アクマイザー

宝探し


『君が俺のことをどう思っているのか知りたい』

アイオロスに問われた闇のサガは、どこか苦しそうに顔を歪め、それから俯いた。
月明かりの下では闇へ溶け込むかに見えた漆黒の髪も、いまや昇りゆく太陽の輝きで色あせて見える。
覚悟はしていたものの、即答のないことにアイオロスの胸は再度じくりと痛んだ。
せめて友人であると言って欲しかった。たとえそれが過去形であったとしても。
長めの前髪で隠れたサガの表情を覗きこむと、揺らいでいた筈の紅い瞳は、すでに意志の強さを取り戻している。ぎゅっと引き結ばれた唇がゆっくりと緩み、視線がこちらへと向けられた。
「お前はいつもそうだ。わたしの何もかもを暴いていく」
はっきりとした口調で告げられたそれは、まったく身に覚えがなく、かつ納得のいかぬ糾弾であった。
「何もかもどころか、君は決して心のうちを明かしてくれなかったじゃないか」
愚痴のような反論で返しても、サガは一層強くアイオロスを睨むだけだ。
何故こちらのサガにこれほど嫌われるのか、アイオロスには判らなかった。女神を助け、彼の野望を挫いたからだろうか。それとも、サガを差し置いて教皇に選ばれたから?
(そんなもの、たまたま俺がその場に居合わせたからに過ぎない。聖闘士であれば誰だって同じことをする。教皇選抜も俺がサガより優れていたからじゃない。消去法だろう)
アイオロスは胸のうちで呟いた。そんなこと、サガにも判っているはずなのに。

すると、サガが無言のままに指を伸ばしてきて、アイオロスの手を掴んだ。そして、そのまま引き寄せ自分の胸へと触れさせた。唐突な行為に驚く間もなく、途端に周囲の景色が消え去る。
気づくと二人は何もないモノクロの空間へ浮かんでいた。
灰色の世界のなか、時折ぼんやりと無声映画の一幕のような映像の切れ端が流れていく。重力は感じられず、たよりない浮遊感が平衡感覚を狂わせる。
通常空間から強制的に別空間へ移動させられたのだなと、アイオロスは思った。アナザーディメンションを使いこなすサガであれば、次元を操ることは容易いのかもしれない。
「ここは、異次元?」
しかし、サガは静かに首を振って否定した。彼は掴んでいたアイオロスの手を離し、空間を下へと降りていく。アイオロスは慌てて後を追った。足元にあったはずの地面は消え、深い沼の底へと沈むような感覚があった。下降する間にも、さまざまな映像が浮かんでは流れて消えた。中には見たことのある光景もある。アイオロスをして懐かしい景色。かつての聖域。けれども色の無い世界。
(もしや、この世界はサガの精神内部なのか)
そうだとしたら、サガはいったい何を見せようと言うのか。

思わぬなりゆきに戸惑うアイオロスをよそに、サガはどんどん深みへと進む。下降するにつれ、あたりは暗くなっていった。静寂がどこまでも続いている。
黄昏から夜の闇に移りゆき、昏く澱んだ最深部までくると、底のほうに何やら光る小箱が二つ浮かんでいた。金色と銀色をしたそれぞれの小箱は、ぼんやりと淡いホタルのような輝きを放っている。
ようやくサガは振り返り、アイオロスの顔を見た。
「開けてみるがいい。わたしは近づけぬが、お前ならば箱には触れることが出来るだろう」
何かの罠というわけでもなさそうだった。サガは箱の光の届かぬギリギリの外郭へ立っている。アイオロスはサガの横をすり抜け、箱の前へと降り立った。
どちらにしようかと考え、まずは金色に光る小箱へと手を伸ばす。なんとなくではあるが、こちらの箱からはアイオロスに馴染む暖かい感触がした。
蓋に触れただけでそれは開いた。中からふわりと1枚の羽根が舞い上がり、箱の中へ落ちたかと思うと、それはカタンと音を立てて金属製の黄金の羽根となった。キラキラと美しく輝く羽根は手元を明るく照らしている。
「これは…サジタリアスの羽根?」
後ろを振り返れば、サガが顔を顰めながら何も言わず視線を逸らした。
アイオロスは視線を戻し、もうひとつの箱へと目をやった。銀色の光はどこか冷たく、触れると指先から触覚が消えていくような気がする。重い蓋を開くと、中には小さな銀色の星が煌いていた。それもまた美しい光だった。けれども、どこか見る者の心を麻痺させる類の美しさだとアイオロスは思った。星を掴もうとしてみたが、バチリと電撃のようなものが走り、強く弾かれてしまう。
「それは、かつてアレの開けたパンドラの箱。そして最後に残った2つの希望の残骸」
背後から、感情の篭らぬ声でサガの告げる声がする。
「アレは今でも、その2つを手離そうとしない。いや、手放すことが出来ないのだ」
アイオロスは何と言ってよいのかわからず、その二つの光を見つめた。
モノクロの世界に唯一色を添えているはずの光は、逆に他の色を全て塗りつぶしているかのようにも見えた。
「どうして」
「ヒトの魂は死の時点で固定される。ことに自ら死を選んだ者は、その苦しみを繰り返す」
最後の言葉がアイオロスの胸にも突き刺さる。
「確かに見せたぞ、サガの心を」
その言葉と共に箱は掻き消え、二人は再び太陽の降り注ぐ現実世界へと戻っていた。


太陽はすっかり昇りきり、青い天蓋が雲を抱いて広がっている。
「…なあ、サガ」
感覚を強引に切り替えられたアイオロスは、まだくらくらする頭を押さえながらサガに話しかけた。
「なんだ」
そっけなくも、今日の闇のサガは返事をしてくれる。
「もうひとりの君の心は見せてもらったけど、君は俺のことをどう思っているんだ?」
闇のサガは赤の目をぱちりと瞬かせ、それから深いため息をついた。
「図に乗るな。自分で判断しろ」
「俺が判断していいのか?」
念を押すも、返ってくる答えは『わたしに聞くな』だった。
意を決したアイオロスは、ストレートに本題を突きつける。
「じゃあ言うけど、あれを俺に見せてくれたのは、俺に何とかして欲しいと君が考えているから。そういう事でいいんだよね」
「………」
サガは少しだけ黙り込み、ぼそりと零す。
「…自分で判断しろと言った」

背中を向けて歩き去っていくサガを見送り、アイオロスは考え込んだ。
白と黒だけの色のない世界。自死を選んだあと、サガはずっとそんな心を抱えているのだろうか。『希望の残骸』と闇のサガの呼んでいた二つの箱の中身を思い返し、アイオロスは天を仰いだ。
「いいや、死は終点ではない」
自分へ言い聞かせるようにアイオロスは呟く。人は死を乗り越えていけるはず。自死が何だというのだ。ましてサガは死に逃げたわけではない。エイトセンシズを会得した彼が、いつまでも過去に囚われて動けないなんて、そんな筈がない。
死のみならず、過去のサジタリアスがサガを縛っているという事が、アイオロスには悔しかった。見て欲しいのは今の自分なのだ。


アイオロスが風にのせてサガの名を呟いた頃、闇のサガはもう1度小さく溜息をついた。

(2009/10/13)


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