朝からガヤガヤと騒がしい海軍の食堂は、ある意味ではそこらの目覚まし時計よりよっぽど高機能である。止めようとも止められない人々の溢れかえる声に、徹夜明けだろうとなんだろうと、嫌でも目が開かざるを得ない。現に期日が明らかにおかしい執務に追われていたローも、いつもにも増して目の下の隈を濃くしながら目の前のおにぎりを頬張っていた。
鬼哭は彼の背中にくっつきながら、夢の中と現実を彷徨いながら舟を漕いでいる。シャチは、いつかそこから落ちて床に頭をぶつけるのではないかとハラハラしながら鬼哭を見ていた。
「本日の七武海会議についてなんですけど、今さっき連絡がありまして…」
片手にフォーク、もう片方にメモ帳を見ながらペンギンは言った。
「ドフラミンゴがローさんに迎えに来てほしい、と」
ペンギンが顔を上げ、抜擢された本人を見やれば心底嫌そうな顔をしたローと、どうやらペンギンの言葉で完全に目が覚めたらしい、主人とまったく同じ表情をしている鬼哭の顔があった。
その突然の表情の変わりように、シャチの肩はビクリと揺れた。
「……気持ちは分かりますけど、あんたら揃ってなんつー顔してんすか…」
今ならこのそっくりな表情に対して、親子といっても誰もが頷くであろうその姿を、ペンギンは引きつったような顔で見た。
***
ローはまったく気が乗らない足でドフラミンゴが待つと報告された場所へ赴けば、ド派手なピンク色のコートを着た人物が嫌でも目に入った。
本能的にローは眉間に皺を寄せ舌打ちをし、腕に抱かれている鬼哭は『う"ぅ…』と嫌悪感丸出しな唸り声を出した。
「ロー!」
こちらに気づいたドフラミンゴが笑みを浮かべながらローに近づいてくるが、鬼哭が片腕を刀に変え、その切っ先をドフラミンゴに向けた。刀の長さ分、ローとドフラミンゴに距離ができる。
「よお、ドフラミンゴ…そのまま海に飛び込んで死ね」
「フッフッフッ…相変わらずの歓迎だなお前は」
どんな悪態をついてもドフラミンゴは痛くも痒くもないという感じだ。ローはさっさとこの仕事を終わらせようと思い、鬼哭に刀をしまうように指示してから来た道をまた戻りながら会議室へと向かう。
ドフラミンゴがローの真横に来た。
「海軍の仕事はどうだ?ロー。コラソンと共に家出したお前を、俺は心配してやってんだぜ?」
「うるせェ。余計な世話なんだよ」
不意に、ドフラミンゴが少し視線を下げれば、ローの腕に抱かれている鬼哭がずっとこちらを睨んでいた。
「…お前のガキ、随分俺に熱い視線を送ってやがるが、俺のこと好きなのか?」
笑いながら冗談にも似たような声音で言えば、鬼哭はまた刀をドフラミンゴに向けた。
「…非常に嬉しいことに、こいつはテメェのことが殺したいぐらい大嫌いだよ。監視されてることにいい加減気付け」
ローが呆れたように言えば、曲がり角から1人、ミホークが現れた。
「鷹の目屋…」
「トラファルガー…と、その刀か…」
ドフラミンゴを無視しつつ、ミホークはローと鬼哭を交互に見た。
声に気付いてか、鬼哭が刀をドフラミンゴに向けたままミホークの方を向いた。
『たか、たか』
呼ばれたミホークは鬼哭に目を向ける。
『おは、おは』
「…ああ」
軽く返事を返せば、鬼哭は少し目線を上げ、ミホークの持つ大太刀へと目を向けた。
『よりゅ』
鬼哭は自身の空いた手で、ミホークの大太刀にひらひらと手を振った。ミホークが鬼哭を見つめる。
「…本当にこいつは刀なのか」
「何度言ったら分かるんだよ」
目的地はどうせ同じであるため、ミホークはドフラミンゴと相対する位置でローの横を歩く。
「最近は随分出席率がいいじゃねェか。暇潰しが増えたのか?」
「…いちいち詮索をするな」
ローが口角をあげながら言うが、ミホークは前を向いたままだ。
「そういや今回も麦わら屋の所がまた何かやらかしたらしいな。今日はその対策も兼ねての会議だとよ」
「ほう…お前達にどこまでできるか見ものだな」
「はっ、見せ物じゃねェよ」
「………。」
目の前で楽しそうな会話を繰り広げ始めたローとミホークに、明らか蚊帳の外であるドフラミンゴがそれを少し寂しそうな目で見つめる。鬼哭はそれに気付いてか、相変わらず視線は鋭いが、ドフラミンゴに目を向けた。
「…お前…」
ドフラミンゴがボソッと呟く。
「いい奴だな…」
構ってもらえて嬉しいらしいドフラミンゴとは相対的に、鬼哭は訳が分からなそうに怪訝な顔をした。
***
「遅い!」
会議室に着けば、凛として怒鳴りながらハンコックが早くも席につき、待っていた。その傍らには男の海兵数人が石にされている。恐らく、宥めようとして失敗したのだろう。しかしその顔はとても幸せそうだった。
「遅くねェよ。まだ時間じゃねぇぜ、ハンコック」
呼ばれたハンコックは蛇のようにドフラミンゴを睨む。
「わらわに話しかけるな!それに会議ではない!わらわはそなたを待っていたのじゃ!」
ハンコックが指を差せば、その先にいたのはローだった。ドフラミンゴは驚いたような視線をローに向けた。
「さあこっちへまいれ…」
ハンコックが口角を上げながら言えば、ローは溜息を吐いてから彼女に近づいた。ドフラミンゴは固まってその様子を見る。
「おいミホーク…あいつらはできてんのか…?」
すぐ側にいたミホークに聞けば「邪魔だ」と一蹴された。ドフラミンゴはその2人を見つめるが。
「ほらよ」
「おお…!」
「は?」
一体何が起こるのかと冷や冷やしていたドフラミンゴだったが、ローはただ自身が抱きかかえていた鬼哭をハンコックに手渡しただけだった。ハンコックはたったそれだけで、目を輝かせながら渡された鬼哭を抱きかかえ、そのまま自身の膝の上に乗せる。
「実はな、実はな。先日ルフィに会ったのじゃ…その時な…」
『あい』
ほんのり頬を染めながら話し出すハンコックに鬼哭はコクコクと相槌をとっていく。
「…ロー…これはなんだ?ハンコックならガキなんて一蹴するだろ」
「うるせェな…ただの話し相手だよ」
ドフラミンゴはハンコックと鬼哭を指差しながら驚愕の目でローを見る。ローは面倒臭そうに溜息を吐いた。
確かにハンコックは当初、鬼哭など全く視界に入れていなかった。むしろなんだこいつは、という嫌悪感を出していた。しかしある日、ローが気まぐれで麦わらのルフィを助けたことで話が一変する。ルフィと顔見知りとなったローに、ハンコックは自身の恋愛相談ならぬノロケ話(あくまで自己満足)をするようになったのだ。
しかし、それをずっと聞けるほどローは気が長い方ではないし、なにより仕事の邪魔だったため、聞き流すことが多くなった。
そんな時、ローの側にいた鬼哭だけがずっと彼女の話を聞いていたのだ。鬼哭はどんな相手にも目を見ながら話を聞き、また無口なために最低限のことしか口にしない。聞き役としてはハマっていた。
それが気に入ったのだろう。以来、ハンコックは鬼哭にべったりになった。
思い出しながら語るハンコックの顔がうっとりとし始めた時、扉が開いてセンゴクが現れた。
「ほう…今日は3人、か。相変わらず召集率は悪いが、鷹の目が来てる分いいものか…」
センゴクが見回しながら言った。
ローが「鬼哭」と呟けば、鬼哭はハンコックの膝からするりと抜け出し、『主ー』と言いながらローの足元にぴとりと駆け寄った。ローはそのまま鬼哭を抱き上げ、センゴクを見る。ハンコックからの鋭い視線が痛いが、そこは気にしないでおいた。
「すまなかったな、トラファルガーと鬼哭。もう行っていいぞ」
センゴクがローに数枚の資料を手渡しながら言った。ローは軽く返事をし、早く解放されたいがために足早と会議室を後にした。
背後から「ロー、また会いに来てやるからな」という嫌な声が聞こえたが、全力で無視を決めた。
「ったく相変わらずめんどくせェ奴らだ…」
ようやく呼吸ができるような気持ちで廊下を歩けば大きな溜息が出た。鬼哭が労うようにローが被る帽子を撫でれば、それを返すようにローも鬼哭の頭を撫でる。鬼哭は気持ちよさそうに目を細めた。
そしてローが持つ資料を視界に入れれば『もちゅー』と言ってそれを手に取った。
「あ。おい!」
『おいし。おかし』
「は?」
資料を見ながら呟いた鬼哭に疑問を抱きながらすぐさま取り返す。そこに書かれているのはローの医務的仕事に関する内容だった。鬼哭が発言したようなことは書いていない。
「お前一体何言って…」
しかしローは資料の中のある1枚の下部に小さく手書きで書かれた文章があることに気づいた。
<センゴクじいちゃん、おいしいおかしをゲットしました。こんどたべにおいで>
「………。」
呟きの理由が分かった。その文は明らかに鬼哭に向けてのものだった。しかもご丁寧にあまり字が読めない鬼哭を考慮してか、漢字を使っていない。
『おかし、おかしー』
「…お前、いつ手籠めにした…」
嬉しそうな鬼哭とは対照的に、ローは項垂れる。
この海軍はもうダメかもしれない。
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