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He meet you

「……亜久津に、ですか?」
「そう、亜久津くんに、です」
 南が伴田から渡された封筒はなんの飾り気もない白で、なんなのだろう、と南は首を傾げた。
 封筒を手渡した伴田はいつも通りの柔らかく、しかしどこか食えないニマニマ笑いを浮かべている。この人の本心を覗こうなんて思ったことはないけれど、いつだってこうして具体的に物事を言わず、なにを思っているのかなんて垣間見せてもらえない。与えてくれるのはほんのひとつまみのヒントでしかないのだ。もっとも、今はヒントすらもらえてはいないけれど。
「亜久津、ですか……」
 再び南は呟く。頭に浮かぶのは、ドアを蹴って壊したり他校に殴りこみに行ったりと、随分と自分達に迷惑を掛けたあの亜久津仁だ。
 中体連に出場停止でもくらったらどうしようと胃を握られているような痛みと焦りを味わったのは、後にも先にも都大会二ヶ月前に亜久津が入ってからの期間だけだろう。
 恐喝や暴行、その他諸々通報されてもおかしくない行いの数々を入部後も抑えることなく続けていたと知ったのは都大会が終わった後だったが、通報されなかったのはきっと他校の慈悲と幸運のおかげ……であるはずだ。
 まったく亜久津という人物は呆れるほどに短気で、こちらが口を出せば向こうは手足を出し、そして、常になにかにかつえていた。
 その亜久津が唯一心を許していたのは一年の壇太一だったか。ふと、いつも亜久津を追いかけていた小さな背中が脳内によみがえる。
 ――そうか、そうだった。壇に頼めばいいのか。
 ずしりと肩に圧し掛かっていた重いなにかはそう認知すると同時に消え去っていったが、何気なくひらりと陽に透かしてみた封筒にはやはり光は届かず、白が空しく眩しさを反射するのみだった。

「と、いうわけで、だ。壇、悪いけどこれを亜久津に届けてくれないか?」
「ハイです!」
 壇は絶対に拒否しないだろうという確信があった。そして、やはりそれは拒否されることはなくすんなりと受け入れられてしまった。
 他の部員達と共に素振りに勤しんでいた壇は南に呼ばれると懐っこく近寄り、差し出された封筒を手にとって大事そうに抱え込み、とても嬉しそうに返事をした。
 都大会後から亜久津と山吹中テニス部はなんの関連性も持たなくなり、亜久津がコートに足を伸ばすことはなくなった。加えて、まだまだ夏を誇る太陽を避けるかのように早退という名の授業放棄を繰り返していて、亜久津が五、六限目を終えた放課後まで校内にいるということは限りなく0%に近いものとなっており、壇が今までのように亜久津を探し回るということは出来なくなっていたのだ。
 だからといって、会いたいからというだけで自宅にまで押し掛けるのはさすがに不躾すぎる……と悩んでいたところに舞い込んだいわゆる『お使い』は、壇にとってまたとない口実に成り得るのだった。
 幸い亜久津の自宅がどこにあるのか知っているし、壇の自宅までの道程とは途中まで一緒だ。
 亜久津に会える。そう思っただけでソワソワして気持ちが逸り、落ち着かない。これが久しぶり、という訳でなければまた違ったのかもしれないが、事実、亜久津に会うのは久しぶりになるのだからどうしようもない。
 きっと亜久津は壇を見てうざったそうにするのだろうが、壇にとってそんなことは屁でもないことなのだ。視界に亜久津の姿があるそれだけで嬉しいのだから。

 部活が終わるなり大急ぎで着替え、他の部員達への挨拶もそこそこに、壇は走り去っていった。
 自分の鞄をひったくるようにして一目散に部室を後にする壇を呆れ顔で見送るのは、いつだって千石や室町の役割であった。
 最初こそ普段の謙虚さとは打って変わったアグレッシブさに驚いていたものの、それはすぐに毎度お馴染みの光景となってしまっていたのだ。
「うーん、妬けちゃうねぇ」
 座ったパイプ椅子をゆらゆらと揺らしながら千石は肩をすくめる。微笑んでいるような苦笑しているような、曖昧な笑みを浮かべている。
 壇の亜久津好きは今に始まったことではないのだが、あの猪突猛進ぶりを見るたびに亜久津への軽い嫉妬を覚えてしまう。あそこまで慕われるなんてなかなかあることではない。
「男の嫉妬はみっともないですよ」
 汗に濡れた身体を拭い、制汗スプレーを噴きかけながら室町が呟く。未だ火照っている身体に、冷却スプレーとはまた違った冷たさが心地良く沁み込む。
「でも、あれだけ慕ってくれる後輩がいたら、やっぱりカワイイと思わないかい?」
「そりゃあ、まぁ」
 ギ、とパイプ椅子が軋み、鳴る。
 確かに自分があれだけ慕われていたら嬉しいし、ついつい甘やかしてしまうだろう。
 室町も大分壇を甘やかしている気はするが(それでも注意するべきところはきちんと注意している)、千石もとても壇に甘い。
 弟のような存在、とでも言うのだろうか。とにかく壇は部員達にかわいがられている。そう、亜久津にすらも。
 あの細く小さい容姿に相まってくるくるとよくまわる表情や感心するほどの素直さ。嫌いになる要素なんてまったく持ち合わせていないように思える。
 ――これは自分の感性なので一概にそうとも言えないことだが。
「で?」
 室町が千石の向かい側に座り、サングラスの奥から千石を見据える。
 先輩に向かってする態度ではないよな、と思うものの、今までずっと尊大ともいえる態度を通してきたし千石もそれを気にしていないし、千石達と交流がある限りはずっとこのままでいくのだろう。
 そう考えると千石も随分と心が広いのだ。そんなことはおくびも態度には出してやらないが。
「もちろん、千石さんは知ってるんすよね。さっきの封筒の中身」
 千石は笑みを隠せないかのようにニヤニヤとしている。待ってました、と言わんばかりの緩んだ頬だ。
 ごそごそと通学鞄を漁った千石が取り出したのは、先程南が壇に渡したのと同じような封筒だ。同じような、と言うよりはまったく同じものなのだろう。
 つまりそれは、千石にも亜久津にも共通するなんらかについての通知である、ということなのだ。
 二人に共通する事柄――室町はパッと頭に浮かんだそれをすぐに否定した。まさか亜久津が、と。
 なんだと思う? と千石の青い瞳は尋ねている。それを知りたいのはこちらのほうなのだ、と室町が息を吐くと、千石は実に緩慢な動作で封筒の中身の便箋を取り出し、差し出した。
 

「邪魔だ」
 唐突に後ろからそう声を掛けられ飛び上るほど驚いたのは、そろそろ帰るべきか否かと俯いた矢先だった。
 最初にインターホンを鳴らしたのは十五分ほど前だっただろうか。待てど暮らせど亜久津の姿が見える気配がないので、会うことを断念しかけていた、その時だ。
 待ちに待ったその声に勢いよく振り返り、壇は亜久津を仰ぎ見る。いつ見ても壇の瞳の中の亜久津は雄々しく、逞しく、そのすべてが壇を魅了して止まなかった。
「ダ……ダダダダーン! 亜久津先輩亜久津先輩! 会いたかったです!」
 瞳を輝かせながら全身で喜びを表現する壇に少しばかり目を遣ると、さも煩わしそうに亜久津は再び口を開いた。
「退け」
 玄関前に立っている壇は、亜久津にとって障害以外のなにものでもなかった。
 ほんの少しの苛立ちを含んだその言葉に壇はやっと気付いて玄関の前から横に移動し、亜久津の大きな背中を見上げる。
 カチ、と鍵らしきものが開錠された音と、扉の開く音。亜久津は一歩踏み出して立ち止まり、ぼんやりと亜久津の背中を目で追っている壇の気配を背後に、小さく舌打ちをした。
 面倒くせえ、と思うものの、このまま自分だけ家に入ってしまうのも、なんとなく後味が悪い。そもそも壇はなんのために此処までやってきたのか。
 ただ会いに来た、というだけならぶん殴ってでも帰らせるし、全国大会も終え都大会もとっくの昔に終わっているのだから勧誘という名目ではないはずだ。だが、もしこれが千石や伴田の差し金だったとしたら、彼等と鉢合わせしたときに嫌味の一つ二つ言われるに違いない。
 面倒くせえ。亜久津は再びそう思いながら、壇のほうを横目で見遣る。今ここで壇に関わるのも面倒だが、千石達の嫌味は長ったらしいので更に面倒くさい。
 多少の面倒さは耐えて、今ここで消化しておくほうが利口というものだろう。……どうしてこうも、自分の周りには面倒事しか寄ってこないというのか。
 千石も壇も、面倒の塊でしかない。それだというのに、事あるごとに亜久津に詰め寄ってくるのだから性質が悪い。思えば、テニスに関わってから良いことなんて一つもなかったのではないだろうか。
「……用があるんなら中で聞く。入れ」
 深く考える、というのはどうにも亜久津のガラではない。考えることすら面倒になって、亜久津は壇を招き入れた。

 階段を登った先の自室。
 自室に入ってすぐ、亜久津は肩に掛けていた制服をベッドの上に放り投げ、自分もベッドに腰を掛ける。
 皺になっちゃうですと壇が呟き、扉の近くに立ったままもぞもぞしていたがそんなものは無視だ。小柄なガラステーブルの上に置いてある缶を灰皿代わりに一服しようと手を伸ばし、やめた。 
 もうスポーツに打ち込む気など更々ない自分はとにかく、今この部屋にいるもう一人は仮にもテニスプレイヤーなのだ。いくら亜久津が傍若無人だといってもそれくらいの配慮は持ち合わせている。仕方ねぇ、と心の中で毒づき、亜久津は煙草を視界に入らないベッドの脇に置いた。
 その行動を訝しげに眺めていた壇はぱちぱちと瞬きを繰り返し、その意図を薄く察すると同時に嬉しそうにはにかんで笑う。
 はにかんだ笑顔のまま亜久津の近くへと歩み出て鞄をがさごそと漁り、南から預かった封筒を取り出して手渡した。
 突っ撥ねてやろうかと一瞬思ったものの、結局亜久津はそれを受け取り、ビリリと封を解いて目を通す。
 しばしの沈黙の後、手紙を流し読みしていた亜久津が放ったのは、「くだらねぇ」の一言であった。
「亜久津先輩、なにが書いてあるですか?」
「テメェは見んな。……聞いてんのか、おい」
 どうでもいいし興味もない。が、くしゃりと握り潰して放ったのがいけなかった。壇はすぐさまそれを拾い、きれいに皺を伸ばしながら読んでしまっていたのだ。
 テニス。U-17合宿。選抜候補。…………。内容を理解していくうちに段々と目を輝かせていく壇を見て、頭を抱えたくなる。
「すすす、すごいです亜久津先輩!」
「誰が出るって言ったよ」
「だ、ダメです! 亜久津先輩は才能も実力もあるのに出ないなんてもったいないです!」
「……おまえ、誰に指図してんの?」
 怒気を含んだ声色に壇はほんの僅かにたじろいだ。
 しかしそれはたった数秒だけのこと。大きな丸い瞳に亜久津を映したまま、壇の唇はゆっくりと動き言葉を紡いだ。

「亜久津先輩のテニスが見たいです」

 壇の揺れる瞳は水面のように、しかししっかりと亜久津を湛えている。
 実のところ亜久津は、強い意志を宿したそれは嫌いではなかった。うざったいのを我慢して傍に置き可能性を示してやったのだって、時折見せるその瞳に興味を引かれたからだ。
 亜久津は壇の手に入れられない色々を持っているが、壇もまた亜久津の手に入れられない何かを持っている。それがなんなのか、興味があった。それを思い出すと、空気を抜かれた風船のように苛つきや淡い怒りは姿を消していった。
「考えておいてやる」
 それだけ言って亜久津はベッドに横になり目を閉じる。壇はきれいに畳んだ便箋をテーブルに置き、ぺこりとお辞儀をしてから退室して階段を降りていった。お邪魔しました、と遠くで小さく聞こえる。
 合宿――。あの越前は合宿にやってくるのだろうか。亜久津が唯一敗北したあの試合のような高揚感が再び味わえるなら、参加してやってもいいかもしれない。
 ぼんやりと思っている亜久津を、まどろみの波がゆっくりと包んでいく。それに抵抗する気もなく、徐々に意識を覆うまどろみに、亜久津は身を浸した。




090523.

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