アクマイザー

六日目


翌日、本当にアイオロスはやってきた。
雑兵と変わらぬ訓練着姿で、何も知らぬ者がその姿を見たならば、とても教皇だとは思わないだろう。
聖域の要である彼がたった一人でこのような場所まで来るために、しきたりやスケジュールの上でかなりの無茶をしたであろうことは想像に難くない。
彼は遠慮がちに小屋の扉をたたき、紅眼のサガが無表情に扉を開けた。まるで立場が逆転しているかのようだ。アイオロスがにこりと微笑みかけても、サガは視線で”入れ”と指し示すのみだった。きれいに表情を消した顔には、かつての憎しみも羨望も見えない。
感情を押し殺した能面のような顔を改めて見ると、なるほどもうひとりのサガと同じつくりをしているのだなと気づかされる。こちらのサガは本心を隠しても感情を表さぬ事など今までなかったので、それほど似ているとは思っていなかったのだが、静かに伏せられた睫毛の長さなどに気づくと、この人は美しいひとなのだと実感する。
「ここは、いい所だな」
それがアイオロスの第一声だった。穏やかな低い声が、狭い小屋の中に染みこむ。
そして彼はぐるりと部屋の中を見回した。
簡素なテーブル。二人分の椅子。壁から下がるのは乾燥ハーブとにんにく位で、余分なものは何一つ無い。生活感しかない小さな小屋。
サガはそっぽを向いている。
「なるほど、これは私が君たちに与える事の出来ないものだ」
どこか寂しそうな顔でアイオロスが言う。
「教皇である私が、黄金聖闘士である君たちに差し出せるのは、血と栄光だけ」
「聖闘士に、他のものは必要あるまい」
視線を合わさぬまま、サガが呟いた。
サガとアイオロスは、時折余人の計り知れぬ何かを共有しているのではないかと感じる。アイオロスに反発している黒髪のサガの方ですらも。誰も入り込めぬ至高の領域を、俺は外から眺めているしかない。この二人はどうしようもなく生粋の聖闘士で、それ以外の生き方など出来ないに違いない。
俺は少しだけ、サガをこんな処へ連れてきた事を後悔した。
「ジェミニのサガ、そしてカプリコーンのシュラ。聖域へ帰って来い」
はっきりと、アイオロスが畏れていた言葉を形にする。それは依願ではなく、命令だった。
サガがようやくアイオロスに視線を向ける。そして何故か、俺にもその紅い眼をチラリと向けた。
その瞳の奥に、何か言いようの無い熾火を感じたが、それが何かは判らなかった。
「黄金の弓矢を持ちながら、聖剣まで欲するとは、贅沢な奴だ」
口元だけで、サガが哂う。
「私が望むのではない。もともと我らは女神の懐刀。十二のうち一つでも欠けさせるわけにはいかない」
「なるほど。この命我が物に非ず…か。蘇生された時点で覚悟はしていたがな」
サガは肩にかかっていた黒髪を面倒くさそうに払いあげている。その仕草も優美なもので、このような時にも関わらず、俺はその指先を思わず追っていた。
「シュラ、お前は女神のものか?」
唐突にサガが俺に尋ねた。
「はい」
何故そのような当たり前のことを今さら確認されたのか判らなかったが、答えるまでもなく今の俺の忠誠は女神のものだ。もう節を曲げるつもりは無い。
その返答を聞いたサガは、ふっと口元に笑みを浮かべた。
「ならば、仕方が無い。借り物は返さねば」
「サガ?」
その途端、ザ…とサガの髪がざわめき、先端から漆黒が抜けはじめた。
驚いて再び名を呼ぶも、サガはもう俺にも振り向かなかった。
「この数日、なかなか楽しい茶番だった」
茶番というのは、ここでの暮らしのことだろうか。不意に頭を鈍器で殴られたような気がした。
サガは真っ直ぐにアイオロスを見ている。
「山羊座と双子座を、貴様に託す」
「有難う、サガ」
アイオロスもまた真っ直ぐにサガを見た。
ざわりと胸の中を焦燥が走る。これでいいのだろうか。カノンは俺に「宜しく頼む」と言っていたのではなかったか。しかし、それは聖闘士として間違った事ではないのか。
聖闘士として
はっと俺は気づいた。このまま黒のサガは消える気だ。それは確信に近かった。
慌ててサガを背中から抱きとめる。サガの髪からはほとんど黒が消えていて、絹糸のような銀糸が煌いていたが、構わず俺は叫んだ。
「山羊座と双子座はお返ししますが、サガは返しません!」
自分でも血迷ったとしか思えぬ台詞だ。アイオロスはびっくりしているが、俺とて出てきた言葉に自分で驚いた。
「す、すくなくとも、こちらのサガは、返しません。人としての暮らしを、茶番なんて言っているうちは、返せません」
教皇に、いや、かつて殺した先輩聖闘士に、こんな言い分で反駁するなど、図々しいにも程があるというのは判っている。黒のサガこそ贖罪の義務があることも判っている。
だが、消えることがその方法だとは思わない。
彼に償わせるためにも、本当の意味で両方のサガを女神の聖闘士とするためにも、まず人としての生き方を先に教えなければならないのではないだろうか。
そんな想いが、一瞬の電撃のように脳裏を走り抜けた。
背中を抱きしめているので、サガの表情は見えない。
しかし、彼の右手が動いて俺の腕に触れた。ああ、間に合ったのだ。
呆気にとられていた様子のアイオロスが、しばらくの後、苦笑する。
「…教皇になんて、選ばれるもんじゃないよなあ」
とても聖域の神官たちには聞かせられない言葉を聞いたような気がするものの、アイオロスは直ぐにいつもの大らかな笑顔を取り戻した。神のような笑顔というのは、こういうのをこそ指すのではないだろうか。
俺がサガから身体を離すと、アイオロスが代わりにゆっくりとサガへ手を伸ばした。
「しょうがない。ここを拠点のひとつとすることを、教皇として許す。でも今日は一緒に聖域に来てもらうよ。教皇としての面子もあるし、今後の打ち合わせもあるからね」
ね?とアイオロスが引き寄せ覗き込んだサガの瞳は、もう空の蒼だった。その瞳が震え、困ったように俯いている。
もうひとりのサガが教皇の胸に抱きとめられるのを、俺は不思議と落ち着いた心境で眺める事が出来た。

このあとは聖域で面倒な手続きを済ませて、引退したシオン様にもたっぷり怒られて、これからの勤務形態の変更について打ち合わせることになるのだろう。忙しい1日になりそうな気がする。それでも二人で創りあげたこの小さな世界を続けていくことが出来るのなら安いものだ。
明日は7日目だ。安息日くらいはサガを休ませてあげようと俺は思った。

(2009/12/16)


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