「とんだ時間を食った…」

 眉を寄せ、舌で舐められた頬を指で触れながら零した言葉は、疲れが滲んでいた。
 少女が去ってから意識が現実に戻ったローは、当初の目的を果たそうと、再び山道を進む。
 足取りが自然と早くなっているのは、予想外な出来事で時間を使ったのも一つだが、ローの記憶の片隅に未だ居座る少女を掻き消すためでもあった。
 らしくもない己の戸惑いの中に若干の羞恥を滲ませるが、おくびにも出さぬよう、目を前に向ける。
 そんな矢先だ。

「…今度はなんだ」

 まるで待ち望んでいたかのように聞こえたのは、茂みを掻き分ける音。
 どうしてこうもなにかに出くわすことが多いんだ、とローはうんざりした気分で苦難する。
 もしやまたさっきの、などと眉を寄せつつ少女を思い浮かべて考えうる範囲で予測する。だが、音が複数に分かれて聞こえた時、その可能性を捨てて、足を止めた。

「…狼は夜に出るんじゃねェのかよ」

 ローは鋭く目を細め、顎を引く。
 気配に語りかけるように揶揄し、ローは半刻前のドフラミンゴの言葉を想起した。
 陽の光が消えかかってもいなければ、茜色になるのはまだ数時間先だ。言葉通りなら、狼が動くにはまだ早い時刻だろうか。
 しかしどちらが正しいのかなんて、考えたって意味はないし、その気にもなれない。
 その合間の瞬間、茂みの中から影が現れ、それはローの前に姿を現した。

「おいテメェ!この山になんのようだ!!」
「この先に進むってんなら、俺らはただじゃおかねェぞ!」

 威勢のいい声と共に現れたのは狼ではなく、二人組の男だった。
 仁王立ちをしてどっしり構える二人組は、でかい態度の割に、齢はローと同じくらいに見える。
 その見解から、ローは異様に肩の力が抜ける感覚に襲われた。
 狼の可能性さえ無下にされた彼らの脅威といえば、連携で来るであろう狼の群れどころか、先程の姿見が見えない少女の方がある意味恐ろしいと感じるほど、これはローにとって滑稽であった。

「俺はこの先の奴に用があんだよ。どけ」
「ふざけんな!そんなら尚更通すわけねェだろうが!」

 だがこちらがどう思うにしろ、彼らからローは敵であるらしい。狼ではなかったにしろ、敵視されている面で言えばそう変わらなかったようだ。
 しかし、なぜこうも先が進まない。次いで続くイベントの発生に、そろそろローはうんざりする。

「どうせお前、銀狼を探してるんだろ!」
「…ぎんろう?」

 聞きなれない言葉に、ローは眉を寄せた。
 その言葉は脳内の引き出しのどこを開けても、思い当たる節がない。

「聞いたことねェな」
「嘘つけ!知らねェわけねぇだろ!!」
「嘘つく理由なんてねェよ。知らねェもんは知らねェし、興味もねェ」

 正直に言ったつもりだったが、彼らには関係がないようだ。ローの言葉をまったく信用していない。それどころか、彼らの疑りと怒りは消えるどころか深まる一方に見えた。
 だがそれはローも同じで、無駄な問答に苛つきが募り、そろそろ手が出そうな気分だった。

「さっきから言ってるだろうが。俺は知り合いに用が、」
「うるせェ!」

 決着のつかない舌戦に終止符を打ったのは向こうだった。
 彼らは揃って地面を蹴ってローに飛び掛かかる。ローはその寸でのところで、その場から軽く後退して避けた。
 彼らの息の合う振り降ろされた腕が、ローの立っていた場所に減り込む。
 地面を蹴り上げ、空を切る音。妙に動きが早く、また、力が強いと見解。

「なるほど…お前ら獣人か」

 それらによる人よりも優れた身体能力に、ローは納得する。

「それが分かんならさっさと降参した方が身のためだぜ」
「大人しく尻尾巻いて逃げな」

 彼らは否定することもせず、口角を上げてローを見やる。
 恫喝をしてからの、まるで獲物を品定めするような視線。
 獣人を知らないわけではない。が、ここまで力を持つ種はそういないだろう。
 しかも状況からして二対一。もっといえば、相手の息はぴったり。
 己に余裕を持つのは当たり前だと思う。
 この場合は大人しく降参して逃げるのが常軌であり、得策だ。

「言ってくれるじゃねェか」

 が、それは普通の考えであって、ローのことではない。
 自分らと同じように口角を上げたローを見て、彼らは口を結んだ。

「お前らから仕掛けたんだ。その喧嘩買ってやるよ。手加減なんてするなよ」

 弱者に見られたこの状況。プライドの高いロー自身の歯止めの鎖は、勢いよくぶち切れる。
 ここで一つ、彼の名誉のために伝えておこう。
 彼は、医者である。

「死に方ぐらい選びてェだろう?」

 不服ではあるが、ドフラミンゴの部下という前提の元、彼は医者である。

「…え…?」

 凶悪的な笑みは、獣の闘争本能を引きつらせるのに十分であった。



「じゃあな。そこで寝てろ」

 ものの数分といったところであろうか。
 精悍とした態度で背を向けるローに、地面に突っ伏した二人組は小さな呻き声を上げた。
 傍から見れば、同情するのもおこがましいという勢いで叩きのめしたローは、幾分かすっきりしたような面持ちで双方の間を通る。

「ま…まて…テメェ一体…」
「うるせェな。俺はただの医者だ」

 しぶとく構う姿を横目にローは足を止めず、黙らせるように一言告げる。
 その表情からは、少しやりずぎたな。可哀想だな。大丈夫かな。
 …などという感性は毛ほども生えていない、凶悪的なものだった。

***

 道中は散々だった、と思っていたローも、ストレスの捌け口が向こうからやってくれば、多少なりとも体は軽くなり、最終的には順調といった足取りを見せた。
 その中でようやく、一本の草木が生い茂る道から、視界が広々とした野原へと移る。
 そこに、一軒の家があった。すぐに目に留まったそれを見て、ローは安堵の息を零す。

「おいコラさん。来てやったぞ」

 玄関と思わしき扉を、数回ノックする。
 近くで見て妙に大きく作られた家は、扉さえ大きい。大方、体のでかいコラソンのためを思ってドフラミンゴが作らせたのだろう。
 なぜこんな場所に家を建てたのだと疑問だらけだが、もはやそんなことはどうでもいい。
 今問題なのは、部屋の中が無事かどうかだ。
 それを視界に入れなければ、なにも落ち着かない。

「…?」

 しかし待てど、返事はない。それは何度扉を叩いても一緒だった。
 留守か、とも思ったが、取っ手を捻れば扉は容易く開いた。鍵は閉めていないようだ。
 ローは躊躇うことなく、そのまま家の中へと入る。
 傍目から見れば咎められるような行為も、コラソンがマジで全身骨折して動けない、ということを考えれば、どうでも良くなる。

「コラさん?いねェのか?」

 妙に生活感のある内装を正直意外だという目で見ながら、他の扉を開けつつ人の気配を探っていく。
 しかしそれらしき姿はどこにもない。
 本当に留守か、と思いつつローは最後の扉を開ける。
 するとそこには、コラソンの体の大きさに合わせたらしいベッドが一つ。そこに、こんもりとしたなにかがシーツで丸まっているのを見て、やれやれと言った具合にローは嘆息した。

「おい。ドフラミンゴに頼まれて来てやったぞ。いるなら返事くらいしたらどうなんだ」

 言いながら、つかつかと部屋に入り、その大きな物体に近づく。

「どうせドジ踏むなら、もっと近い場所でやらかしてくれ。ここまで来るのに、道中は散々だったんだ」

 今日一日を思い返しながら、ローは愚痴を吐く。
 訳の分からない少女に、喧嘩売りに来る獣人。思い出すのも面倒になった。

「…寝てんのか?」

 一向に返事のないコラソンをもう一度呼びかけ、シーツに手を伸ばそうとした時。

「つかまえたー!!」
「―ッ!?」

 伸ばした手がすり抜けたと思ったら、逆側から腕が伸び、それがローの首回りに巻き付く。
 そのままベッドに引きずり込まれる形になり、ローは反射的に、ベッドを掌で押し返して体を支える。
 目下、腕の中に愛らしい笑顔。

「コラさんを驚かせるためにここに隠れてたんだよー!おどろいた?」

 まるで鈴音のようにくすくすと笑う声は、どうも聴いたことがある。
 ふわりと香る花と陽の香りに、ローの五感が疼いた。
 嗚呼、知っている。
 自分はこれを知っている。

「…ヴィダ?」
「え?」

 自分の目下で笑っていた少女と、お互いの目がようやく合致する。
 笑顔から一変してきょとんとした表情を浮かべる反応から、ここに来る道中にローが出会った少女で間違いはないだろう。
 だが頭では分かっているのに、どうもそれが事実であることを認めることが難しかった。
 否、理解する時間がかかった。
 真っ白な処女雪のような肌に、そこに落ちる輝くように見える白い髪。そして自分を射抜く紅玉のような眼。
 先程、ローブで隠されていたはずの全ての部位が現れ、目の前にいるのは幻想的な容姿をした少女。
 それだけでも息を呑む出来事のはずだが、ローにとって、それ以上に重大な部分に目が行く。

「…あれ?お医者さん?」
「…ああ」

 間の抜けたような、惚けたような肯定をして、ローはようやく狭窄していた意識が解ける。
 その少女の頭には、ふわふわととんがった白い耳。足元をくすぐる同色の長い尾。
 言い換えよう。目の前にいるのは、美しい獣人の姿をした少女であった。

「さっきのお医者さんだ!!また会えて嬉しい!」
「ぐっ…!」

 だがそんな沁みたれた空気をぶち壊すように、少女は尚更ローにしがみつく。
 再会が嬉しいのか、首に巻かれた腕をぎゅうぎゅうと抱きしめるが、少し苦しい。
 離れろ、とローが声を荒げようとした時だった。
 ただいまー。という、随分聞きなれた大きな声音が響き渡った。
 それは本当に期待通りと怒鳴るべきか、遠慮なしにこちらにやってきた。

「ヴィダ!大人しくしてたか?お前足折ってんだからじっとしてないと駄目…」

 部屋の扉越しに顔だけを出して現れたのは、まぎれもなくコラソンで、その顔は憎たらしいくらい笑顔だった。

「…え!?ロー!?」

 が、ローと目が合うや否や、表情は一変。コラソンは驚愕の表情を浮かべた。
 なにせ自分のベッドで男女が事を及ぶ手前の態勢でいるのだ。しかもそれが顔見知りの相手なら、驚かずして何ができる。
 コラソンはそんな状況を目の当たりしつつ、壊れた玩具のように交互にヴィダとローを何度も見やる。
 そんな修羅場を余所に、目下の少女は「コラさんおかえりー!」と呑気な声で歓迎している。
 事の重大さに、まったく気付いていないようだ。

「コラさん…!あんた全身骨折じゃ…?」
「骨折…?って、ああ!そ、そうだったな…えっと実は…って全身!?流石にそれはねェよ!?」

 もっとも、今ここで問いかけるローも大概だとは思うが。
 だがそんな状況だろうと、ローはしどろもどろになるコラソンを冷静に眺めた。
 確かに全身骨折という訳ではないようだが、ぱっと見る限り、どこも負傷しているような場所はない。
 ローは怪訝な顔をした。

「えーっと…とりあえずお前無理矢理はだめ…」

 という、お互いにそこじゃない感を醸し出しつつ、ローは現実に引き戻され、いい加減に現在の誤解を解こうとした時だった。

「コラさん大変っす!!めちゃくちゃ人相悪ィ奴が山に入っちゃいました!!」

 ドタドタと足音をたてて、なにかが入って来た。
 それは騒がしく、複数の音で聞こえる。
 はて、この声もどこか聞いたことがある。と、ローが思考した瞬間、

「あいつぜってーヴィダ狙いです!今すぐそいつとっちめて…」

 コラソンと隣り合うように現れたのは先程ローが叩きのめした男二人組だった。
 ボロボロの彼らの口から紡いでいたはずの言葉尻は、状況を視界に入れたと同時に消え、部屋に生きた心地のしない沈黙が生まれる。

「あ、ペンにシャチ!おかえりなさいー」

 その酸素が消えたかと思うような空間を、再びヴィダがぶち壊す。

「ぎゃあああああヴィダが襲われてるゥーッ!?」

 はじけたような二人組の叫びは、空間を一瞬にして阿鼻叫喚の嵐に仕立て上げた。

「こいつさっきのだよコラさん!!やばいやつ!マジでやばいやつ!やっぱヴィダ狙いだったな!!!」
「離れろテメェエ!!俺らの大事な妹に…!こんな…!こんな…ッ!!ぶっ殺す!!」
「わわっ!ちょっと待てってお前ら!」
「なんで止めるんすかコラさん!!ヴィダが襲われてるんですよ!?」
「離してくださいよコラさんんんッ!!」

 怒り狂う彼らをコラソンが必死に宥め、体を抑えようとする。
 それが尋常じゃないということは、般若の顔になる二人組を見て、ローも嫌になるくらいに察した。
 ローはヴィダから離れようと、目下に視線を向ける。

「おいとりあえず離せテメェ!面倒くせぇ状況に持ち込むな!!」
「やだ!!せっかくまた会えたのに!」
「この状況見て言ってんのか!火に油なんだよ!!!」
「ヴィダに触んなゴラァア!!!」

 自分の目下の少女に言うが尚更抱き着いてきて、離れやしない。
 そしてそれを見て加速する吠える二人組。
 言いたいことがたくさん、たくさんある。

「コラさんッ!!!」

 糾弾に近い思いを言葉と目で訴え、一つに纏めた。


 なんとかしろ、と。


「あーっと…そうだな…とりあえず…」

 それが通じたようで、コラソンは合致した視線を彷徨わせた後、悩める顔で瞑目した後、一言。

「…その子の足、治してくんねェかな…?」

 喧騒をバックミュージックとした中での呟きは、悲しいくらい頼りなく響いた。

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