しばらくして、少女は目を覚ました。
辺りを見回し、寝起きの頭を働かせれば、ここは海岸なのだと分かった。
そして頭をぽりぽりと掻き、事の経緯を思い出そうとする。
「気がついたか」
知らない声のする方をバッと見れば、そこには大柄の男が座っていた。妙に派手な格好である。
「………人?」
「あ?それ以外になにに見えんだよ」
少女はポカンとした後、すぐさま身構えた。
「……なにしてんだお前」
「……ベポのポーズ」
少女は両腕を突き上げながら言った。その明らか奇妙なポーズに、キッドは思わず眉をひそめた。
「…それは威嚇か?」
自信なさげに頷く少女を見て、キッドはバカにしたように笑った。その様子を見て警戒心が薄れたのか、少女は構えるのをやめ、ストン、とまたその場に座った。先ほどより肩の力が抜けている。そう思いながらキッドは少女をじっと見つめた。
白い髪に白い肌。そしてまぶたから覗く宝石のような紅い瞳。面妖な容姿をしていたが、どこか神秘的な姿だとも思った。見ていて悪い気はしない。
「お前、俺に謝ることがあんじゃねェのか」
「え?」
少女は分かっていないような顔をした。
まさかこいつ、覚えていないのか。
「テメェ俺の脳天思いっきり蹴り入れてきただろうが!!!」
「え!?ご、ごめんなさい!」
怒鳴るように言えば、少女はビクッと身体を震わせた。キッドはその過剰な反応に、どこか違和感を覚えた。
「…まあ、いいけどよ」
キッドはそっぽを向いた。少女の口から安堵の息が漏れたのが聞こえた。
自分を目の前にしてこんな反応をするのは珍しくない。今までも数え切れないほどの恐怖を人に与えてきた。だがこの少女は、どこか違かった。自分に怯えているんじゃない。自分を通して、遠くのなにかに怯えているように見えた。
キッドはますますこの少女にある確信を抱いた。
「私そんなことをしてたのか…本当にごめんね、えーと」
名前なに?と言いたげにこちらを向いてくる少女にキッドはぶっきらぼうに答えた。
「ユースタス・"キャプテン"・キッドだ」
キッドは少女に向き直った。見れば、先ほどより顔が安心しきっている。
「そうなんだ!私、ヴィダ!よろしくね、ユータ」
キッドは絶句した。仮にもキッド海賊団を率いる俺に、なんていうあだ名をつけている。すぐさま文句を言おうとしたが、少女ことヴィダはそんなの御構い無しにキッドに話しかけた。
「ユータはなんでこんなところにいるの?」
興味深々、という言葉が似合いそうな輝く目をしている。その目の輝きを失いたくはないと思い、キッドは渋々答えた。
「仲間とはぐれた。探すのもメンドクセーし、ぶらぶら1人でいたら、海軍に見つかった。それだけだ」
「えっ!ってことは迷子!?あはははは!」
弾けるように少女は笑った。初めての笑顔にキッドは新鮮味を覚えたが、すぐ自分がバカにされてることに気付いた。
「なに笑ってやがる!テメェだって同じようなもんだろ!!」
言い返せばヴィダはキョトンとした顔をした。
「え?私はちが…………」
言いかけ、ヴィダは声を上げる。なにかを思い出した表情をしていた。
「仲間とはぐれた!!!」
やってしまった、というような顔をするのを見て、今度はこっちがバカにするように笑えば、ヴィダは慌てて弁解しようと腕をぶんぶん振る。謎めいた行為だ。
「ち、違うよ!私は猫に追いかけられて、それで…」
「はあ!?猫にも勝てねーのかよ!それで海賊とか何言ってんだテメェは!!」
キッドはより一層笑った。こんなのが海賊など、バカみたいな話だった。一体こいつの仲間というのはどれほど虚弱な海賊団なのだろう、とキッドは思った。
「な、なんで海賊だとわかったの!?」
ヴィダは後ずさる。
「お前、さっきワンピースって言ってたろ。それでだ。つか図星か」
ヴィダはキッドと海軍の対戦中に現れ、たしかに『ワンピース』と言っていた。海賊なら誰もが目指すものだ。だが、正直カマかけたのもあるので、ヴィダが本当に海賊だとは思わなかった。
「言ってないよ!?そんなんで当たるもんなの!?初対面だよ!?」
ヴィダは自分が「ワンピース」と言ったことを覚えてないらしい。まあ、確かに寝ぼけていたような顔をしていたから記憶にないのも無理はない。しかし、言ったのは事実だ。
「俺は分かるぜ、ヴィダ」
ニヤリと笑えば少女はもっと後ずさる。
だがそれを拒むようにキッドは身体を近づけた。
「な、なんで、私の名前…」
「お前が名乗ったんだろーが!!」
先程名乗ったくせにそれを忘れるなんて、こいつは本物のバカだ、とキッドは思った。
そして場の雰囲気を少しでも変えるために、キッドは一息吐いた。
「お前、カゴカゴの実の能力者だろ」
少女の身体がピクリと強張ったのが分かった。
キッドは構わず続ける。
「その異様な紅い目を見りゃ分かるぜ。確か、人を守って幸福にする能力だろ?半殺しにすれば、富を得るとも聞いたが、どうだろうな…。まあ、とにかくさっきの戦闘も、お前の能力だろうな。余計なことしやがって…だが面白いもんを」
言いかけながら少女を見ると、表情は曇っていた。
「……おい」
キッドは思わず少女の肩を掴んだ。いざ触れてみると、見た目から小さいと思っていた少女が、本当に小さいことが分かった。キッドはなぜかこの少女にそんな態度を取られていることに、柄にもなく悲しさを感じた。
「別にお前を取って食おうなんてしねーよ。ただの興味で今お前といるだけだ。顔を上げろ。なにもしやしねェ」
弁解するようにキッドは言った。ヴィダはちらっとキッドを見る。
「そう、なの?」
「ああ」
この表情を見る限り、能力でだいぶ人生をめちゃめちゃにされたんだな、とキッドは思った。
そうだとしたら、この強張る仕草も納得がいく。そんなことを考えながら少女を見ていると、ほんのり色ずんだ唇がゆっくり動いた。
「じゃあ、友達になってくれる?」
「ああ…は?」
突然の発言に思わず肯定しかけた。キッドは耳を疑った。なぜ、いきなりそんな話になる。どこをどうしたらそうなるんだ。
だが、少女の目はキラキラと輝いている。明らかに期待に満ちている目だ。本気なのだろう。
「あ、ああ…」
半ば強引であるような気もしたが、キッドは肯定の意を示した。するとヴィダは先程は実が弾けるような笑顔だったのに、今度は花が開いたような笑顔でこちらを見てきた。その様子に、思わずキッドは少し頬を染めた。
「ほんと!?私、船のみんな以外で友達できんの初めて!よろしくね!ユータ!」
ヴィダはキッドの手を握った。その手はとても温かかった。
「外の世界ってほんとにいいね!私、今すごく嬉しい!ユータと友達になれてすごく嬉しい!」
少女は嬉しそうに笑う。
この破天荒ぶりに呆れて声が出ないのか、はたまたこの笑顔に見惚れて声が出ないのか、キッドには分からなかった。
「でも、せっかく友達になれたのに、ごめん。私、行かなきゃいけない。みんなまってる」
ヴィダはキッドの手を離して立ち上がり、1歩を踏み出そうとした。だがそれはできなかった。
「行かせねェって言ったら、どうする?」
キッドがヴィダの腕を掴んでいた。
この表情に、先程のバカにしたような笑みはない。至って本気の顔をしている。
ヴィダは振り返る。
「じゃあ、一緒にユータも来ればいいよ!私の所の仲間になれば、解決だ!」
思いがけない発言に、キッドはまた呆気にとられた。拒否されるとは思っていたが、まさか勧誘されるとは思わなかった。キッドはしばらく呆然として、ようやく我に返り、言い返した。
「なにも解決しちゃいねェよ!俺はキッド海賊団のキャプテンだ!!」
「キットカット団?」
「ちげーよ!!!」
名前といい、海賊名といい、なんでまともに言えねぇんだこいつは!
キッドにイライラが募る。だがヴィダはそんなの気にしている様子はない。
「あはは!!ユータは面白いね!!」
また、弾けるように笑う。
キッドは掴んでいる手に力を込めた。もはやムキだった。
「っ!行かせねェ!!」
こんな屈辱が今まであっただろうか。
「無理だよ」
少女は言った。
「だって私、船長お墨付きのすばしっこさだからね!!」
美しい白い髪が少女の頬を掠め、美しい紅い瞳がチラチラと覗く。写っているのはキッド自身であった。
力を込めて掴んでいたはずの手は、気づいたら離してしまっており、それと同時に彼女は行ってしまった。
「ばいばーい!ユータ!またどっかで会おうねー!」
元気な少女の声が遠くから響く。幼さが滲み出る反面、なんとも美しかった笑顔がキッドの脳裏に焼きついた。海賊にもなって、なにをやってるんだとキッドは己を叱る。
しかし、どうしようもない。
「…らしくねェ」
しかし、悪い気分ではなかった。
そして、遠くから自分の名前を叫ぶ仲間と思わしき声が聞こえる。
キッドはゆっくりと声のする方へと向かって行った。
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