時刻は2時頃。サンジはキッチンから甘い香りを漂わせていた。ふっくら焼き上げた生地に生クリームと新鮮な苺を盛り付ける。今日のおやつはホットケーキだ。
サンジは愛しい美女2人の喜ぶ姿を想像し、機嫌よく鼻歌を歌いながらホットケーキの生地を混ぜていった。
すると、ガチャッとドアが開く音が聞こえた。大方この時刻になると、毎回甘い香りに誘われてルフィがやってくる。
サンジはフライパンに生地を流し、焼き始めた。
「ルフィ、お前の分はねェぞ。これはナミさんとロビンちゃんの…」
いつもの台詞を言えば五月蝿い彼のことだ。なにかの言葉が返ってくるはずだったが、今回はなにも返ってこない。それどころか気配もあるのかどうか分からなくなった。
振り返って辺りを見回すが、誰かが入った形跡はあっても中にはサンジ以外誰もいない。
疑問に思えば足に何か感触があった。
チョッパーか?
そう思って目線を下げたが
「…あ?」
そこにいたのは幼い女の子だった。ズボンの裾を引っ張りながらこちらをじっと見る。サンジは瞬時に記憶を巡らした。
「えっと…たしか…鬼哭、ちゃん?」
こちらを見上げながら頷くところを見ると、どうやら間違っていないらしい。確かこの子はローの刀だったはず。なぜか人になれるというのを聞いた。
人物的にも、人種的にも随分珍しい客が来たものだとサンジは思った。
『あま?』
「ん?」
『あまあま?』
「…あー、甘いってことか?まあホットケーキだからな。甘いぜ」
あまり表情の変わらない子だったが、ホットケーキ、という言葉に少し目を輝かせたのが分かった。
「…味見するか?」
そう言ってやれば遠慮なく頷く。サンジはちょうど今焼きあがったものを急遽一口サイズに切って、それをフォークで刺した。
「どうぞ、レディ」
しゃがめば口を開ける様子にフォークを運ばせ食べさせる。
鬼哭はもぐもぐと噛み締めた後、驚くような顔をした。
『んま』
まだ飲み込んでいない状態で感想を述べる。
『んま。んま』
「おお、そうかそうか。そりゃあ良かった」
喜び方がうちの一味とは違う。なんで?どうやったの?という風に、サンジの周りをぐるぐると回り始めた。サンジはそれが面白く、思わず笑った。
「そんなに気に入ったなら作ってやる」
サンジは鬼哭を席に座って待つように促した。鬼哭はそれに素直に従い、こちらをじっと観察する。見られてるなぁと、サンジは困ったような顔で笑った。
「少々お待ちください」
『あい』
〜〜〜
こんがりきつね色に焼きあがったホットケーキの上に生クリームとバニラのアイスがのっている。そこに宝石のように乗せられた苺が美しく映えていた。
不思議なものを見つけたかのような目でホットケーキを見回す鬼哭を、サンジはキッチンのカウンターから向かい合うように頬杖をついて見守る。
「召し上がれ」
そう言えば鬼哭はおぼつかない手でその小麦色の生地にフォークを突き刺した。ずいぶん大きめに取ったようだが、鬼哭は気にせず大きく口を開けてそれを中に入れた。柔らかそうな頬はリスのように膨れた。
『…んまぁ』
「だろ?」
もぐもぐとゆっくり噛み締めながら、先ほどと同じように鬼哭が感想を述べた。サンジが得意げに笑った時、また扉が開いた。今度こそルフィかと思われたが、また外れた。
これも珍しい客だ。
「ローか」
そこにいたのは困ったような、疲れたような顔をしたローが立っていた。
『あるじ』
鬼哭はローを見つけ、嬉しそうに名を呼んだ。反面、ローは鬼哭を視界に捕らえ、息を吐いた。
「こんなところにいたのか鬼哭…って…」
ローは鬼哭とその目の前にあるホットケーキを怪訝な顔で見つめた後、諦めたようにサンジを見た。
「……お前もか…黒足屋…」
「あ?なにがだ?」
ローは中に入り、サンジの目の前に来た。
「こいつは食べなくても生きていけるんだよ。ある意味底なしだから、食料を与えるだけ無駄だ」
「関係ねェよ。俺はレディからの頼みごとは…」
「なのに」
ローは遮った。
「俺のクルー達も、いつもこいつになにか与える」
そう言って、ローは大きくため息を零した。
サンジは一瞬ポカンとした後、噴き出すように笑った。
「その気持ち、分からなくねぇな!」
サンジは先程から美味しそうに貪りながら食べる鬼哭を見た。その頬の膨れ具合はまるでリスだ。大方そちらのクルーもこの姿が見たいがためについつい食べ物を与えてしまうのだろう。だとすれば、その気持ちも分からなくない。
「…甘やかしてやるなよ」
「そいつは無理な相談かもな」
こんな姿を見てしまっては、もう与えないなんてことはできないと思う。
「お前もなんか食うか?」
「…いや…」
サンジが立ち上がりながら言えば、ローは鬼哭をちらりと見る。
「…コーヒーを貰おうか」
「あいよ」
鬼哭が食べ終わるのを待つのか。
そう思いつつサンジは再度準備すべく、キッチンに向き直った。
ローは鬼哭の隣に腰を下ろす。
『主、うまうま』
「…ああ、良かったな」
頬を膨らまして一生懸命食べる鬼哭の頭をポンポンと撫でた。それを見たサンジが笑う。
「そんな急がなくったって誰も横取りしな…」
「なんだそれ!うまそーだな!」
ガチャッと大きく扉を開けて乱入してきたのは今度こそ我が船長だった。
「おめー鬼哭ちゃんの横取りしたらぶっ殺すからなクソゴム!」
「なんだよいきなりー」
入ってくるなり怒鳴られたルフィはよくわからなそうに首を傾げた。
「俺の分はー?」
「ねぇよ!」
「えー!あ。トラ男の分けてくれよ!」
「俺は食わねェよ」
「えぇー!」
ルフィの登場により、サンジがよく知る五月蝿い日常がようやくやってきた。
〜〜〜
3時頃。
ルフィに適当なものを食わせてから追い返し、サンジは愛しいナミとロビンのためのおやつを彼女達の元へ届けに行った。使命を果たし、美女達からのお礼の言葉を身に沁みさせ、浮かれた気分でキッチンに戻ると、ローはいるが鬼哭のいた席には綺麗に空になった皿とフォークだけしかなかった。
「あれ?鬼哭ちゃんは…」
サンジの言葉にすかさずローは人差し指を自身の口元にあてた。
よく見ればローの腕の中で規則正しい寝息をたてながら鬼哭が眠っていた。何かを食べた後、眠くなる体質なのだろうか。つまりはこうなるのを分かってローは鬼哭が食べ終わるのを待ってたのか。
サンジは意外なものを見るような目でローを見つめた。
ローはゆっくり立ち上がり、部屋から出ていこうとする。すれ違う際、ローは小声でサンジに「悪かったな」と言った。
どんな姿でも女性をもてなすのが自身の役目だ。マイナスなことなど何もない。
サンジはそんな女性の一人と認識する鬼哭を起こさないように、ローと同じく小声で「構わねぇよ」と返し、出て行く彼の背中を見送った。
一人になったサンジは煙草に火をつけ、息を吐く。扉を開けた時一瞬だったが、ローが鬼哭を見るその目はまるで子を持つ父親のようだった。
「…甘やかしてるのはどっちだよ」
空になったカップと皿を片しながら、七武海の意外な一面にサンジは笑った。
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