アクマイザー

光の小路


周囲は薄暗く、何もかもが曖昧だった。
サガはぐるりと辺りを見回し、それから前方を見た。道が前へと伸びている。他に行き先は無い。
不思議と迷いは無かった。どうすればいいのか、彼には判っていた。
道を進めばその先には階段がある。どこまでも降りていく階段だ。自分はその先へ向かうのだ。
歩き出そうとしたところへ、見計らったように後ろから声が掛かった。
「あなたさまを、お待ちしておりました」
どこかで聞いた覚えのある声だ。振り向くと、ぼんやりとした影のようなものが、凝り固まって人の形をとっている。顔の判別は出来なかった。
「わたしに何か用だろうか?」
あまり時間はなかったが、丁寧に話しかけてきた者を粗雑に扱うという選択肢は、彼の中にない。どのような相手であろうと、礼には礼を持って接するのが彼のやりかただった。
「ぜひとも、あなたさまに聞いていただきたいことがあって、ずっと待っていたのでございます」
影は答えた。待っていたというのは、嘘ではないだろうと思う。自分たちのようなものは、行くべきところが決まっていて、長くとどまる事は本来許されていないのだ。
サガはその影の前でかがみこんだ。目がどこにあるのか判らないが、視線の合いそうな位置まで腰を落とす。すると、影はサガの手を押しいだくようにして、両掌で捧げ持った。その手は骨と皮だけの、細い老人のものだった。
「あなたさまは、偽者の教皇でいらした…わたしがその事を知ったのは、こうなってからのこと」
「おまえは、カシモドか」
ようやく気づいて、サガは相手の名を呼んだ。名を呼ばれたことによって、影はいくぶん生前の形を取り戻し、表情の判別ができるようになった。
「おまえの言うとおり、わたしは教皇に成り代わり、おまえたちを騙していた。恨み言があるのならば、逝く前に聞いておこう」
もうすぐ自分は黄泉路へと向かわねばならない。この世界は自ら命を絶った瞬間に切り取られた、動かぬ時間の狭間なのだ。
「あなたさまは思い違いをなさっておられる」
カシモドが触れている箇所から、暖かいなにかが流れ込んでくる。もっとも既に感覚を司る肉体は失われているので、そのような気がしたというだけかもしれない。
「あなたさまが本物であろうと偽者であろうと、わたしがあなたさまの言葉で救われたことは、変わらんのです」
サガは驚いてカシモドの顔をみた。今ははっきりと老人の顔が判る。
「しかし、わたしは…」
「わたしだけではない。あなたさまに看取っていただいたものたちは皆、あなたさまの言葉に救われました。待ち望んでいたものの、まさか本当にあなたさまのような雲の上のお方が、我らのあばら家に来てくださるとは」
気づくと、サガにまわりには幾つもの小さな影が集まっていた。幼くして病気で死んだ少年、貧しさゆえに身売りをせねば生計の立たなかった女性、身よりもない老婆、末期のアルコール依存者…全てサガが最後を見届けた者たちだった。
「あなたさまは神になろうとした。そして、死後もその罰をうけようとなさっておられる」
「傲慢への罰は当然のことだ」
「サガ様」
少女が隣から口を挟む。
「あたしたちにとって、サガ様はかみさまだよ」
そういうと、少女の形をした影は、ぽんと弾けて光となった。
他の影も次々と弾け、辺りは小さな光で満たされる。カシモドは穏やかにサガの手を離した。
「ひとに救いをもたらすものを神と言うのならば、あなたさまは神さまだ。いいや、あなたさまだけではない。ひとは誰もが救いあい、互いに神となることができるのだ…そのことをあなたさまは教えて下さったのです。騙してなんぞ、いない」
言い終わるとカシモドの姿も薄れ、そこには小さな光が残る。
「…おまえたちは、そのことを伝える為に、残ってくれたのか。わたしの心を安らげようとして」
ぽつりとサガが呟くと、光たちはゆっくり彼のまわりを旋回するようにめぐり、それから道の先へと飛び去っていった。この先にある暗渠のさらに先、黄泉比良坂へ。そして冥府へと続く穴のなかへ。
サガはそれを黙って見送った。

「わたしにとっては、おまえたちこそ、救いであった」
光が飛び去ったあと、サガは泣いた。
嘘と血にまみれた13年ものあいだ、慰問先で出会う人々とのささやかな交流は、己の中の闇と戦い続けるサガにとって、どんなに励みとなったろう。
自分が行ったことに対する罰は受けなければならないし、その覚悟はできている。
けれども、彼らの行く先も自分と同じハーデスの作った冥府だ。
ただの村人であった彼らが、エリシオンに迎えられる可能性はまったくない。
彼らが、ひとが、死後でまで苦しまねばならない理由が、サガには判らなかった。
「アテナよ…どうか、世界を変えてください」
言ってから、ふっと自分が殺してしまった英雄アイオロスを思い出す。
(彼もこんな気持ちで、女神を託したのだろうか)
祈りのような、信頼のような、そして自分の手でそれを成せぬことへの未練のような、強い想い。
死んでしまった自分は、ハーデスの死後の掟に縛られる。あとのことは、生きている者たちに託すしかない。
(いいや、わたしは諦めない。諦めては、ならない)
死んだものが何も出来ないなどと、決めたのも神だ。魂だけとなっても、女神をたすけ、彼らを救うことの出来る機会が、きっとくるはず。それが自分に出来る彼らへの贖罪ではないか。

サガは歩き出した。聖闘士である自分は、彼らよりももっと深いところへ降りるのだ。
おそらく、最奥の地獄・コキュートスへ。
けれどもサガに恐れはなかった。先ほどのカシモドたちの光が、胸の中に残っている。それは神であろうと決して消すことの出来ぬ人間のひかりだ。極寒の世界であろうと、永遠にサガの魂を暖め、光を灯してくれる。
カシモドたちだけではない。自分を倒した青銅聖闘士たち、生き残った黄金聖闘士、そして女神。
彼らの全てが光を与えてくれる。
ならば、ただ人を罰するだけの地獄に、どれほどの意味があるというのだ?
(人間はもう既に、ハーデスに勝っている)
歩きながら、サガはそう思った。


(2010/10/8)

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