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ときよとまれとおおごえで

(千→壇。認めたくない千石)

 不可抗力だ。不可抗力だ。ともあればこのまま痺れて倒れてしまいそうな足に力を入れて、ぐるぐると回転する思考を押しとどめた。千石が今壇を抱きしめているのは転びそうになった壇の腕を思いの外強く引っ張ってしまったからで、故意に抱きしめようとしたわけではない。
 千石は壇が好きだった。その気付きたくなかった気持ちを確信するきっかけとなったのはあろうことか、亜久津だ。彼の存在が大きかった。普段千石が女の子に感じているようなかわいいとか一緒に居たいとかそういった思いの類を、失礼ながら壇にも同じように感じていた。しかしそれは素直で一生懸命な後輩に対する一種の親愛だと思っていたというのに、亜久津を慕い付きまとう壇と、それを邪険に扱う亜久津を見ていてむくむくと湧きあがったのはみっともない嫉妬の欠片だった。出来ることなら亜久津の立場と代わってやりたいくらい羨ましかった。壇くんはほんと亜久津が好きなんだな、しょーがないな。なんてそんな優しい感情では終わらなかった。それだって最初は部内のマスコットのような壇を取られたのが悔しいのかと思っていたのだが、どうもそれは違うらしかった。そこにはみっともない嫉妬と執着と、独占欲が根を生やしていた。壇と一番仲がいいのも笑顔を向けられるのも、自分だけでありたいと思っていることに千石は気付いたのだ。
 壇を好きだ、それも恋愛感情で。そう気付いたとき、千石はサッと血の気の引く音を確かに聞いた。傍から見たらそれこそ顔面蒼白だったに違いない。自他共に女好きであることを認める千石がなにをまかり間違って男を、いくらかわいいと思っていたからって男を好きになってしまったのか、責任者がいるなら小一時間問い詰めたい気分だった。
 思い返せばいつもいつも壇に目がいっていた。部活中は勿論、一年生がグラウンドで体育の授業を受けているときや移動教室中。お昼時になると亜久津の元に向かうため人混みを逆行しかきわけていく姿だって遠目からでもすぐにわかった。それだけ壇は目立つんだな、と思っていたのがあながち間違ってもいなく、また、それだけではなかったのだと今は理解している。以降、壇が気付いて挨拶をしてくるまでは壇くん、と声を掛けることはしなくなった。千石先輩、なんてあの屈託のない笑顔を友情のフィルターもなしに見せられたら心の底まで堕ちてしまいそうだったからだ。
 部活の時間も多少の苦痛を要した。制服からテニスウェアに、テニスウェアから制服に着替える時、肌を晒すことになる。どうしても目がいってしまう。壇は生白くて男らしい筋肉もなくて自分と比べたら断然華奢で、光を弾く癖のある黒髪がよく映えた。体格差のコンプレックスを告げるようにこっそり着替えようとする壇を後ろから羽交い絞めにしてその髪をわしゃわしゃとかき乱し、それをほかの皆が笑って見ている――そんな和やかな日常が好きだったが、それもしなくなった。最近壇に絡まないんですね、という室町の言葉にただ困ったように笑みを返すことしか出来なかった。好意を自覚してからは簡単に触れるわけにはいかなくなった。深みにはまるわけにはいかない。きっとまた抱きしめてしまったらその気持ちを再確認してしまうと理解していたからこそ、そんなことはしなくなった。ぼーっとしていると無意識のうちに目で追ってしまうのは相変わらずだったが、我に返れば違うものに集中しようと努めた。男を好きだなんて真っ平だった。考えたくもないし口にしたくもない。同性愛者だと思われたくないし、同性愛者ではない。両刀だと思われるのだって嫌だ。同性愛に関しては別にいいんじゃない、という実におおらかかつ適当なスタンスだったが自分にその可能性があるとなると話は別だった。いいんじゃない、なんて軽々しく思えない。良いわけがない。もしも同性愛者であるならこの先の人生に色々な不都合がついてまわるのだ。女の子が好きだ。女の子が好きなのだ。山吹中の千石清純はこの世の女の子すべてが愛くるしくて大好きなのだ。

 それなのに。
 壇との接触をなるべく避けてこの数週間安穏と過ごせていたのに、今千石が抱きしめているのは決別しようした壇本人だ。好きな子を腕に抱けてラッキーなのかアンラッキーなのかが千石自身にもわかっていなかった。壇の身体は相変わらず細くて華奢だが、それでもマネージャーであった頃から比べると多少の筋肉はついたようだった。身長は……あまり変わっていないように見えるが、どうなのだろう。特に自分との差は縮まっていないように見える。壇はしきりに大きくなりたいと言っているが、出来ることなら今の小さいままでいて欲しいと思う。
「千石先輩、ありがとですっ」
 上を向いてそう笑った壇の濃茶の瞳とまともにかち合って、千石は半ば朦朧としながら笑みを返した。惚れた弱みというものだろうが、どこをどう見てもかわいいのだ、壇は。一挙手一投足、どんなことをしていても胸があたたかくなるのだ。ただ笑っただけでこの破壊力だ。壇の眼中に亜久津しか映ってなかろうが千石が女の子を大好きだろうが、壇はかわいいのだ。男を好きなんて気持ちは気の迷いで、吹っ切ろうと決意し努力していたのに、その決意は薄っぺらくて脆いもののようにぼろぼろとそれはそれは急速に風化していった。抑えていたから余計なのかもしれないが、千石先輩、と普通に名を呼んだ声ですらとても甘い響きを含んでいたような気がした。無駄な努力もあるのだと知った。その口から紡がれる名が自分の名であるだけで、ふわふわとしたものが心に巣食うのだ。好きだ、と再び認めてしまった。もう抑えられる気がしない。女の子が大好きで、男を好きだなんて真っ平だった。だけど、どう足掻いても壇が好きだった。逃れようのない事実だった。


101006.


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