シーザーは苛立った。

 時刻は真夜中の丑三つ時。
 隙間風かと思った音は、次第に鼓膜が痺れるほどの苦痛を感じさせた。

「ぁあー!?っるせー!!誰だ夜泣きしてるガキは!!」

 持っていた数多の資料を放り投げ、シーザーは天を仰ぐ。
 はらはらと落ちる資料の背景には、メガネをくいっとあげるモネがいた。

「あら…大きな声を出してどうしたの?」
「ガキの夜泣きがうるさくて集中できねェんだよ!」


 始めは小さな音だった。隙間風かと思った音は、作業に集中していれば無音と同じだった。
 しかし、今はどうだろう。
 施設の通路に響き渡り、終いにはこの部屋に到達する。
 少し長めの音が響き、一度静かになってから、また響き出す。それは、子供特有の泣き声だった。

「俺は天才かつ繊細な男だ!こんなうるさかったら最良の結果がくずれちまう!おいモネ、ちょっと行って黙らせてこい!」
「…夜泣き?」

 モネが大きな翼で耳をすます動作をした後、首を横に振った。

「…何も聞こえないわ」
「はあ?そんなわけねェだろ!」

 今だってうるさく聞こえる。
 シーザーは不快感を打ち消すように、拳で机を殴った。
 しかしモネはもう一度首を横に振った。

「マスター。確かにここには子供達がいる。…でも、夜泣きするような子はいないし、そもそもここは子供たちがいる棟とはかけ離れた場所よ。今までだって聞こえてきたことはないわ」
「…なに?」

 モネの言葉はシーザーを納得する要素以上に、嘘をついているようには見えなかった。
 しかしシーザーは戸惑う。
 モネの言う通り、ここは子供のいる棟とは距離のある場所且つ外は吹雪の嵐。例え本当に夜泣きをしていたって、荒れ狂う雪風の音でかき消されるのは間違いない。となれば、この棟の中に子供がいるということになる。
 脱走。
 その言葉がシーザーの頭をよぎり、すぐさま電伝虫に目をかけたが、

「…今そちらの棟に連絡はしたけど、子供達は全員いるみたいよ。脱走はしていない」

 考察するシーザーの心を読むように、モネは所持していた電伝虫を片手に告げた。流石できる秘書である。
 だが不自然だ。脱走でもなければこの声の持ち主は誰だ。まさか…侵入者?
しかし、モネにはこのつんざくような声が聞こえないという。
 まるで親を求めるようにつんざくような悲痛な叫びが。

「ばばばば…ばかいってんじゃねぇよ…じゃあ……なんだ?ゆ、幽霊でもいるってのか?俺は科学者だ。そんなもん信じねェぞ……!」
「じゃあきっと疲れてるのよ。まあ、別にどちらでもいいけれど。私はもう休むわ」
「えっ!?」

 天才である自分が非科学的な事態を想像し、顔を青くした。
 しかしそんな自分に対して、美しき妖鳥は驚くほどに冷たい。
 モネは小さな欠伸を零しつつ、部屋を出ていこうとした。

「ままま…っ…待て、モネ!」
「怖いならローでも叩き起こせば良いんじゃない?」
「ざけんなもっとこえェわ!!あ、いや怖くないぞ!別に俺は幽霊が怖いわけじゃない!あんな非科学なものを俺が信じるわけ、」
「おやすみなさい」
「あ"、ちょ、」

 そう言って颯爽と翼を翻して、ついにモネは部屋から消えた。
 しん、と静まり返った部屋は急激に温度が下がったように感じる。
 別に怖いわけじゃない。真相が分からないことに対する科学者的武者震いだこれは。
 自分でも何を言い聞かせてるのか分からないまま、シーザーは散らばった資料をかき集めた。
 その時だ。

 カツン

 カツン


 誰かの足音が響いた。
 その足取りは普通に歩くにはとてもゆったりで、一歩一歩が重く聞こえる。
 もしかしたら、自分の代わりにとモネが遣わした部下かもしれない。
 だが、シーザーの顔からはどんどん血の気が引いていた。
 たかが足音も、今のシーザーのにとっては気を散らす要素の一つ。呼吸も忘れてその足音に集中をしてしまうほどに。
 心なしか足音に伴って、泣き声が大きくなっているような気がする。
 カツン、カツン。と響く足音と幼子の悲痛な泣き声。
 いつしか追い討ちをかけるように、泣き声の正体は単語を落としてきた。

 ……え、せ。
 …………ぞ…え、………せ。

 なんだ?一体何が言いたい?
 まるで脳内に直接語りかけているようだ。
 いや、別に自分は非科学的なものを信じるような思考はしていない。なんならその正体を暴く立場だ。そうだ。自分は天才科学者だ。落ち着け落ち着け怖くないこわくない。
 握力でぐしゃぐしゃになった資料を持ったまま、自己肯定を高める。
 体は自然に部屋の出口に向いていた。同時に目線と聞き耳もそちらへ向かう。

 そしてついに、足音と言葉は最も大きく響いた。


 しんぞう。かえせ。


「っきゃーーーーーーーーーーッ!!?」
「うるせェ…騒ぐんじゃねェよ。起きるだろうが」
「って、テメェかよ!!!」

 黒い足先が見えたと同時に、か弱き乙女にも負けない悲鳴はどすの聞いた声で一蹴された。
 足先から体全体が現れたのは、長い太刀を担いだローだった。
 随分と不機嫌そうな顔をしたまま、こちらを睨んでくる。

「おま…っ!ほんとふざけんな!!こんな時間にうろつくんじゃねーよ!!ちょっとビビっちまったじゃねーか!!」

 シーザーは未知の恐怖の正体が分かった安堵、知り合いがいる安堵、ふざけるな寿命返せという怒りがごちゃ混ぜになった末に、怒りが勝った。
 だが効いていないのか、ローに目立った反応はない。むしろ寝ぼけているのか、その足取りは重く、目元は虚ろげだ。
 普段から濃い隈も、今はより一層濃く見える。寝起きなのか、はたまた眠れなかったのか。そのせいか、いつもより凄みが強い気がした。

「ったく、一体何やってんだ!」
「……散歩」
「そんな眠そうなのに!?」
「うるせェ…もう用は済んだ…寝る……」
「ちくしょーこのヤロー!永眠しろ!!」

 本当に何を考えているのか分からない。普段からもそうなくせに、寝起きだとさらに謎が深まる男だった。頭の良い奴だとは思ってはいるが、どうも行動が読めなくて困る。
 シーザーがその場で地団駄を踏んだ時、ふと気付いた。
 うるさかったはずの夜泣きは、今じゃ元々何もなかったかのように静かになっていた。

「…おいロー。ここらへんでガキを見なかったか?」
「あぁ…?見てねェよ。テメェ…まさかガキがいんのか。……親は選べねェとはいうが…」
「いねェよ!!つかどういう意味だこのヤロー!!」

 恐る恐るというように聞けば、存外失礼な奴である。煽りの天才かもしれない。
 もういい、とシーザーは再び作業に戻ろうとすれば、ローはサークルを展開した。
 座った目が眠さを物語っている。
 そして肩に担いだ刀を撫でるように触れた後、

「…まあ、誰かが泣き止ませたんだろ」

 は?
 ボソッと呟いた声に問いかけようとしたが、彼は便利な能力故に既にこの場から消えていた。
 シーザーは沈黙する。

 俺はあいつに、ガキがいたかどうかしか聞いていない。

 深まった謎の恐怖を散らすように、シーザーはパァンと両手で資料を引き裂いた。

 別に怖くないけど、しばらくローを避けることにした。


***

 スモーカーは怪訝に思った。

 極寒の地域で催された麦わらの一味の宴は、異常な盛り上がりを見せた。
 己の部下も、美味い食事と酒のせいか久方ぶりに羽目を外し、騒いでいる。気を抜きすぎだと顔を顰めるが、食事の施しを受けている身でそれを言うのも悩むところだ。
 そんな不満気な胸中で眼前にあったパンを手にとれば、白雪の中に小さな幼子が立っていることに気づいた。
 腰を降ろした自分と向かい合うようにしてじっと見つめてくる幼子の見目は、物心ついたばかりというべきか、あまりにも幼い。加えて極寒の地であるこの場にその薄着の装いは異質に感じられた。しかし本人は寒そうにもしていなければ、それ以前にまるで感情が読み取れない。
 何がどうあれ、ここにいる子供は皆研究所にいた子の一人であり、親元を無理矢理引き離された子なのだろう。ならば目の前に幼子がいたって、大した問題はない。
 そんな幼子は、スモーカーをただ見つめていた。それはまるで野生の獣がこちらを伺うようにも見えた。

「…食うか」

 異様ともいえる小さな姿にスモーカーは問いかけ、手にしていたパンを一つ差し出す。
 獣のようだと形容した今、本物の獣を相手にするような行動に、スモーカーはハッとしてすぐに手を引っ込めようとしたが、幼子は気にしていないのか、ゆっくりと近づいてきた。
 普段から子供に怖がられることの多いスモーカーにとって、それは物珍しく見えた。
 目の前に出されたものを、幼子はにおいをかぐような仕草をする。そして口を大きく開き、パンをばくりと食べた。

「………美味いか」
『むぅ…んーま』
「…そうか」

 本物の獣のような仕草に、スモーカーは少し瞠目しつつ問いかければ、返ってきたのは可愛らしい声音だった。
 頬袋をもにもにと動かして食べる幼子を見て、自然と頬が緩む。

『ありあとぉ』

 咀嚼し、ごくりと飲み込んだ後、幼子はそう言った。
 舌足らず故に言葉の意味を理解するのに、数秒費やした。

「礼なら俺じゃねェ。麦わらの一味のコックに言え」

 大人数に囲まれて見えないが、恐らくいるであろう方角に指を差す。
 幼子はそれをちらりと見た後、再びスモーカーに向き直った。首を傾げているのを見る限り、どうやら意味が分かっていないらしい。
 再度、スモーカーに『ありがとー』と零した。今度はちゃんと言えていた。
 たかがパンをあげただけで2度も礼を言われるのか。他愛ない子だ。
 そう思った時だ。

「ーーー、ッ!」

 いつ動いたのかわからない。そんな瞬きの一瞬で自分の懐の距離に、幼子がいた。
 スモーカーは油断をしていたわけではなかった。捕らえるべき海賊がすぐそばにいるのだ。それを怠る理由がない。
 しかし眼前には幼子。気配などなかった。
 息を呑んだスモーカーはすぐ態勢を整えようとした。
 だが、

『主の』
「は?」
『ありがとー』

 懐の距離で小さな手が、スモーカーの心臓に指を差す。
 ゆっくりと言った言葉は、鈴を転がすように嬉しそうな声音だ。殺気などは見当たらない。
 スモーカーは言葉の意図が分からず、問いかけようとしたが、それは叶わなかった。眼前の幼子が忽然と姿を消したのだ。
 急いで辺りを見回すが、まるで幻覚でも見ていたか、はたまた酔っていたのか。そう思わせるほどに、幼子がいた証拠たるものは消えていた。

「なんなんだ一体…」

 疲れているのかもしれない。思わず天を仰ごうと目線を上げれば、ローがいた。なぜか、いつもの余裕そうな表情ではなく、不機嫌そうに肩で息を切らしている。
 麦わらの一味に追いかけられたのだろうか。そうなら同情する。

「ったく…ちょこまかと…!」

 そんな呟きをしたと同時に、ローは長い太刀を担ぎ直した。そのまま近くの木箱に座って疲れたように大きく息を吐く。
 スモーカーは、ふと思う。
 子を見失っても、たしぎがなんとかするだろう。そう確信しているから問題はなかったが、可能性を期待して一応聞いてみた。

「おいロー。こんくらいのガキを見なかったか」

 ご丁寧に手で背丈の高さを表せば、ローは飲みかけたスープをごふっと咳き込んだ。
 本当に疲れているのかもしれない。

 スモーカーはちょっと同情した。


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〜コメント〜
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2019/09/07 08:41 カナメ
PH編の鬼哭ちゃん見れて幸せです!鬼哭ちゃんが美味しそうにパンをもふもぐしてるのが想像できました!ローさんの心臓のお礼もちゃんと言えてなんてえらい子なんでしょう!
編集


2019/09/07 02:02 つ月詠
この作品本当に大好きです!!!
今回のPH編のお話でしたが夜泣きした鬼哭ちゃんを泣き止ませるのにお散歩したり、スモーカーと関わったり…いろいろ大変な鬼哭ちゃんとお世話するローがたまりません!!
忙しい中大変だとは思いますが更新頑張ってください!!楽しみにしています!!!!!
編集


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