き飛ばされるだけだろう。

タナトスとサガの不思議な関係は、サガが自ら死を選んだときから続いている。
厳密には、サガが十三年もの間にわたって死を願い請い続けた、その始めからだ。
自決というけじめの形であったとはいえ、自分の手で命を絶ったサガは、その魂の管轄を死の神タナトスの手に委ねたのも同じだった。
その後の聖戦や女神の計らいによって、サガは聖闘士として蘇ったものの、未だに彼の中には死への感謝と平安への憧れが刷り込まれて残っている。
実際のところタナトスの司る死は、彼の性格によって極端な偏りをみせ、奪うばかりの乱暴な表層部分が中心となってしまっているのだが、聖戦後は女神との協定により力を抑えているため、サガの忌むような部分はとりあえず発揮される事が無い。そのため、一度タナトスによって歪められたサガの価値観は、比較的おだやかに死の神を再び受け入れたのだ。
黒サガは反発したが、白サガは自分の意思を曲げなかった。

サガが花を踏みしだきながらエリシオンの離宮を訪れると、そこには先客がいた。
タナトスの兄弟神、ヒュプノスだ。
眠りの神であるヒュプノスは、髪や瞳の色が異なるだけで、タナトスと瓜二つだ。
金と銀の二神は、真ん中にチェス盤を乗せたテーブルを挟んで、椅子に腰掛けている。
勝負に熱中している様子で、サガの来訪を気づいているだろうに、見向きもしない。
邪魔をするつもりはなかったので、サガは静かに傍らへ寄った。自らもチェスをたしなむため、彼らがどのような勝負をしているのか興味もあり、盤上の駒へ目を通してみる。
そうしてしばらくの間、攻防を眺めていたサガは、ひそかに眉を顰めた。一見すると互角の勝負をしているように見えて、あきらかにタナトスは遊ばれている。しかもそのことに気づかないよう、巧妙な陣がヒュプノスによって敷かれている。
タナトスの策も悪くは無いが、短気な性格が駒運びにも現れていて、狙いが読みやすいのだ。
チェスの腕前に関してだけでいえば、明らかにニ神の間に差がある。
それでいて、わざと勝負が長引くようヒュプノスは加減をしてタナトスの駒を導いていた。

タナトスびいきの白サガとはいえ、傍若無人なタナトスの性格は熟知していたので、そんなあしらいに気づいたらどれほど怒り狂うかと心配になり、思わずヒュプノスの顔を覗いてしまう。
困ったようなサガの視線に気づいて、ヒュプノスは口元だけで笑った。
指先で兵士の駒を進め、眠りの神は来客へ初めて声をかけた。
「駒が指し手の心配をする必要は無い」

横で聞いていたタナトスには『駒である人間が、神の勝負に口を挟むのではない』という意味で届いたであろうその言葉の隠された意味を、サガは正確に読み取って顔を赤くした。

サガもまた宿命に踊らされている。死を想うこの気持ちが、情愛からではなくカルマによるものであると判っていながら、それでも冥界へ足を運ぶ事を止められない。
タナトスの事を嫌ってはいない。むしろ好んでいる。しかしその性格を人として愛しているわけではない。恩ゆえに感謝はしているものの、死にどうしようもなく惹かれるのは、魂が安寧を求めているからであり、ある意味タナトスの存在を心の平安のために利用しているようなものだ。
それではゲームで踊らされているタナトスと大差はない。いや、自覚のある分サガの方が性質が悪い。
他人の心配を出来る立場か…そうヒュプノスは揶揄したのだ。

サガが内心落ち込んで下を向くと、タナトスが駒を盤脇へと置いた。
「今日の勝負はここまでだ」
ヒュプノスが怪訝な顔を向ける。
「まだ、勝敗はついておらぬが」
それへの返答は、タナトスらしい勝手なものだった。
「もともとこの男が来るまでの時間潰し。いちいち先を決めてやらねば動かぬ駒よりも、生きた駒のほうが優先されるに決まっている」
ヒュプノスは呆れたように息を零しながらも、椅子を引いて立ち上がった。
「いつも言っていることだが、人間を侮ると痛い目を見るのはお前の方だぞ」
「侮っているわけではない」
タナトスは即座に答え、同じように立ち上がったが、その先の言動は他の二人にとって予想外のものだった。
「求める人間に救いを与えるのは、神の仕事なのだろう?」
下を向いていたサガを引き寄せ、己の長衣へ抱き込む。思わぬ死の神の行動にサガは驚いたが、ヒュプノスもまた同様に目を見開いた。タナトスの口から救いなどという言葉が出たのは、覚えている限り初めてのことだったからだ。

忌み畏れられるだけであった死にとってもまた、それへの感謝を隠さないサガは異質であり、タナトスを好む数少ない人間だった。たとえ彼が他神アテナの領域に属する者であったとしても。

サガがタナトスによって歪められたように、タナトスもまたサガの影響を受けていた。
祀る者の存在が神を変える…その事を知っているヒュプノスは一瞬眉を顰めたものの、タナトスへは何も言わず、サガの方へと視線を向ける。
「双子座の宿星を負う者よ、僅かのあいだタナトスを貸してやろう」
たかが人間が、自分の半身に変化をもたらした事は気に入らない。しかし、そう思うこと自体、人間を侮っていたのは自分の方やもしれぬと自省するだけの判断力がヒュプノスにはあった。

花園の離宮へ二人を残し、立ち去ったヒュプノスは小さく溜息をついた。
「神であれ完全にカルマの影響を退け、六道を外れる事は難しいという事か」
セブンセンシズを超え、八識すら超越したはずの神の住まう天界が、輪廻に組み込まれている理由もここにある。完全であるはずの神もまた、変質することがある。
神である自分の記憶が薄れるほどの彼方、かつてタナトスも冥王も、人を愛していた頃があったような気がする。それを長い歳月で変えたのもまた、人ではなかったか。

タナトスの変化が良いものであるのかそうでないのか、ヒュプノスにも、まだ判断は付かなかった。

(2008/3/25)


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