次の島に着くまであと6時間ほどだったな。早く調達する物資の確認をしないと。そういや予算の計算もしなきゃだ。
雲ひとつない天気の良い日。普段は船の利点を活かして海中を進むことが多いが、せっかくの今日は空を見ながら進む少し爽やかな海賊船だ。その中でペンギンは小走りに甲板を走る。やることが多いため、自然と足が動くのが現状だ。
「ペンギン」
本能的に足がピタッと止まり、呼ばれた方を見る。声からその人物は分かっているが、そこにいたのは甲板でぐーすかと気持ち良さそうに寝ているベポだ。叩き起こして働けと説教したい気分だったが、その奥に見慣れた帽子を被るローが見えた。いつも通りベポに寄っかかっているようだ。
「なんですか?」
「さみぃ」
一言、ローはそう言ってこちらを横目に見てくる。その言葉に、改めて今の気温を肌で意識して感じる。だが、ペンギンは寒いとはあまり思わなかった。自分が動いてるせいもあるだろうが、北の海出身の彼らにとって、これは許容範囲の気温だ。もちろん、それは目の前の人物も然りのはずだが。
「久しぶりに浮上したから、寒く感じるんですかね。それなら部屋に戻った方が、」
「寒いから動けねェ。なんかもってこい」
あんたは子供か。
とは言えず、ペンギンは呆れたように溜息を吐いた。というのも、自分の身体が勝手に毛布を取りに向かったのだ。本能的に動く時点でどんなに愚痴を吐いたって、身体は順応しているのだと自覚する。
こんなに忙しい時にまったく。
ペンギンは未だ気持ち良さそうに眠るベポの横を通り、ローの前に出た。
「ほら船長、持ってきましたよ」
寄っ掛かる船長の手元にはいつも通りの医学書。ペンギンの手元には船長公認の良質な温かい毛布。
それを差し出そうとした時に気付いた。
「…あ」
ペンギンの普段のへの字の口がぽかんと開く。誰もが羨むようなローの長い脚を見れば、膝の上に小さな幼子がいた。
幼子は寒がる猫のように少し丸くなりながら、すやすやと眠っている。
ペンギンの中で、合点がいった。
「…なんだよ。早くよこせ」
「あ。はい」
眉を寄せてローが言った時、慌てて毛布を渡した。そして上がった口角を見られないよう、ペンギンは早々にローに背を向け、再び小走りに船内を走った。
あ、そうだ。やることあるんだった。
下がらない口角をほっときながら、ペンギンは走る速度を速めた。
***
島に着き、シャチは船を泊めた港に適当に腰掛ける。側には鬼哭と島に住まう野良猫達がいた。
街に繰り出すまでの間、船長から鬼哭のお守りを任されたのだ。といっても、鬼哭は港にいる野良猫とじゃれ合ってて、シャチはお暇な状態だった。これはこれで楽なもんだと思うが、猫に仕事を取られたことに、ちょっと複雑な気分がした。
「船長のやること片付いたら街に出るってさ。それまで待ってようなー」
猫と遊ぶ鬼哭がこちらを振り返り、こくりと頷く。シャチはそれに頬杖をついて微笑んだ。
その時、目線の脇で港を歩く女を見かけた。その女が随分な好みだったものだから、色々とご無沙汰なシャチは、思わず目で追いかけてしまう。
「いやー…この島は美人が多くて嬉し…」
女の姿が見えなくなったところで、シャチは緩みきった顔のまま、鬼哭に話しかけるように視線を戻した。
だが、その場に幼子の姿はない。
緩んで上がっていた口角は、一気に急降下した。
「あれっ!?」
シャチは立ち上がって、その場に視線を巡らす。
「き、鬼哭!?きこくー!」
慌てて呼びかけるが、それらしき姿はどこにもなく、代わりにやってくるのは港に住まう猫達だった。にゃーにゃー言いながらシャチの言葉に返事をする。
「いやお前らじゃねェし!点呼もとってねェから!きこくー!」
「にゃあー」
「いやだからちげぇよ!!あれか!お前ら呼びかけたら全部餌だと思って寄ってくるタイプだろ!?」
にゃーにゃーと大合唱する野良猫達に、指を差して抗議をする。
そんな時、背後から声をかけられた。
「なにやってんだお前」
我ながら驚くほどびくりと肩を震わせてゆっくりと振り返る。視界に入ったのは、漆黒のコートを纏ったトラファルガー・ローこと、我が船長だ。
シャチの背筋が、一瞬で凍り始める。
「せせせせ、船長、もういいんすか…?」
「ああ。悪かったな。あいつの面倒見るの骨折れたろ」
「いやっ!全然っ!てかあの!なんというか、えっと、実は、俺、」
身振り手振りをして慌てふためけば、同時に脳内で走馬灯が駆け上がる。
ローが、つかつかと靴の音をたててこちらに近づいた時、死を覚悟して目を瞑った。
「あああ船長ごめんなさい!!!」
「? お前なにかしたのか?」
誠心誠意を込めた謝罪に対する声音が随分予想と違かったもので、シャチは思わず目を開けた。
目の前にいるローはシャチを不思議そうに見ながら、なぜか1匹の猫を片手で摘み上げていた。摘まれた猫は、みゃーおと愛らしい声で鳴く。
「馬鹿面してんなよシャチ。さっさと街に出るぞ」
シャチに注がれた視線が、今度は謎の猫に注がれた。
「お前も遊んでないで早く戻れ」
その言葉に、摘まれた猫が姿を変え、今の今まで必死に探していた幼子の姿になった。
シャチの目が点になる。
『みゃあ』
「はあーーー!?!?」
訳が分からず叫ぶシャチに対して、ローは何事もなかったかのように去ろうとするが、それをシャチが呼び止めた。
「ななな、なんでわかったんすか!?」
「はあ?なんでって…」
片手で鬼哭の首根っこを掴み、荷物のように運ぶローが振り返る。
逆になんでだ?と言われるような空気に、シャチは自分がおかしいのかという不安に包まれた。
「こいつが1番、甘えたな声出してたからだよ」
当たり前のように告げられた言葉に、シャチは「なっとくできねええええ!!!」と海に向かって叫んだ。
***
食料、物資、工芸品。華やぐ大通り。
ベポはローに連れ添いながら街に繰り出した。進めば移り変わる数々の料理の香りが、鼻をくすぐる。ここにメスのシロクマがいたら一緒にお食事に、なんて洒落たことをしたいものだが、生憎そんな誘い文句も思い浮かばなければ、それらしきシロクマは見当たらない。
それが、先ほどまでの出来事である。
ローにしばらく連れ添っていると、彼は先ほどと一変した人が少ない静かな通りを歩き始めた。何か目的があってのことなのかと思ったが、何も話さなければまるで散歩しかしないローに、ベポは不思議に思った。
別に嫌ではないが、目的もなく歩き続けることに、どうも疲れてきてしまったのだ。
「ねぇキャプテン…買い物って言ってたのに、どこも店入んねぇの?もうおれ疲れ…」
ベポがローに問いかけた時だった。ローはベポの方を向くと返事はせず、代わりに口元に人差し指をあてた。その動作から表現されることは、もちろん理解している。
ベポはローの腕の中にいる幼子に目を向けた。幼子はローの肩に顔をうずめながら、重そうな瞼を閉じようとしている。その今にも眠ってしまいそうな様子に、ベポは柔らかい肉球で自分の口元を押さえ、言われた通り押し黙った。
大袈裟なベポの行動にローが少し微笑んだ後、耳を澄ますような動作をしてから「よし」と小声で頷いた。
「悪かったな、ベポ。まずは本屋に……の前に疲れたんだっけな。なら、どっかで休憩していくか」
ローを見れば、指を口元に当てる動作はもうない。ベポは自分の口元からゆっくり手を離した。
腕の中にいる幼子は、完全に眠りの世界に落ちているようだった。
「…ううん。大丈夫だよキャプテン。おれ、キャプテンと色んなとこに行きたいな」
「なんだそれ。変な奴だな」
可笑しそうに笑うローだが、その顔はとても優しげだ。ローは普段、あまり表情を変えないのだが、ベポの前だとそれが少し柔らかくなる。昔からの仲だからだろうか。その顔はどこか幼げで、ベポは少し懐かしさを覚えた。
「ねぇキャプテン。俺鬼哭もつよー」
「ああ。悪いなベポ」
そっと渡されるその重みは、随分安心しきっていた。
分かるよ。キャプテンはあったかくて、すごく安心するんだ。
まだ身体が小さかった頃の、自分の姿と重ねた。
***
「あんた、それが普通なの?」
麦わらの一味に乗船している間、ナミがローに不思議そうに問いかける。
「…なにがだ?」
ローが眉を寄せたとき、彼の膝の上で寛いでいた鬼哭が代わるように『あい』と返事をすれば、ナミは納得したように「なんでもないわ」と返した。
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