アクマイザー

実りの時


空は高く晴れ渡り、乾いた風が白亜の十二宮を抜けていく。
日用品の買出しに出かけようとしていたアイオリアは、獅子宮から下り行く公道の途中、巨蟹宮の前でサガがぼんやりと佇んでいるのにすれ違った。
今日のデスマスクは勅命で留守だから、彼に会いに来たと言うわけではないだろう。通行目的ならば、勝手に中道を抜けられる。現にこうして自分が通り抜けて来たのだ。
軽く頭を下げてそのまま行きかけ、ふとサガの気配に振り返る。とても静かにだが、サガは内的な小宇宙を高めていた。六感からセブンセンシズ…阿頼耶識へ。
巨蟹宮の前で、八識まで小宇宙を高めるとしたら、理由は一つしかない。
この宮にある隠し路・黄泉比良坂を抜けて冥界へ行くつもりなのだ。
双児宮の守人達が、時折死の国へ降りていくという話は聞いていた。兄の方はエリシオンへ、弟の方はカイーナ城へ。アイオリアからすると、どちらも良い趣味だとは思えなかったが、それでも後者は健康的な印象がある。
だが、サガの方については、どうもよく判らない。何をしにエリシオンへ下りているのかも、自分は知らない。
すれ違ったときの虚ろな表情が気になって、アイオリアは踵を返した。
「どこへ行くつもりなのだ、サガ」
突然に話しかけられたサガは、引き返してきたアイオリアを見て逆に首をかしげた。
「エリシオンへ」
返された言葉は、アイオリアの予測どおりのものである。
「誰かに会いに行くのか」
まるで尋問のようだと思いながらも、口から出る言葉は止まらない。サガは首を振った。
「いいや…ただ、静かな場所を探していた。エリシオンならば美しいし、何より一人になれるからね」
放って置いて欲しいという言外の意味を読み取れぬアイオリアではない。
だがアイオリアはサガの表情から、もっと別の事も読み取った。そして下方にある双児宮から感じるカノンのぶっそうな気配も。少しどころではなく小宇宙が荒れ、空気がざわめいている。
「カノンと喧嘩したんだな」
そう尋ねると、サガは苦笑した。この双子は一緒に暮らすようになったものの、相変わらず定期的にぶつかりあう。どちらも呆れるほどにブラコンの癖して、やっぱり揉めるときには揉めるのだ。
それは、13年間の互いの不在を埋めていく上で、必要なコミニュケーションだとアイオリアは思う。そして、その事に関して他人が口を挟むべきではないとも思う。しかし。
「…サガ、地上は美しいのに、何故エリシオンへ行くのだ」
一人で思索するのならば、幾らでも場所があるはず。
サガは黙ったままアイオリアを見て微笑んだ。
「弟殺しのわたしに相応しい場所だから」
「サガ!」
思わずアイオリアは怒鳴った。サガが言っているのは、13年前のスニオン岬でのことに違いない。
「カノンは死んでいない」
他人事のように零される卑下と自嘲を、強い口調で咎めるも、サガには響かない。
「それは偶然が重なった結果にすぎない。海神の矛を見つけなければ、カノンは死んでいた。そんな場所に閉じ込めたわたしを、カノンが許さないのも当たり前だ」
サガは本気でそう考えているようだった。これでは喧嘩になるはずだ、とアイオリアは思った。カノンの言葉が届く前に、サガは自分で自分を責める。行く先のエリシオンも、サガにとっては楽園ではないのだ。美しいだけの静かな絶望の地。だからサガはそこへと足を運ぶ。
それ以上を何も話す気がないらしく、サガは会話を切り上げて巨蟹宮の内部へ向かい歩き始めた。
アイオリアは一瞬躊躇したあと、直ぐに意を決してその背を追いかける。そして、サガが異次元の扉を開く前に、肩を掴んで振り向かせ、思いっきりその顔に拳を叩き込んだ。
避ける事など簡単に出来たろうに、サガはその拳をそのまま受けた。よろめく程度で倒れもしないのがサガの耐久性の高さを物語っている。アイオリアを見つめ返した瞳には『気が済んだか』と書いてある。
「冗談じゃない。兄さんだったら一発では済まさない」
アイオリアは低く唸った。
「遊びに、気晴らしに冥界へ下りるのならいい。だが逃げるためなら行かせない」
「…意外と、おせっかいなのだな」
突然の後輩の怒りも、届いているのかいないのか、サガの声は静かだった。
「カノンが可哀想だ」
出された弟の名前に、サガの表情が少しだけ動く。
「貴方がスニオンの水牢へカノンを閉じ込めたのは殺すためか?違うだろう。それなら水牢になど入れず、反旗を唆した時点で制裁死を与えていた筈だ。貴方は弟を殺せなくて、ほんの一片かもしれないが女神を頼った。そしてカノンは水牢内で女神の愛に触れる機会を得た。そのことが13年後にカノンの心を救ったのだ」
どうしてこれほど自分が激昂してしまうのか、アイオリアにも判らない。自分から13年間兄を奪ったこの男が、弟のことで苦しむ姿をいい気味だと思っても良いはずなのに、どうしてもそんな気分にはならないのだ。
「長い長い時間がかかったが、それは貴方の愛情がカノンを救ったという事でもあるだろう。それなのに、ようやくカノンが応えようとしたら、今度は貴方が自分でそれを否定するのか」
サガは黙って聞いている。
無表情なその顔へ、もう一発拳を入れてやろうかとアイオリアが憤りかけていると、サガの瞳からつ…と涙が零れ落ちた。
驚きのあまり、怒りの矛先が失われて動揺する。握りかけていた拳が緩む。
アイオリアの反応をみて、自分の涙に気づいたらしきサガは、自嘲しながらその涙を拭いた。
「見苦しいところを見せた」
「サガ…」
射手座の兄や、先輩の黄金聖闘士三人組が、サガのことを放っておけないひとだと評したのを聞いたことがある。そのときは理解出来なかったが、今は判るような気がした。強いくせに困ったひとなのだ、この綺麗な元反逆者は。
「そう思うのなら、後輩に兄弟喧嘩の心配などさせるな。カノンと仲直りしてこい」
言いながら、アイオリアは己の感情を理解した。
(そうか、俺は、この双子が仲良くあれないことが、許せないのだ)
アイオリアから不当に奪われた兄は死に、13年間の空虚を産んだ。兄弟の別離は彼のトラウマも刺激する。自分からかつて兄を奪った男が、弟と共に暮らせる僥倖を得ながらすれ違う贅沢を、きっと自分は認めたくないのだ。
サガがじっとアイオリアを見る。
「お前は昔と変わらぬ、優しい子だな」
「28にもなって、兄弟喧嘩ごときでそこまで落ち込む男に、子供扱いされたくない」
ムッとして言い返すと、ようやくサガは自嘲ではない笑みを浮かべた。
下宮からサガと同じ小宇宙が近づいてくる気配がする。カノンが兄を追いかけてきたのだろう。
アイオリアは心の中で、先ほどの台詞を訂正した。カノンは気の毒ではない。
神とまで言われた誇り高いこの男が、28にもなって兄弟喧嘩をしたくらいでここまで落ち込むほど愛されているのだ。全然気の毒ではない。

サガへ背を向けて、アイオリアは元来た道を戻り始めた。
今日は村へ下りるのはやめ、久しぶりに人馬宮を訪れてみようと思いながら。

(2009/10/9)


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