入り口手前に足を踏み入れ、即座に視界に入るのは、多様な海洋生物が彫刻された壮大な像だ。
 青をベースとしたこれは程よい気品を漂わせ、見る人々は思わず感嘆の声を漏らす…と言いたいところだが、所々に自重しろと言いたくなるド派手なピンク色が、その雰囲気をぶち壊す。
 せっかくの造形美の残念さに、文句を言いたい所だが、これがここの経営者の趣味であるから首をうな垂れて残念だ、と答えるしかない。
 だがこの目立つ色彩のおかげか、この像、もとい、"奴"はここが一体どこなのかを、この世間に知らしめている。それほどまでにこの場所は人気であり、またこの像はそれを表すのにちょうどいい代物なのだ。
 やれやれと軽い息を吐いて館内へと赴けば、受付の方から金銭の徴収はない。その代わりに「おはようございます」という爽やかな挨拶をもらうのは、ここの関係者故の特権だ。


「うーん。形にはなってきたけど、ショーとして見せるにはまだまだかな…」

 飼育員であるつなぎを着た男は、悩ましい顔をしながらプールに目を落とす。揺れる水面に伴ってそこから見えるのは、うっすらとした黒い影だ。
 男がなんの躊躇いもなくそこに手を伸ばせば、そこから愛らしいイルカが顔を出した。

「世間はもうすぐ長期の連休に入るから、それまでになんとか形にしたかったんだけど…間に合わないかもなぁ…」

 悩ましげに呟くと、イルカは伸ばされた男の手に体を擦りつける。
 イルカは「キューッ」という鳴き声を出すが、それが自分の言葉に相槌をしているのか、もしくは、まったく理解をせず単に発しているだけなのかは、新人である身からは到底分からなかった。
 だがそれでも、思わず口元が緩んでしまうから、悪い気分ではない。

「ーー訓練中か」

 イルカ達の高い声の中で響いた低音は、とても目立った。

「ローさん!おはようございます」

 嬉々とした声を上げて振り向けば、トラファルガー・ローがいた。軽装で身を包んでいるあたり、まだ館内に来て間もないのだろう。
 そんな中で、この場に足を運んでくれた事実に、男は顔がほころんだ。
 ローは、水面から度々溢れ出る水に濡れるのを構わず、プールの縁の側まで寄った。
 すると、先ほど各自で自由に泳いでいたイルカ達が、急にこちらに集まりだした。
 ああ、いつも通りだな。と、男は苦笑いをする。

「実は今新しいパフォーマンスの練習をしてて」
「なるほど。時期的にもちょうどいいしな。で、上手くいきそうなのか?」
「それがどうも難しくて…」

 男が申し訳なさそうに頬を掻く横で、ローは「へぇ」とイルカ達に視線を送る。そして少し黙り込んだ後、

「…見たかったんだけどな、それ」

 と、少し寂しげに呟いたものだから、もう黙ってるわけにはいかない。

「キューッ!!!」

 突如、イルカ達は宣言するように力強く声を上げた。

「あ、ちょっと!?」

 だが男の声は虚しく散る。
 そしてなんの指示も出してないというのに、イルカ達は未完成なはずの高難度の技を、美しくそして完璧に披露して見せた。

「…うそ…」

 男は唖然とした。
 その横ではローの感嘆の声と、イルカがザパァンと水面に着地する音が重なった。

「キューッ!キューッ!!!」

 披露した直後、イルカ達はすぐさまローに寄ってかかって集まる。それはまるで褒めてと言わんばかり…ではなく、実際褒めて欲しいのだろう。
 だが、その押しの強さと言ったら、すごいの一言に尽きる。

「ああ良かったよ。これならショーでも十分使える。頑張ったな」
「キュゥ〜…」

 ローがイルカ達を一匹ずつ優しく撫でてやれば、彼らはまるで恋慕を募らせた乙女のようにメロメロになった。
 その様子は、まるで女誑しのように見える。

「なんだお前ら。俺が撫でるといつもそれだな。そんなに俺の手は嫌か」

 しかも本人にその自覚がないものだから、なお恐ろしいのだ。


***


 パタパタ
 ペタペタ

 それは、一定の距離感を保ちながら聞こえてくる。

 パタパタ
 ペタペタ

 歩いても歩いても、自分の背後から、突き刺さるような視線の痛みを感じた。

 パタパタ
 ペタペタ

 ーーぴたっ。

 歩を止めてみても、そのむず痒さは消えない。まるで「もう逃げられないよ」と言われている気分に陥るが、それはあながち間違っていない気がする。
 ローは諦観しつつ、振り返った。腰を屈める動作をしたのは、その正体が何であるか最初から分かっていたからだ。

「ペンギン…お前またついてきやがって…」

 ローの呆れた言葉の中で、無表情極まりない動物はこくりと頷く。
 ローが驚かなかった訳は、この状況が一度や二度で済んだことがないからだ。
 ペンギンは、散歩中だろうがパフォーマンス中だろうが客の前だろうが何だろうが、御構い無しに出歩く。そしてローを探して見つけては、今のようにその背後をついて回るのだ。
 もはやローにとって、これは慣れた行為であるため怒ることはしない。だが、なぜ自分がここまで懐かれているのか、未だによく分かっていなかった。

「毎回すぐに俺を見つけては、ついてきやがって。お前のとこの飼育員も苦労しやがる」

 そのペンギンの脱走を阻止しようと、一時期は飼育員全員が知恵を絞ったこともあった。だがどんなに彼らが頑張ろうと、気付けばペンギンはローの背後にいるのだ。
 まるでボディーガード。悪い意味で言えばストーカーに近い。
 最終的には「そんなに懐かれてるならむやみに引き剥がすまい」という提案もとい、面倒臭い諦めの結果。今じゃこの謎行為ことを咎める者はいない。というより、周りはこれを一つの名物としてカウントしているため、尚更口に出す者はいなかった。
 その中の要因として、ロー本人も特に嫌がっていないという事実が一番大きいのかもしれない。

「来るんだろ?」

 ローが立ち上がれば、ペンギンはもう一度深く頷いた。
 パタパタペタペタ、という彼特有の音が、ローの足音と重なって小さな行進となった。

***

 白いつなぎを着てせっせと働く人影を見つける。それはローが声をかける前にこちらに気づき、顔を綻ばせた。

「よおロー!おはよう!」

 コラソンはこちらに両手を大きく振って挨拶をする。
 だがその腕を自由にしたせいで、彼の持っていたバケツが音を立てて落下した。
 バケツから顔を出した餌の魚たちを見て、コラソンが自分の失態に悲鳴を上げる。大きいはずの体を縮こませながら、コラソンはいそいそと魚を拾い上げた。

「…おはようコラさん。あんた、これでやらかすの何回目だ?」
「失礼な奴だな!前科ありみたいに言うな!今日はまだ6回だぞ!」

 言う割にしっかりと回数を増やしていることに、ローは呆れた。だがこれは今に始まったことではないので、何かを言う気にはなれない。
 ペンギンもコラソンには慣れているのか、散らばった魚を食べることなく、くちばしで咥えてはバケツに戻してくれている。
 なんともできた動物である。

「ロー、早く行ってやれ。シャチが待ちくたびれてるぞ」

 ペンギンにお礼を言いつつ、バケツを抱え直したコラソンが目線で巨大なプールを指す。ローも釣られてそちらを見れば、水面下が揺れて激しく波立つ音が聞こえた。

「分かった。…ほら、お前は先行ってろ」

 ローがペンギンに目線を促せば、彼は素直にシャチのいるプールへと向かった。
 それを見送った後、ローは従業員専用のロッカーに行き、慣れた手でウェットスーツに身を包んだ。
 黒をベースとし、派手な模様が描かれているこのデザインは、不本意にも着るたびに様になっている気がしてならない。

「いやー。相変わらず派手な格好だよなー」
「あんたの兄貴に言え」
「まあ似合ってるぜ」
「そりゃどうも」

 扉を開けて室内から出れば、コラソンから茶々を入れられる。それをいつも通り軽くあしらいつつ、ローはプールの水面下に赴いた。
 ただのバイトだというのに、特注のウェットスーツを作ったのは、ここの経営者だ。
 デザインも全て奴が施したらしい。そう思うと、凄まじい嫌悪感が身を包むが、ひたひたと足が水に濡れる感覚は冷たさを感じない。外界の肌寒い空気さえも、この格好だと暖かいと思ってしまうほどだ。
 デザイン性はともかく、機能性だけは認めざるを得ないとつくづく痛感するのだ。

「よぉ。シャ、」

 乗り上がってきた水をパシャパシャと音を立てて歩けば、水中から大きな波音と共に黒い巨大な図体が現れた。
 挨拶をする間もなく、ローはその勢いに相まって、は頭から盛大に水を被る。海水を使用しているせいで口内がしょっぱい。
 全身ずぶ濡れの中、早速ウェットスーツの役目が果たされたことに、感謝するのを無視して軽く顔を手で拭った。
 シャチはローを見つめながら、尾びれを嬉しそうに動かし、水面をバシャバシャ水飛沫をたてて蹴り上げる。
 それはまるで、犬が尻尾を振って喜んでる姿と変わりない。

「…相変わらずだな。俺はいつかお前に潰される気がしてならねェよ」

 ローの言葉に「そんなぁー!?」と言わんばかりにショックを受けるシャチの頭には、ペンギンが器用に乗っかり、説教するようにシャチの頭を何度も叩いていた。
 ローはその様子を見ながら「冗談だ」と零しつつ黒い鼻先を撫でてやる。
 こうすると、シャチは嬉しそうに鳴くのだ。

「いやぁほんとにお前ら仲いいよな〜」

 背後からコラソンがうんうんと言った様子でこちらを見守る。
 その時、備え付き電話が鳴り、側にいたコラソンがすかさず受話器を手に取った。

「もしもし?……え?ああ、ペンギンならいつも通りこっちにいるぜー。安心しなー」

 相手はペンギン担当の飼育員からだ。
 この状況に慣れているのか、コラソンは特に気にするでもなく、呑気に答える。電話越しの相手も特に慌てた様子はないから、尚更だ。

「ん?ベポ?いや、ベポはまだ…」
「あいーっ!!」
「!? おい馬鹿!いきなり飛びつくな!」
「あ。今来たぞ」

 コラソンが探すように視線を彷徨わせた時、白い小さな仔ぐまが、タイミング良くお目当ての人物目掛けて突撃してきた。
 そのお目当の人物であったローは、声を荒げるものだから、思わず笑ってしまう。

「いいかベポ…お前日に日に重くなってるの自覚しろ。でなきゃ俺の背骨がやられるのも時間の問題だ…」
「あいぃ…」

 ローに抱き上げられ尚且つ叱られたベポは、相変わらず特徴的な声を上げる。
 しょぼんと項垂れる様子は、なんとも愛らしい。

「…まあ、今はいいだろ」

 その愛らしさが故か、ローはベポに甘い。
 だがそれを許さんとばかりに、すかさずシャチとペンギンが騒ぎ出した。

「なんだよお前ら!うるせェな!!」
「おーいお前ら餌いるかー。どうせここに来ると思って3匹分配給してき、」

 彼らが騒ぎ出したところでコラソンがバケツを持ってやってきた。
 しかし、コラソンはあと少しのところで足を滑らせ、盛大にこけた。それだけならまだいいのだが、彼はそれでは終わらない。
 滑った勢いを保ちつつ、彼はそのままプールの中へとダイブしたのだ。
 自分の真横で大の男が水に落ちる様を見たローは、呆れて顔を手で覆った。

「…シャチ」

 諦観の中、ローの一言でシャチは水中を潜った後、再び水面に現れる。
 その背びれにコラソンが引っかかっているのを確認した。

「飼育員が世話されててどうすんだよ…」
「…わりぃ」

 ビショビショに濡れた体のせいで、コラソンの普段の項垂れ具合がより一層際立って見えた。
 もちろんこれも今に始まったことではない。しかも、たった一言の指示でローの考えが伝わる彼らも、この日常に慣れ親しんでいた。

 コラソンをまるで座礁のごとくプールから引き上げれば、ちょうど館内にアナウンスが響いた。

「…そろそろか。今日もよろしく頼む」

 ローは彼らに向き直る。


『ハートの水族館、開演致します……ーーー』


 響き渡る放送は、客を招き入れる合図となった。


「ーーーてことで、お前らそろそろ持ち場に帰れ」


 嫌々と首を振る彼らに対して、ローは額に手を当てて悩むのだ。

ーーーーーーーー
ようやく書けた!!!ようやく書けました!!!
本当に遅くなってすみません!!!
書く宣言してからどんだけたってるねん!ってな!!すんません!
とりあえずこのシリーズはほんとに気が向いたときにしか書かないと思います。そんなにネタがない…ので(多分)
main1

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