「おいしー!!」
少しまだ肌寒い朝。食堂にて。
眠そうなクルー達の中で異質な元気さを兼ね持つヴィダは、口いっぱいにおにぎりを頬張る。さながらその姿は己のご飯を取らせまいと口に含むリスそのものだった。
「そんなに急がなくても誰も取りはしないぞ」
ペンギンは苦笑いをしながらヴィダに言ったが、内心ではこんなに美味しそうに食べてくれることに対して、嬉しいというのが本音だった。
この船にはコックが居らず、食事を作るのはクルーの当番制になっている。そして今日はペンギンの番だった。つまり、今ヴィダが美味しそうに食べているのはペンギンの作ったもの。目の前で自分の作ったものに「おいしい」と言われ、嫌な顔をする奴などいない。
「ヴィダ、おかわりするか」
「うん!」
ペンギンは立ち上がり、ヴィダを見る。顔中に食べカスをつけながら笑う姿に、ペンギンは思わず笑った。
その様子を見てか、クルー達の顔にも癒されたような表情が感染していくのが見えた。
この船に女の子が入ると知った時のクルー達の顔は酷いもので、皆鼻の下を伸ばしてヴィダを待ち構えていた。だが実際はどうだろう。鼻の下というより、我が子を見守るような表情で少女を見ている。この状態で海賊団と名乗っても、人々はきっと首を傾げるだろう。
「あ。ロー!」
ヴィダの声とともにドアが開く方向に目を向ければ、大きな欠伸をしながら入ってくる我らが船長ことローの姿が見えた。
食堂内にはクルー達の「おはようございます!」の声が響き渡った。ローはそれに軽く頷く。船長は低血圧なため、朝の食事の時間は少し遅れてくる。目の下の隈が相変わらず目立つが、毎日寝不足なのか、それともそれが仕様なのかが未だ分からない。
「ロー!おはよー!」
ヴィダが元気よくローに言った。
ローは軽く返事をし、ヴィダを見て思わず笑った。
ヴィダの近くに座り、側にあったタオルを手に取る。
「お前、顔中食べカスだらけだぞ」
そう言ってタオルでヴィダの顔を拭く。ヴィダは17歳という、大人の雰囲気を漂わせ始める年齢のはずだが、この様子を見る限り、その片鱗はまだない。むしろ言っては悪いが、この光景はまるで親子だ。それほどまでに、ヴィダには色気がない。だがそんな少女に、ローが夢中であることは船内の誰もが知っていた。
「船長、おにぎりありますけど、どうしますか?」
「コーヒーだけでいい」
「了解です」そう言ってペンギンはまた席を立つが、ヴィダはなにやら不満そうな顔をしている。
ローはタオルを置きながら、「顔を拭かれたのがそんなに嫌だったのか」と聞けば、ヴィダの頭の上に「?」が浮かんだ。どうやらそうではないらしい。
「ご飯はちゃんと食べなきゃダメだーってペンギンが言ってたよ、ロー」
ローはキョトンとした顔で固まる。
ペンギンもヴィダの言葉が耳に入り、固まった。
無論、他のクルー達も固まる。
「だからローもちゃんと食べなきゃダメだよー」
ヴィダはくしゃりとしたような顔で笑った。
そしてまたリスのような頬張りが始まる。
それを見ながらペンギンは思い返した。たしかにヴィダがまだ病室で生活を強いられてる際、食事は主にペンギンが運んでいた。
しかし、ヴィダはあまりにも食事を摂らなかったのだ。ヴィダの見た目はかなり細い。肉をつけなければならないのはすぐ分かる。早く良くなってもらうためにも食事を摂ることは1つの治療法だった。
なぜ食べないのか、と聞けば、少女はキョトンとし、そして逆に聞き返された。
「こんなに、食べるの?」
こんなに?という発言に疑問を持った。
食事のバランスはもちろん、量は通常の平均的な量だ。どこにこんなにという言葉があるのか。
「私、たくさんのご飯、3回もいらないよ。もったいないよ」
話を聞けば、これほどの量を食べたことがないのだという。そしてそもそも料理というのを食べたことがないらしい。
ペンギンは気付いた。この少女はまともな食事さえも知らないのだ。たしかに、ヴィダのいた森に食事なんてあるはずがない。あっても、果物や薬草ばかりで、限られた食べ物しかないはずだ。この船に来ていきなりの料理の出現に、ヴィダは追いつけなかっただけなのだ。よくあるような話でも、いざ目の前にするとそれはとても心が痛いものだった。
「もったいなくねェよ。これはヴィダに食べて欲しくて、持ってきたんだ。最初は食べにくいかも知れないけど、ヴィダには早く元気になってほしい。ゆっくりでいいから、ちゃんと食べよう」
ヴィダはキョトンとした顔でペンギンを見た。
そしてフォークを手に取り、恐る恐るひとくち口に入れれば、「おいしい…」と呟いた。その言葉にペンギンは大きな安堵を覚えた。
そんなことを思い返しながらペンギンはヴィダを見た。あの頃の様子が嘘のように今目の前の食事を頬張っている。最初の頃と比べると、その変化はクルー全員が目を見張るものだった。あんなにボロボロだった少女が船内で走り回るくらいのお転婆な娘となったのだ。嬉しくもある。だが、たまにやりすぎて船長に怒られるのだけは勘弁だ。その時なぜか自分たちも巻き込まれる。しかし、ヴィダが来てからこのむさ苦しい船内が明るくなった。これは少女のカゴカゴの実という人を幸福にする能力の1種なのだろうか。
いや、違う。
これは少女の素質なのだ。
ペンギンはチラリとローを見やる。
「…余計なお世話だ」
そう言ってヴィダの額を軽く小突く。
まさか少女に食事について言われるとは思ってなかったローは頬杖をついて、そっぽを向いた。
まるで子供のような反応に、ペンギンは少し笑った。
「ペンギン」
「はひ?」
いきなり呼ばれ、笑ったことを怒られるかと思い、思わず変な声が出た。
「俺にもヴィダと同じのをくれ」
ペンギンはローを見てキョトンとした。
だがすぐさま我に返り、今度はちゃんとした声で「はい!」と返事をした。ペンギンにとって、ここのおにぎりは船長の好きな塩加減で作っている。たくさん食べてもらえるのは、実にありがたい。ペンギンは良い気分で船長のおにぎりを準備をした。
「ロー、えらい!」
「うるせェ」
そんな掛け合いの中、ペンギンは笑う。
少女はクルーのみならず、船長までもを変えてしまう大物だ。
この調子でローの偏食も治してほしい、とペンギンは密かに願った。
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