この酒屋は結構な細道にあり、ぱっと見穴場だろうと思わせる位置にあった。落ち着いた雰囲気でもてなす面積は小さく、クルー全員が入ることはできないだろうなと思う。
晴れやかな夜空の刻、雲など垣間見えない様子から明日は出航日和だな、なんて考えつつ俺は喉を潤した。
現在、俺はクルーの目を盗んでそっと船から抜け出し、一人酒を満喫中だ。
あとでベックあたりに怒られるのは分かってる…だが、酒を目の前に小言を考えるなんて失礼千万。仕様がないじゃないか。この島でできたワインが俺の舌によく馴染むのが悪いんだよ。
だがまあ、一人酒も今日これっきりの時間だな。今ここにいるのは、俺と店主のみで嫌いじゃないが、やっぱりあいつらと飲む酒じゃないと寂しいものがある。ちょっと性に合わなかったか。
静かで良い空間なんだが…
「おい!!この店の酒を全部よこせ!!」
うーん、前言撤回。やっぱりこういう奴らはどこにいっても必ずいるもんだ。
多数の野蛮な賊共が扉を蹴り上げて押し入ってきた。賊の数だけ刃物を店主に向けているが、店主も慣れているのかほけっとした顔をしている。
この様子から大した奴らではなさそうだし、素直に言われたものを出せば大事にはならないだろう。俺はうるさいのに慣れてるからな。
放っておこう。
「入り口に溜まるな。邪魔だ」
「ああ?なんだてめ――ッ!?」
その矢先だ。突然賊共の野太い声の中で、凛とした声が響いた。
眼前に青いサークルが広がり、喧騒を奏でた賊共は一瞬で姿を消した。代わりに、バシャン、と音をたてて水が床に広がる。
賊共に隠れていた姿がはっきり視認できた。その正体は、ぱっと見でまだ十代の若者だろう。酒場には似つかわしくない細身な少年だった。
俺は思わず感嘆の声を漏らした。被る帽子と、身丈に比べて随分と長い太刀を肩に担いでいるのが特徴的であり、またそれが決定打だったのだ。
「お前があの有名な医者か?」
適当に腰を降ろした少年へと近づいてみた。少年から受けた流し目のような視線は、童顔な割に随分大人びた雰囲気を晒し出す。
見た目と中身の成長が一致していないあたり、やはりまだ若いと思う。
「有名かは知らねェが、医者やってんのは確かだ…赤髪のシャンクス」
「…なんだ。俺を知ってたのか」
逆に問われ、へらりと笑いつつ答えれば、少年も釣られるように笑う。だがその笑みは俺とは違って、嘲笑的なものだった。
「割と有名ってことを自覚したほうがいい…あんた、飄々としすぎだ」
「そりゃ褒め言葉だな!なら名前も聞きたい。生憎、そこまで耳に入っちゃいないんでね」
「言わねェよ」
「そりゃ困ったな。ならドクターと呼ばせてもらおう」
俺とは目を合わさず店主に適当なものを注文する少年との間には、どうやらまだ溝があるらしい。歩み寄ってるつもりなんだが、名前を教えてもらえない所からいえば、まだまだか。
「この広い海に噂は広がるばかりだ。四肢を失う人間を黄泉返らせただの、姿は見れどすぐに消えちまう幻だの…まるで御伽噺のようだが、能力者なら納得ができる。そんなドクターが海を渡り歩く目的はなんだ?」
「随分踏み込むんだな」
「あんたと俺はもう友達だからな。酒の席で無粋なことはいらねェ!ちょうど話し相手も欲しかったしな!ほら乾杯!」
店主からきた酒に無理矢理祝杯の合図をとれば、うんざりとした面持ちで嘆息された。
「…今は、時期が来るのを待ってる」
それだけだ、と呟く少年の声はとても小さかったが、その瞳はひどく冷たく、残酷に見えた。
他人の境遇など千差万別だが、如何せんその歳で背負うものは酷であろうとは感じる。
「…お前、」
「あんたのその腕、治してやろうか」
遮るように言う少年の言葉に、一瞬瞠目した。
「あんたの言う御伽噺の人物が目の前にいるんだ。それくらい、すぐに叶えてやるよ」
冷酷な表情から打って変わって、いたずらのような笑みを浮かべた少年は、よほどそれらが得意なのだろう。自信の欠けが全く見えない。
その表情から若干、安堵した自分がいた。
「…いや、これはいいさ。それに、惜しいと思ってたらなくさねェしな」
「それもそうか。あんたほどの変人だ。よほど馬鹿げた何かをしたんだろ」
もう繋がられていない腕を見て思い出される幼子の姿を頭に浮かべて、思わず笑う。
夢を託した若者を助けた腕に、未練はない。
うん。うん。そうだな。
「…なあドクター。これもなにかの縁だろう。俺の船に来ないか。船医は多いに越したことはない」
「遠慮する」
「即答か!前に滞在した島ではむしろ頼まれる側だったってのになあ…。それに、あんたの居場所にもなれると思ったんだが」
「うるせェ余計な世話だ」
「別に世話じゃねェさ。縁だと言っただろ。来いよ俺の船に」
「しつけェな」
その時だ。瞬間的であったが殺気を感じた。だが目の前の少年が特になにをしたという訳ではない。
その理由に、己の首元に鋭い刃が向けられているのが分かったからだ。
「…ああ、起きちまった」
少年は驚くことなく、溜息と共に諦観な視線を向ける。その向きと切っ先を辿れば、方向が合致した。
小さな幼子が、こちらに刃物を向けていたのだ。
「さっき寝付いたばっかなんだけどな…鬼哭、仕舞え」
少年がさも当たり前のように幼子を抱き上げれば、俺に向けられた刃は風化したように視界から消えた。
驚く俺を余所に、幼子は大きなあくびをしつつ、俺をじっとりと睨みつける。
「こりゃ驚いた…随分頼もしいボディーガードだな。そいつも能力者か?」
「…ただの訳ありだ」
「へぇ…!」
心情からの本音をそのまま吐露すれば、ばつが悪そうな顔をしつつ、少年は面倒くさそうに答える。
すると、未だ殺気と鋭い視線を向けたままの幼子が、俺に遠慮なく指を差してきた。
『いじめ。めっ』
「は?」
『めっ、めっ』
主張してきた可愛らしい幼子の声は、殺気と比べてどうも迫力に欠けてしまう。
さらにその中の言葉を噛み砕いて理解をすれば尚更だった。
これは、つまり、
「ぶっ…ははっ…ははははははははは!!!なんだなんだ!!俺がこいつをいじめたから怒ってんのか!?ふは…っ!!そりゃ悪かったな…!!ふふっ…!主思いのいい子じゃねェか…!!ごめんなぁいじめて…!よかったなぁドクター…!!はは…ははははははは!!!!」
俺がこの少年をいじめていた、と勘違いした訳だ!
「ッ!おい!!なに笑ってやがる!!テメェもだ鬼哭!なにがいじめだ!!いつになったら言葉の良し悪しの違いが分かるんだよ!!」
『??…あうじ…きこく…きらい…?』
「違う!!泣くな!!」
「だーーっはっはっはっはっははは!!!!」
「テメェはいつまで笑ってるんだ!!!!」
目尻から涙が出てきた。
目の前には幼い妹の行動を躾ける兄。だがその兄の言葉をまったく理解できずにいる妹。噛み合わない会話。先程の話の流れからの温度差。
なんだこれは。なんだこの茶番は。腹が痛いぞ。まさかこんな巡り合わせが待っているとは。
これは…これは!
「よし決めた!絶対俺の船に来い!いや、なんなら連れて帰るからなドクター!覚悟しろ!!」
「ッ…!!断る!!!」
もう手放すほうが馬鹿だろう!?
「もちろんチビ助!お前もだ!!」
『???』
かくして、ローはシャンクスの手に逃れたのか。
それは彼らのみぞ知る。
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