アクマイザー

混沌を喚ぶもの


「これが双児宮か。随分と手狭で貧相な宮だな。冥界では三巨頭にも城程度は与えているというものを、アテナはケチなのか?エリシオンへ戻れば、もっとお前に相応しい待遇をするが」
「サガ、タナトス様もこのようにおっしゃっておられます。冥界はいつでも貴方を歓迎いたしますよ」
「お二方の気持ちだけ有難く頂戴します。それと、女神は戦時における守護宮の機能性を重視なさるお方ゆえ、吝嗇であるわけではありません。…神をおもてなしするには確かに此処は手狭で申し訳なく思いますが、我々聖闘士が守護し維持する分には丁度良いのです」
ごく当たり前のように目の前で繰り広げられている三人の会話に、カノンは思わず叫んでいた。
「貧相な宮で悪かったな。嫌ならとっとと冥界へ帰るがいい。サガもサガだ、何でこんな連中を呼んだりしたのだ!」

小宇宙を押さえもせずソファーにふんぞり返って座っているのは、冥王の従神のひとりタナトス。そしてその脇に控えているのはミーノス。
双児宮の居住エリアのリビングに居座っている彼らをみて、カノンは早くもげんなりしていた。聖戦における敗神であるにも関わらずタナトスが尊大な態度を崩さないのは、神の傲慢さからではなく、地の性格によるものと思われる。警護役として付いてきたミーノスもまた輪をかけて慇懃無礼な性格だ。普段のサガも尊大なオーラを纏っているが、少なくとも白サガは礼節を心得ている。
先刻、隣宮である巨蟹宮に強大な小宇宙が沸き立ち、それが自宮へと移動してきたときには何事かと臨戦態勢をとったカノンだった。警戒態勢をとったのは自分だけではなく、聖域に滞在している聖闘士全てのはずだ。デスマスクは何をやっているのだと心配とも付かぬ危惧をまわしていたというのに、まさか自分の兄がその警戒対象を嬉々として出迎えるとは。
聞けばデスマスクの作った冥府への通路からタナトスを招いたのだという。あまりの事に言葉もなく呆然としているカノンの横を通り抜けて、サガは冥界からの二人を双児宮へと招きいれたのだった。

「カノン…私の客神に対して失礼な事を言わないでくれないか」
毛を逆立てた猫のように敵愾心をぶつけるカノンへ、優美な眉をひそめてサガが諌める。
「失礼な事を言っているのは奴だ。そもそも聖域に簡単に神を呼ぶな。何事かと思って、他の黄金連中がこの宮を感知してるのが判るだろう!」
カノンも負けずに言い返す。二人の諍いを目の前に、タナトスは素知らぬ顔でサガに出された紅茶を口に運んでいた。上質なセイロンの香りが部屋に漂っている。
「お前もよく冥界のワイバーンを呼んでいるではないか。私はタナトス様に大変世話になったのだ。今は休戦協定を結んでいるのだから、お呼びしても問題はあるまい」
「ほう…あの朴念仁がこちらへ良く訪問をですか…」
「横から何だミーノス、その物言いたげな目は。なあサガ、ラダマンティスは普通の人間だが、お前だって他の神が女神の聖域へ来るとなったら用心する筈だろ」
アイオリアあたりがこの場にいれば、翼竜を普通の人間呼ばわりしているカノンに突っ込みを入れていたろうが、残念ながらこの場に常識人はいなかった。
「カノン。この兄に恥をかかせないでくれ。タナトス様は聖戦後の療養中で、まだ本調子ではない。客としてお迎えしたのだから、用心するという以前にお身体を労わるのが人として当然だろう」
ゆったりとした口調で弟を諭すサガの目には、『問題があれば、自分がタナトスを止める』との意思が見えている。ラダマンティスを双児宮へ呼ぶときのカノンも同じ覚悟で臨んでいるのでそれは判る。判るが相手は神だ。神を相手にその自信はなんだ。
聖戦の時にアテナと聖闘士によって倒された冥界の三神は、確かに力の再生中だった。寿命の短い人間が復活後の数日で力を取り戻したのと違い、悠久の時を存在する神々の数日は数十年単位にあたる。サガの言うとおりタナトスの小宇宙は万全ではないのだろうが、それでも桁違いの脅威には違いないのだった。

口の中で唸り声を抑えたカノンをよそに、サガはソファーの足元へと座り、嬉しそうにタナトスを見上げて構い始めた。それはもう本当に嬉しそうだ。自分の意思はつねに押さえ気味のサガが、これほどに好意をあらわにしているのも珍しいことだった。
(今日は久しぶりに統合したサガではなく白100%のサガだなと思っていたが、まさかこの死の神に会うためだったとは)
カノンは痛むこめかみを押さえた。昔は兄のことを感情の表し方が下手なのだと思っていたが、13年ぶりに再会した兄を知るにつれ、単に好意の発露の仕方や方向が歪んでいるだけなのではないかと感じるようになった。黒サガだけでなく白サガもかなりアレな部分があるように思う。
タナトスについて以前サガが評した『昔のカノンにどことなく似ている』という言葉は、カノンをとても複雑な気分にさせていた。
「っていうかその傍女のような体勢はなんだ!普通にもてなせ!」
あまりにも自然にサガがかしずくので、うっかり流してしまうところだった。
「神と同列の位置に座るわけにはいくまい。これ以上失礼を重ねるのなら、アナザーディメンションで異界へ飛ばすぞ……申し訳ありませんタナトス様、煩い弟で」
心底申し訳無さそうにサガが謝っている。
(オレか?オレが悪いのか!?)
カノンは全然納得がいかない。しかしタナトスは怒りもせず紅茶のカップをテーブルへと置くと、床に座るサガへ手を伸ばした。
「同じ顔ながらお前と違い、随分と粗暴な弟のようだ。しかし言っていることには一理ある。隣席を許す」
(へえ、タナトスは短気な神だと聞いていたが、失礼なだけで案外モノわかりは良いのだろうか)
そんな感想をカノンが浮かべている中、サガはなにやら躊躇している。
「いや、その…ここは聖域ゆえ…エリシオン方式は…」
「このタナトスを労わってくれるのだろう?」
その言葉の後に展開された二人の行動に、カノンは一瞬で先の感想を撤回した。
ためらいながらも手をとったサガを、タナトスは強引に自分の膝上へ横抱きに引き寄せたのだ。
ちょっと待て、何だそれは。
「エリシオンの作法はどうも慣れぬので…」
俯きながらサガが馬鹿なことを言っている。作法って何だ作法って。まさかそんな言い分で騙されているのか。うわ、隣でミーノスがほくそえんでいやがる。冥界の奴にこんな馬鹿がジェミニだと思われるのは聖域の恥だ。サガは頭が良いのに、こういうところだけは時折抜けているのだ。しかもタナトスの野郎、サガの腰に手を回しやがった!

さすがにキレたカノンがサガを引き剥がそうと手を伸ばしかけた途端、テーブルの上に置かれていたタナトスのカップが、飛んできた黄金の矢で砕け散った。
「「「………」」」
見事にテーブルに突き刺さる矢を注視して一同無言となっている。怒りも忘れ、カノンは恐る恐る矢の飛んできた入り口を振り返った。
この十二宮で自由に武器を扱えるのは奴しかいない。矢を見た時点で判っていたことだが、入り口には人好きのするにこやかな笑顔を浮かべた射手座のアイオロスが、黄金の矢をたずさえて立っていた。
白サガが嬉しそうな顔を見せる相手第二号。
(しまった、冥界の輩に気を取られて双児宮へ迷宮を張るのを忘れていた。様子を見に他の来訪者が来る可能性も念頭に入れておくべきだった…)
カノンは頭を抱えた。アイオロスの後ろに黒い小宇宙が見えるのは気のせいだろうか。
ミーノスがゆるりとタナトスの前へとたち、身体で死の神に対する攻撃の軌道を塞ぐ。射手座に負けぬ笑顔でいるが、こちらも目が怖い。
「我らに矢を向けるとは、アイオロス殿は休戦協定を破るおつもりだろうか?」
「いやだなミーノス殿。今のは単なる歓迎の余興だ。お二人を狙っていない事など、はなからお分かりだろう」
二人の小宇宙がぶつかってチリチリ火花を飛ばしているのが手に取るようだ。ミーノスとの一瞬の対峙の後、アイオロスはタナトスへ向き直るとやんわりと牽制した。
「次期教皇として、聖域へのお越しを心より歓迎いたします。そのエリシオン方式とやらをご所望であれば、私もそのようにいたしますが」
そんな怖いことは言うなアイオロス。
「教皇といえば聖闘士の頂点だろう。此度は私的訪問なのでな。そこまで歓待してくれずとも結構。そうだな…そちらのカノンとやらであれば、サガと並べて愛でたいものだが」
頼むからオレに振らないでくれ二流神。
「アイオロス!君も来てくれたのか。私が世話になったタナトス様のことを、君にも紹介したいと思っていたのだ」
緊迫の空気の中で、サガはタナトスの膝の上から思わぬ射手座の来訪を喜んでいる様子だ。この状況でそんな反応を見せている場合か。しかもその位置で、そんな風に死の神の首へ腕を回しながら言っても逆効果だと思う。ほらみろ、アイオロスの小宇宙が更に暗黒化したじゃねえか。
「こんにちはサガ。来たのは私だけじゃないよ。女神も双子神にはお世話になったので、是非ご挨拶をしたいとおっしゃってね」
アイオロスの後ろから現れた女神および付き添いのシャカに、カノンはもう逃げ出したくなっていた。世話になったというのはアレか。冥界でタナトスの兄弟であるヒュプノスによって壷に突っ込まれたことか。

(双児宮が人外魔境になっていく…)
笑顔で黒い小宇宙を燃やしているアイオロスと女神。にこやかに腹黒なミーノス。何も考えていないがサガには保護意識を向ける破壊力抜群のシャカ。おそらく周囲で臨戦態勢を取っている黄金聖闘士たち。
そしてそんな中、能天気にいちゃついている白サガと鉄面皮のタナトス。
この後の表面上だけは穏やかな修羅場を想像して、カノンは気が遠くなった。
それこもれも考えなしの兄のせいだ。クロノスは兄を混沌を呼ぶものと宣託したそうだが、その通りなのではないかと最近とみに思う。サガには物事の混乱を大きくする力がある。

サガの凶悪パワーに対抗すべく、カノンはささやかに日本のマジナイに頼ることにした。こうなったら気は心、藁をも掴む心境だ。そっと集団から抜け出し、物置からホウキを持ってきて入り口に逆さに立てかける。そうして本気で祈った。

(頼むから全員早く帰ってくれますように)

(2006/12/10)


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