アクマイザー

新月


夜半にサガが巨蟹宮へ侵入してくる気配に気づき、デスマスクは寝台から身を起こした。
サガといっても髪の黒い方だ。彼はかつての側近たちの宮の中へは許可を取る前に勝手に入り込んでくるので、いつしか慣れて出迎えることなく、己の元にまでたどり着くのを待つようになっている。
聴覚を研ぎ澄ませ、サガの足音を聞いた。サガも巨蟹宮では足音を隠さない。コツコツと静かな靴音を真夜中の守護宮へと響かせながら、ローブの衣擦れが近づいてくる。やがて目の前へ密やかに黒髪の暴君が姿を見せた。
(顔色が悪い)
デスマスクは直ぐにそう思った。青ざめてみえるのは闇に紛れているせいではない。
「どうしたんだよ、オイ」
体調でも悪いのかと椅子を勧める。だがサガは首を振った。その瞳からは激しい怒りが伺えたが、その怒りは周囲に発せられる事は無く、どこか自暴自棄に感情を打ち捨てているようにも見えた。
「アレに身体を任せると、碌なことをしない」
サガはそれだけ言うと、デスマスクの休んでいた寝台へと倒れこんできた。慌てて彼が休めるだけの空間を空け、自身は寝台から降りる。アレというのはもう一人の白い彼のことだろうとデスマスクは見当をつけた。
「一体何があったんだ」
問うもサガは口を開こうとしない。ただ傷ついた獣のように歯を食いしばり、寝台で何かに耐えていた。こういうときの彼に返答を求めても無駄であることをデスマスクは知っている。せめて布団をかけようとして、デスマスクはサガのものではない小宇宙の痕跡に気付いた。
強い小宇宙は香水のように存在を残す。サガの小宇宙にかき消される事なく残留するほどの強力な小宇宙の持ち主について、デスマスクは心当たりがあった。これは間違えようの無い死(タナトス)の気配。
「何やってるんだ、アンタら」
「…」
唸るようなサガの呪詛が聞こえる。デスマスクは自分の危惧が正しい事を直感した。
「あの二流神にイイようにされて、逃げ帰ってきたってワケ?」
呆れたように吐き捨てたとたん、デスマスクの頬を殺気の篭った凄まじい風圧がかすめる。力が一点に収束しているために壁が吹き飛ぶこともなく、背後の壁に拳大の綺麗な穴があいた。
「そのような事を、させるものか」
宵闇の中でも炎のような紅い瞳が怒りに燃えている。その言葉に嘘は無いようだ。
色事には長けたデスマスクは、サガの来訪の意味を理解した。おそらくどうにかしてタナトスと白のサガの行為を途中で止めさせたのだろう。巨蟹宮でタナトスの小宇宙の残滓が消えるのを待ち、死の神によって高められたであろう性への欲求をも鎮めるつもりなのだ。
誇り高い彼がこんな姿をカノンへ見せるわけが無いし、ましてやアイオロスやシュラの宮へ行くわけもない。自宮へも戻れず人馬宮を通れないとなると、デスマスクを頼るほかないのだ。頼ると言うよりは「利用」かもしれないが。
それでも自分が彼らとは別の意味でサガの特別である自負がデスマスクにはあった。
「解消、手伝ってやろうか?」
ニヤニヤしながらデスマスクが声をかけると、射殺されそうな視線が返された。無論デスマスクも本気ではない。
「まあ、勝手にそこで休んでけ。俺はソファーで寝っから」
自分用に毛布を1枚ひっつかんで、寝室を後にする。黒サガが何かを言いかけていたが、デスマスクは気づかないフリをした。手負いの野獣に手を出して噛み付かれることなど怖くないが、野獣の弱った姿は見たくない。だから捨て置いたまま、隣室のソファーへごろりと横になる。
(明日は二人分の朝食を用意しなきゃならんのか。面倒臭えな)
デスマスクはそんな事を思いながら再び眠りについた。

(2008/7/30)


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