照らし始めた月明かりが美しいが、流れる雲のせいでそれは気まぐれのように輝いては影を織りなしていた。
麦わらの一味と同船し、パンクハザードを出航したその夜は、昼間の出来事と比べれば何事もなかったかのように静かだった。現に甲板にはローとヴィダ以外誰もいない。皆、自分の仕事をこなして部屋に篭っているのだろう。囚われのシーザーでさえ癒えない怪我があったせいか、チョッパーに無理やり医務室に連行されていた。
ローはまだ見えない次の目的地を睨みつける。鬼哭を強く握れば、ヴィダが一声鳴いた。
ローが目を向け名を呟けば、彼女は姿を変えて側へと寄り添う。思わずたじろいでしまう様な神秘的な容姿から足された微笑むその姿は、何度酔わされたか分からない。
「…まだなにも言ってねェが」
ローが笑みを浮かべながらヴィダを見れば、クスクスと笑っている。
「言われなくてももう分かるよ」
「へぇ…そりゃ嬉しいな」
今この場には誰もいないということを頭で認識させ、ヴィダの柔らかな頬に自身の手を添え、こちらに向けさせる。彼女が受け入れるように目を瞑ればお互いの唇が重なった。優しげな感触から生まれた心地良さに包まれた時、ヴィダが小さな悲鳴を上げた。
「ま、まって。まって!なにして…」
戸惑いながら見れば、ローが彼女の柔らかな足を撫でていた。
「言われなくてもわかるんだろ?」
「え!?ちがっ…そうじゃ、なく…」
太ももの内側を優しく撫でられ、耳元から低い声で囁かれれば、思わず体が反応してしまう。ヴィダの頬は無意識に紅潮していき、押しのけるように拒否をする腕には力がなくなっていった。
それが分かり、ローは思わず意地が悪そうに口角を上げる。嗚呼、これは悪い笑みだ、とヴィダの中で危険信号が鳴り響き始めた。
「なん、でっ…ろ…っ…やだ…っ!」
「…いい子にしろ」
ローの長い指が侵入しようとした時だった。
「うおおおおおおおおお麗しきレディの声が届いたああああああああああ!」
突然、サンジがキッチンの扉から勢いよく現れた。その声と大げさな動きに思わず目を向ければ、サンジはキョトンとした顔でこちらを見てくる。
「……って、ヴィダとローじゃねェか。あれ?俺の麗しきレディは…?」
「…………。」
「………にゃ」
サンジから目を離し、腕の中に収まっているであろうヴィダの方を見てみれば、目の前には見慣れた猫がいた。
どうやら間一髪でその姿になったらしい。
「おいまてサンジ!ここに女はナミとロビンしかいねェよ!あ、ヴィダも含めれば2人と1匹か…それでもいねェわ!」
ウソップがサンジの背後から出てきながら言う。
「おかしい…!俺には確かに女の声が…」
「やめろマジで!こえーから!空耳だろ!」
「くっそーなんてこった…あ、ロー。お前は見なかったか?俺のレディ」
「…知らねェな」
サンジがローの顔を見れば、その顔は明らかに不機嫌だった。その鋭い眼光に、代わりにウソップの肩がびくりと揺れる。
「そ、そうか!なら、い、いいんだ!よよよ、よし!」
「んだよ…まあしゃあねェ。そろそろディナーだから、頃合いになったら来いよ」
サンジが興醒めしたかのように舌打ちをしながらキッチンに戻り、ウソップは怯えながらサンジの背を追いかけて行った。
再び静かになった甲板でローはもう一度ヴィダに声をかければ、彼女は聞こえないようにそっぽを向いた。
***
ルフィの今のマイブームといえば、ローとヴィダである。ローのところに入り浸れば、面倒がられてあしらわれるが、彼はまったくめげない。先ほどもローのところに行ってみたが、やはりあしらわれた。いつもだったらしつこいルフィだが、その時、常にローと共にいるはずのヴィダの姿がなかったため、ルフィは代わりに彼女を探すことにした。
探し始めて随分経った、ということはなく、ルフィはすぐに目的であるヴィダを視界にとらえた。
後方の甲板から海を眺めているその姿に、ルフィはすぐに顔を綻ばせ、声を掛けた。
「おーい!なにやって…」
一緒に遊ぼう、とその旨を伝えようとしたが、それは最後まで口に出すことができず、ルフィは思わず眼を見張った。驚いたことに、その猫は突然、人へと姿を変えたのだ。
髪は白く、海風に揺れる姿はこちらを誘っているように見える。瞳はまるで宝石のように輝き、美しかった。
ルフィは思わず記憶を巡らす。そして一瞬にして身体が緊張したと同時に、喜びに満ち溢れたのがわかった。
そろそろ夕食が始まり、皆がキッチンに集まろうとした時だった。突然、船に誰かの悲鳴が響き渡った。すぐさま全員が反応するが、皆一瞬うろたえた。
「おい、今の一体誰だ…?」
不思議なことに、今の悲鳴は聞いたことがない誰かのものだった。しかし、ウソップが真っ青になりながら疑問を投げかける間もなく、すぐ近くにいたローがものすごい剣幕で声のした方へ飛び出していった。
原因となる場所に着けば、そこには伸びる腕をぐるぐると巻きつけながら、なにかに抱きつくルフィがいた。
ローはそれをよく知っている分、絶句する。
「ひっさしぶりだなぁ!!お前あの時のやつだろ!?キラキラしてたやつだろ!?また会えるなんて思わなかった!!てかなんでここにいんだ?俺に会いに来てくれたのか!?まあいいや!とにかく俺の仲間に…」
「わああ!違う!違うよルフィ!私は猫です!人じゃなくて……ローに怒られちゃうから、猫!!ねこだって!」
突然のことに混乱しているのか、ヴィダは真っ青になりながら抗議しているが、ルフィはまったく聞いていない。
これ以上見ていられないと、ローは怒りに震えながら「シャンブルズ!」と叫べばルフィの腕の中からヴィダが消えた。
「あっ!なにすんだトラ男!返せよ!」
「誰が返すか!ヴィダは俺のもんだ!」
ローの腕の中で抱かれるヴィダを見て、ルフィはすぐさま食って掛かるがローは引き下がらない。その時後ろから足音が聞こえてきた。
「ぬおぉー!!麗しの天使が舞い降りたー!!」
「あれ?あんたどこかで…」
「…なるほどね…」
「なんだぁ?修羅場か?」
「おいおい!どういうことだこれ!?」
駆けつけてきた船員たちが次々と声を上げる度に、ヴィダの顔は真っ青になっていった。
「ご…ごめんなさい…ロー…ぼけーっとしてたら…その…戻っちゃってて…」
小声で謝るヴィダを見て、ローはため息を吐いた。
「……とりあえず、話すから、静かにしろ…」
ローは真っ青になっているヴィダの頭を撫でながら、必死にヴィダを奪い返そうとするルフィをあしらった。
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