『ぷいんー』
目の前で間の抜けた声を出して俺を呼ぶのは、間違いなく俺のプリンを食べた幼子だ。
再会に喜ぶべきだろうが、如何せん場所が最悪すぎるような気がする。
「な、なんでお前がここにいるんだ!?危ないから離れろ!敵にやられるぞ!」
銃弾が来るはずの先と幼子を交互に見つつ、俺は真っ青になって喚いた。
海兵のくせに子供も守れないなんて本気で死ねる!ふざけんな!
だがその切情の反面、いつまで経っても銃弾は来ず、それどころか敵の姿は消えていた。
幼子も一向に反応を変えず、どこ吹く風だ。
「?…逃げ…たのか…?なんで…」
あの状況下から、俺は動けないただの標的だったはずだ。
もし逃げたのだとしても、その意味が見出せなかった。
その時だ。
「斬りかかるのはいいが、ちゃんと顔は分かってるんだろうなお前……っと、こりゃ随分と珍しい毒を使ってやがる。相手の中に薬に心得のある奴でもいんのか」
うめき声が広がる中のはっきりとした声音に、即座に振り向く。
そこには動けない仲間を軽く一瞥する目つきの悪い男が立っていた。
俺は一瞬声を詰まらせる。
その男に海軍コートが掛けられていなかったら、きっと俺は敵だと判断しただろう風貌だ。
『主、ぷいん』
「は?何言ってんだお前」
動き出した幼子は、男の傍へ赴き、神聖なコートの裾を引っ張って俺の方を指差す。
幼子が促した先を、男は怪訝な顔で見つめると、俺と目が合った。
「あ…えと…」
「…お前…変な名前だな…」
「ち、違います!俺ぷいんって名前じゃないです!誤解です!その子が勝手に呼んでるだけです!」
「そういうことか。まあ…それは後でいい」
完全な誤解に首を横に振って否定をすれば、男は納得したような顔をした。本当に理解したのかは分からないが、神妙な顔つきになった男に追従はできない。
聞かれることは、予測がつく。
「状況は見ての通りこっちの不利か」
「はい…主犯はこの先かと」
「なるほどな。そして解毒剤もねェと……」
「あの、他に増援は…」
「いねェ」
「は」
「俺だけだ」
「は!?」
「面倒くせェからさっさと終わらせるぞ」
なんだそれは!?
些細な希望ができたと思ったら、増援は一人だけ?今ほど人数が欲しいと思うこの状況に、一人だけの増援なんて完全に舐めてる!
「おい鬼哭」
終わりの覚悟を迎えそうになった俺に、男は気にせず前を見据えながら、呟いた。
誰かを呼ぶ声だったが、聞いたことのないような名前だ。自分ではないと分かってはいるが、俺は反射的に顔を上げてしまった。
見れば、男が腰を曲げて幼子と顔を合わせていた。
「主犯格を叩き出せ。抵抗するようなら口がきける程度でいい。それ以外の奴らは好きにしろ。誰1人船に近寄らせるなよ。その場合の生死は問わねェ」
話の内容と、それを伝えられる相手の姿のせいか、俺の脳内が理解をしようとしない。
この人、こんな小さい子になに言ってるんだ?
「5分だ。過ぎたら置いてくからな。――遊んでこい」
刺青の入った手が、幼子の背を軽く促す。それに合わせて、幼子は黒い影となって森林の中を走っていった。
頭に響いたのは、小さな子供の笑い声。それは誰もが思うだろう、歓喜の念だった。
その刹那、野太い声が次々と耳を掠めたような気がした。
そう曖昧な表現をするのは、森林にいたはずの俺が、なぜか今自船の前にいたからだ。
「…うそ…」
「おい」
思わず溢れた驚きの声は、現実なのかよくわからなかった。だって脳内が理解を拒否する。いっそ理解を放棄したかったが、
「手伝え」
どうやら休ませてはくれないらしい。
有無を言わさぬ目と畏怖が身を貫く。青いサークル内には宙を浮く仲間達と、切断された身体の断面。
とりあえず俺は思い切り叫んでおいた。
***
男から「うるせェ」という拳骨をもらってから、俺は仲間たちの介護に勤しんだ。
展開された空間内は、異様としか言えない。
人が浮かび、胴体が斬れる様には何度となく叫び声が喉元を掠めたが、仲間たちの徐々に広がる安堵の表情が、俺の悲鳴を安堵の息へと変える。
それは全て、この男の手の動き一つで起きているのだ。
この人、一体なんなんだ。
「…さて、そっちも頃合いか」
「え?」
瞬きする間に終止符を打った治療と同時に、男は森林の遠方を見た。釣られてそちらを追えば、俺たちが先程までいた方向であろう場所を指していた。
その束の間、気づいたら黒い影が男の側にあった。
影を注視すれば、やはり小さな幼子。先程のことは見間違いではないと訴えてくる。
だが、その小さな体躯で自分の何倍もあるだろう大柄の男を担いでいる様は、顔がひきつらずにはいられなかった。
「ちゃんと指示通りできたな。褒めてやる」
『あいぃ』
俺の感情とは真逆に、幼い声音は嬉しさが滲み出ている。微笑ましい光景の中、幼子はその場に似つかわしくない大男を雑に転がした。鈍い声を上げる大男は、まさに今回の任務で追っていた主犯であった。
「ひぃ…」
「テメェが主犯だな。この毒を作ったのもお前か?それともどっかに伝でもあるのか?吐けよ」
どっちが凶悪犯か分からない表情に、思わず主犯の男と同様に俺は「ひぃ」と身を震わせた。俺は関係ないのは分かってるよ?でも怖いんだよ。
「な、なんだ…なんだそいつは!!!まるで人間じゃねェ!!バケモンだ!軍はこんなのを飼ってるのか!?テメェは一体…!」
何があったのか、男の顔は真っ青で恐怖に体を震わせていた。歯もかちかちと音を立てては、瞳は泳ぐように揺れている。
所々の傷を観察すれば、それは明らかに刃傷のものであった。
それも、かなりでかく、深いもの。
「ーー分かってんじゃねぇか」
低く、含みのある声音に、思わず体が強張った。
主犯の言葉に対し、男は怒らず、至極当たり前のように頷く。声音通りと言うべきか、口元は弧を描き、随分と楽しそうだ。
「こいつはバケモンだ。……さっさとはかねぇと、食っちまうってよ。――なあ?」
男が横目で件の幼子を促せば、幼子は腕と目尻を持ち上げ、そして
『がおー』
と、恐らく威嚇であろう姿勢を示した。
なんだかその姿、どこかで見覚えがあるなぁ、なんてこんな時に呑気なことを考えた俺は、きっと色々疲れている。
「い、いやぁああああ!!!」
全く怖くない威嚇のはずだが、主犯はどこから出てるんだと思うほどの悲鳴を上げた後、泡を吹いて気絶した。
「おいなに寝てんだ起きろ。仕事が片付かねぇじゃねぇか。手間とらすんじゃねェよ」
許容範囲を超えて気絶したらしい主犯を、男は長い脚で容赦なく蹴り上げる。
正直見てて絵になるが、怖い。
『がーおー』
「こ、こわいなー…」
尚且つ威嚇を続ける幼子に、俺は苦笑しながら返せば、幼子は気を良くしたようだ。若干目が輝いたように見える。
『あるじー。がおがおー』
「あ?…アリクイの威嚇か?」
思い出した。それだ。
***
「おい!トラファルガー・ロー!!報告書を書け!!!」
「書いたじゃねェか」
「あれのどこがだ!!!結果論だけ書きよって!!捕縛した奴らはずっと“鬼がくる”と呟いては何も吐きやせんし、これでは毒の出処どころか今後の改善の役にも立たんじゃないか!!貴様何をした!!」
「聴取の仕事は専門外だ。俺は医者だからな。それに解毒ならちゃんと作ったから問題ねェ。報告書に記載しただろうが」
「そこじゃない!ならせめて仕留めた奴にこれを書かせろ!」
「書かせただうろが」
「ガキの落書きだうろがこれは!!ふざけるのも大概にしろ!!!!」
「うるせェな。読解の努力ぐらいしてみろ」
嗚呼、なんて心労が祟りそうな内容だろう。
怒号は部屋の外にいても体にビリビリと鞭打った。
怒涛の初陣を終え、なんとか任務を遂行して本部へと戻ってきてから知った。俺を助けてくれたのは、海軍本部でも有数の期待値を誇るトラファルガー・ローであった。
現段階で弱冠にして少尉の立場であるだけで恐ろしいというのに、将来階級は大将だと歌われる男は、俺と天地の差。
有名な人物に助けられた俺。思わず魂が抜けてしまいそうになった。
「と、トラファルガー少尉殿!」
暫くすると怒号は小さくなり、扉が開いた。
俺は腑抜けた背筋を光の速さで正し、出てきた人物に向かって腹から声を出した。
「あ?ああ…あの時の奴か」
「覚えていただき光栄です!此度の任務、少尉殿が居りませんでしたら、為すことはできませんでした!」
覚えてもらえてこれ幸い。
忘れられてたらどうしようと思っていたが、どうやら杞憂だったようだ。それに乗っかり、どうか少しでも感謝の気持ちが伝わればと思う。
共に初陣に赴いた同僚達も、今はゆっくりと休んでいる。自分もこうして無事でいられるのも、この人のおかげであるのは間違いないのだから。
「仲間も無事で…!情けない話、少尉殿がいなかったら俺たちはきっと野垂れ死んでいた…本当に感謝しきれません…ありがとうございます!」
「ああ、別にいい。借りを返しただけにすぎねェ。気にするな」
「…? か、かり、ですか?」
俺の問いかけに、少尉殿は首肯した。
返答の方向性が全くの予想外の域に辿り着き、俺が反射的に首を傾げると、少尉殿は己の腕の中に視線を傾けた。
「こいつの世話でも焼いてくれたんだろ。悪いな」
腕の中にはすやすやと眠る幼子がいた。
あの怒号の飛び交う中、普通に眠っていたと思うと、相変わらずの図太い神経だなと思う。
言いながら少尉殿が幼子を「ほら」と押し付けてきたので、俺は慌てて抱きとめた。
小さい子の抱き方とか、分からないんだけど。
「お、おれは、別に…こいつにデザートをあげただけで…」
『ぷいん』
弁解の中、思わず肩を跳ねさせて幼子を見るが、瞳は見えない。どうやらただの寝言のようだ。
「別に何したかなんて聞いてねェ。珍しく懐いてやがる。それで十分だ」
少尉殿が笑う。
それは純粋な笑みなのかもしれないが、元々の怖い顔のせいで、随分と卑しい笑みに見えた。だが、そんなことは口が裂けても言えん。
にしてもたかがプリンあげただけでこれは、お釣りがいくらあっても足りないんじゃ、
「それでだ。これも頼むぞペンギン」
「は?」
「期日は明日の正午だ。俺の部屋は鬼哭が知ってるから、そこでやれ。俺はこれから上との会議に出てくる」
「え?え??」
突然、少尉殿が大量の資料を俺に渡してきたので、抱きとめる幼子と一緒に慌ててそれを受け取った。
待ってくれ。どゆこと?
「あ、あの…?」
「なんだ。手短に言え」
「す、すみません!じゃ、じゃあ…えっと…なんで俺の名前を…」
他に聞くことがあっただろ、と自分に突っ込むが、今はそれぐらいしか浮かばないぐらい脳内は混乱していた。
だがそれを一気に覆すように眼前に突き出されたのは、俺の写真のついた履歴書そのものであった。
「今からテメェは俺の直属の部下だ」
「…はい!?」
紙面には、新たに書き換わっている配置部署が記載されていた。
これは、まさか。
「あとは任せたからな」
「ちょ、ちょっと待ってください!早急すぎます!まだ理解が…!てか俺医学とかわかんないし…!」
「頭は俺が使うからお前は死ぬ気で動け。以上だ」
初陣の時に見たサークルを展開させながら少尉殿は軽く言う。
雑だわ!!と叫びたくなる俺の慌てぶりは完全にスルーらしい。
「…そういや、大事なことがあったな」
「な、なんでしょうか!」
そう、そうだよ。とにかく大事なことを教えてくれ!少しでも俺の理解が追いつくように!
俺は食い気味に少尉殿に詰め寄った。
そして少尉殿はとても有益なことを述べた。
「そいつは俺がいない状態から癇癪起こすまでもって15分だ。それ以後は…まあなんとかしろ。じゃあな」
「そういうことじゃないんですけど!?」
欲しい情報の方向性が予想外だ。
だが、姿を消した人物になにを言っても届きゃしない。伸ばそうと思った腕も大量の資料と幼子のせいで無意味な争いだ。
残ったのは、前に進む足のみ。
「ああもう…よし…よし分かった…と、とにかく部屋に行けばいいんだよな…?ええっと、確かこっ、」
俺はヤケクソで少尉殿の執務室の在り処を地図で確認した。
子供は今寝てるからしょうが、
『っグズっ…あるじ…』
なんて思ってたらちょうど幼子と目が合った。しかも目に水が溜まってないか?
「え!?あ、悪ィ!ごめん!って、なんで俺が謝るんだ!?あああああ!もう!泣くなって!少尉殿…って分からない!?えっと、ローさんはすぐ帰ってくるから!」
『びぁあ…』
「あああ!!よーしよしよし!!」
15分どころか15秒で決壊してるぞ!
子守?仕事?俺の部署の確認?優先どれ?
「あああああ初陣から前途多難だなもう!」
元凶はなんだ!?まさかプリンか!?
誰が想像できるかそんなもん!
かくして、新米海兵の俺ことペンギンは、ローさんの下に就いたのである。
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