「鬼哭、寄り道しないで真っ直ぐ歩け」
会議が終わり、ローは海軍本部の廊下を進みながら、自身とは違う方向に進もうとする鬼哭を呼び止めた。鬼哭はローに呼ばれると、トテトテと近づき、彼の足元にぴとっと寄り添う。
「会議中は大人しいくせに終わったらいつもこれだ…早く戻るぞ」
気難しい張り詰めた会議が終わった後、この幼子は決まってちょこまかと動き回る。
迷子になったら誰が見つけなきゃいけないと思ってるんだと、ローは溜息を零した。
すると、前方から笑い声が聞こえてきた。
「ガープ中将!次の会議はもう始まっています!急がないと…」
「ぶわっはっはっは!そんな急がんでもええわい。まったく真面目な奴じゃ」
「これで何回目だと思ってるんですか!」
そこには懐中時計を見ながら焦る若い海兵と愉快に笑うガープがいた。彼はすぐにローの存在に気づき、こちらにやってきた。
「おお!ロー!この前は大層な手柄を立てたと聞いたぞ!この際にいい加減わしのところに付かんか!」
「あん時は相手に手応えがなかっただけだ。あとアンタのところにつく気はねェ」
「ぶわっはっはっは!まったくつれない奴じゃ!」
ローの肩をバシバシと叩きながらガープは笑うが、正直痛い。
『じーじー。じーじー』
鬼哭がガープの靡くコートの裾を引っ張る。今の今まで鬼哭の存在に気づかなかったらしいガープは、嬉しそうな声を上げてからその小さな身体を抱きかかえ、高く持ち上げた。
「おー!じーじと呼ぶなんて相変わらず可愛いやつじゃ!昔のルフィを思い出すわい!」
若い海兵が「中将!会議が!」と止めにかかるが、ガープはまったく聞いていない。
「しかしちっとも成長しとらんなぁ。もっとたくさん食べて大きくならんと立派な海兵にはなれんぞ!」
「こいつは刀だから成長しねェって何度言ったら分かるんだよ。…それより、アンタ急いでんだろ」
「ああ!そうじゃった!」
ガープがようやく本来の目的を思い出し、抱き上げていた鬼哭を床に降ろした。先の今まで顔面蒼白だった若い海兵は、一瞬生気に満ちた顔をする。
「…ほれ!飴をあげよう!」
「いやそっちじゃねェ」
若い海兵の顔はまた青白く戻った。そんな姿を見てローは同情する気すら起きず、諦めて傍観することにした。
ガープは懐のポケットから飴玉を取り出し、それを鬼哭の小さな手に握らせた。
お菓子を貰って嬉しいのか、鬼哭は目を爛々と輝かせる。
『あり、がとー』
「おーおー!お礼が言えるなんていい子じゃ!」
ガープは鬼哭の頭を撫でる。
そしていい加減、彼は本来の目的を達成するために、若い海兵に急かされながらその場を去って行った。
ローが鬼哭の手の中を覗いてみれば、そこには大玉の飴がある。
「…とりあえず喉に詰まらせるなよ」
ローの言葉に頷いてから、鬼哭は飴を口の中に放り込んだ。
『あま。あま』
「そりゃよかったな…」
口に含んだ飴玉を頬にぷっくりと膨れさせながら、鬼哭はローの周りをくるくると回る。楽しそうなのはいいが、ローからしたらそれはとても歩きにくい。早く進むために鬼哭を抱き上げようと腕を伸ばした時だった。
「あららら。誰かと思えば有名親子じゃないの」
「…親子じゃねェって言ってんだろ」
右の角から青雉が現れた。
不本意な言い方をされ、ローは眉間に皺を寄せる。
青雉は特に気にせず、鬼哭の目の前にしゃがみ込み、飴玉が入っている頬を指でぷにぷにと突き始めた。
「うーん、相変わらずのプニプニ感だわ。それに顔も整ってるし、将来はいい女になるな。いつか俺と遊んでくれよー」
「それは永遠に来ねぇしあってもさせねェよ。セクハラ野郎」
ローは青雉から引き剥がすように鬼哭を抱き上げた。
「まったくお堅いパパだねぇ」
そう言いながらローに睨まれつつ青雉は腰を持ち上げて立ち上がると、鬼哭が彼の背後を指差した。
耳を澄ますと、遠くの方から「大将ー!」と呼ぶ複数人の声が聞こえる。
青雉は嫌な顔をし、ローはそれを見て察した。
「…お前また執務室から抜け出してきたのか」
「だって癒しが欲しかったんだもんよー。ねー鬼哭ちゃん」
「計画犯かテメェ…さっさと戻って仕事の続きしやがれ」
青雉は頭を掻きながら溜息を吐いた。鬼哭はその姿をじっと見つめる。
『えいえい、おー』
「へ?」
鬼哭は青雉を見つめたまま、呟くように言った。
「なに?ひょっとして応援してくれてんの?」
応援。その割に鬼哭の言い方はなんの覇気も感じられなかったが、一応はそのつもりらしい。鬼哭は肯定するように何度も頷いていた。
「いやぁ〜ほんと癒しだわ〜」
そう言いながら青雉は鬼哭の頭をポンポンと撫でた。
そして彼は意を決して執務室ーーー
とは逆方向に去って行った。
『えいえい、おー』
「あんな奴放っておけ」
『えいえい、おー♪』
「…気に入ったのか、それ」
失踪した青雉を放置し、ローは鬼哭を抱き上げたまま、次の角を左に曲がろうとした。
すると、曲がった先にスモーカーとたしぎがいた。
そのまま通り過ぎるのも手だったが、生憎目の前で向かい合わせになるように鉢合わせしたため、嫌でも目が合ってしまった。
「…なんでお前らが本部にいるんだ」
「いちゃ悪りィのか」
ローが眉間に皺を寄せながら言えば、スモーカーもそれに便乗するように険悪な表情をする。
「とりあえずそこを退け」
「あ?テメェが退け」
「俺に命令するなよ」
日々の疲れを八つ当たりするかのように、ローとスモーカーの妙な小競り合いが始まった。だが突然たしぎが戸惑いを含むような声音で口を挟んだため、それは一時休戦となった。
「どうした、たしぎ」
スモーカーがたしぎに目を向ければ、彼女はローに抱きかかえられている鬼哭を見つめていた。それは何かに耐えているようにも見える。
その瞬間、ローは察した。
「…その…抱っこ…させてもらっても…よろしいですか…!」
ほんのり頬を染めて目を泳がせながら言うたしぎを、スモーカーは呆れたように見た。
「…お前毎度それを聞くよな」
たしぎが鬼哭を見つけてローに抱っこの許可を得るのは、もう今まで数え切れないほどあったため、ローは別段驚かなかった。むしろ今も予想していた。
ローが「ほらよ」と言って、抱きかかえていた鬼哭をたしぎに差し出す。鬼哭も彼女には慣れていたので、嫌がる素振りは見せなかった。
たしぎは一瞬躊躇した後、その小さい身体を抱き上げた。
『たしぃ』
「!!!……〜〜〜ッ!!」
鬼哭に名前を呼ばれて嬉しくなったのか、たしぎはぎゅーっと強くその身体を抱き締めた。ローはそれを慣れたように見つめ、スモーカーは顔に手をつけ、目を背けながら呆れていた。
「…相変わらずお前の部下は変な奴が多いな。専門じゃねェが診てやろうか」
「……余計なお世話だ…おいたしぎ!いつまでやってんだ!行くぞ!」
「はっ…!すみませんスモーカーさん!」
スモーカーが喝を入れるようにして言えば、彼女は目が覚めたようにローに鬼哭を返した。スモーカーはさっさと前を歩いていく。たしぎはその後を慌ててついていった。
鬼哭はローに抱かれつつ、2人が去っていくのを見つめながら手を振った。
『たし。ばいばぃ』
「ま、またね!ばいばい!」
『もくー。もくもくー』
手を振りかえすたしぎにスモーカーは溜息を吐いた。その時、恐らく自分を示しているだろうと思われる言葉を聞いて、スモーカーも反射的に鬼哭に目を向ける。
『いてらぁ』
目が合った。どうやら自分に言ったらしい。
「…ああ」
スモーカーは視線を逸らし、前方を見据えたままの状態で返事だけ返した。
「す、スモーカーさんずるいです!あんなあだ名で呼ばれてるなんて…!」
「うるせェ…黙って歩け」
足早に去っていった2人の姿が見えなくなった所で、ローは未だに手を振り続ける鬼哭に「もういねェよ」と言って、その左右に動く手を止めた。
「…あと、いってらっしゃい、だ。言ってみろ」
『だ』
「そっちじゃねェよ…」
ローが鬼哭の言葉を指摘するが、舌が回らないのか、はたまた理解していないのか、幼子はどのみち上手く発音できなかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「いやー…会議室からここまで距離的に5分もかからないはずですけど…」
「毎回何十分かけて帰ってくるんスか、ローさん」
執務室に戻れば部下であるペンギンとシャチが笑いながら出迎えてくれた。
「……俺じゃなくてあいつらに言え」
道中に貰ったたくさんのお菓子を抱きしめながら自身の腕の中で眠る幼子を見て、ローは溜息を吐いた。
変なことに、海軍は刀に甘い。
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