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にぎやけし大通りの裏側

 この場所に来たのは場違いであったかもしれない、と壇は数度目かの溜息を吐いた。
 溜息はしんしんと冷たい冬の冷気に白く濁り、靄のように、あるいは溶けるように濃い群青を映した夜空に消えていく。
 消える吐息にいつも紫煙をくゆらせている亜久津の姿が脳裏に浮かび、軽く上を向いて細く息を吐き出してみるがそれは思い描いたその煙のようにはならず、当たり前か、と肩を落とした。
 紫煙を吐き出す亜久津の姿は様になっている。手慣れた手付きで煙草を銜え火を点ける様も、有害な煙をゆったりと肺に満たす様も、全部全部やること為すこと全てが様になっているように壇には見えた。
 ほぅ、と白を吐き出すと尚更鮮明な亜久津の姿が浮かんだ。正確には亜久津の姿から始まって、男らしい通った鼻筋やその薄い唇。
 亜久津の、唇。ぼんっと音を出して破裂するんじゃないかというほどに真っ赤になった壇は白のダッフルコートの裾をぎゅっと握りしめながら、その熱を冷ますべく辺りを見回した。
 クリスマスには恒例の、ピアポント作曲のジングル・ベルが駅前に鳴り響いている。
 それぞれの店先では競うように色とりどりのクリスマスツリーが飾られ、ここぞとばかりにケーキを売りつけようとするサンタ服の店員、楽しそうに会話を広げる女性達、目立たぬようそっと手を繋いだ幸せそうな恋人達。
 そして自分のいる広場の中央には数十メートルはあろうかという巨大なモミの木がベルや青いリボン、林檎を模したクーゲル、キャンディ・ケーンなどで店頭のツリーとは比べ物にならない豪華さで飾られている。
 ふわりと雪を表わすように盛られた綿に頂上で輝くトップスター、青や赤のイルミネーションが交互に点灯して人々を照らし、なんとも幻想的な風景だ。
 そこまでじっくりと観察してから再び壇は溜息を吐いた。浮かれた人々の中、ぽつねんとして一人佇む自分の姿は殊更に場違いな気がした。ちらりと腕時計を見ると約束の時間から悠に三十分は経過しようとしている。
 一週間前に交わした約束を彼は覚えているのだろうか。いつものようにマシンガントークを繰り広げる壇に亜久津はさも煩わしそうに一瞥してから舌打ちをしていた。
 そもそもそれは壇が一方的に押し付けた約束事であって亜久津自身は当然乗り気な様子はなかったし、返事も返していないし、もしかしたら聞いてもいなかったかもしれない。
 大体クリスマスや大晦日や元旦等の大きな行事の際は家族と、又は最愛の人と過ごすのが普通ではないだろうか。そこまでの考えに至ってやっと、壇は後悔を覚え始めた。
 亜久津の返答も待たずに場所や時間を指定し、待ってますと告げた自分はなんて愚かで自分勝手だっただろう。
 帰ろうかとベンチから腰を上げ掛けてまた降ろした。ポケットからカイロを取り出して冷えた手で挟むように持つ。熱いほどのそれは悴んだ掌を温かく熱してくれたがやはり北風は小さな体に堪え、ぶるりと身震いをした。

「……なにしてんの?」
 聞き覚えのある声に顔を上げると、そこに居たのは憧れの亜久津――ではなく、青学の越前リョーマだった。
 越前は大きな瞳を零れんばかりにぱちくりさせている壇を見遣る。越前は先日の誕生日から今の今まで部の先輩たちに半ば強引にあちこちと連れ回され、やっと解放されたところだった。
 帰路の途中に見たことのあるような顔が一人しょぼくれているのを発見して近付き、今に至る。
 特徴的なヘアバンドをしていないからか遠目には壇とわからなかったけれど。長めの黒髪は少女のように映ることを助長していた。
 先輩の一人である不二。彼の姉が作った料理の数々は確かに美味しかったが些か甘味が強すぎた。未だ口内に残る甘い香りに顔を顰めると、それをどう受け取ったのか、壇は慌てて返答した。
 亜久津に約束を押し付けて勝手に待っている。壇の言葉を纏めるとこんなところだろう。ふうん、と小さく返して越前は亜久津という人物を思い返す。
 都大会決勝で死闘を繰り広げた男。獰猛に球を追い続け攻撃に徹するその姿は正に狂犬のようであった。
 その後テニスから身を引いたと聞くが、なぜ今日という日に壇と待ち合わせなどしているのだろうか。
「で、ソイツは来るの?」
「まだわからないです、けど……もう少し待ってみようかなって」
 年上相手に“ソイツ”だなんて壇には考えられなくて、くすりと笑った。相変わらず越前はあの時と同じ不遜な態度で周囲を翻弄しているのだろうと容易に想像できた。
 亜久津が目標にしろと言った彼は今目の前にいて、こうして他愛ない会話をしている。いつか試合してあわよくば勝利を掴みたいなんて思っていることは言わないでおこう。
 越前が広場に設置された大時計に目を遣ったので釣られてそちらを見ると、待ちぼうけから一時間経とうとしていた。早いなぁ、と他人事のように思う。
 今亜久津は何をしているのだろう。母親の優紀ちゃんと、あるいは真紅のルージュで彩られた彼女と談笑してテレビの前で寛いでいたりするのだろうか。
 でも亜久津に彼女がいるという噂は聞いたことがないし、もしそうなっていたら悲しいのでそんな妄想は頭から打ち消した。
「じゃあ俺帰るけど」
「あ、ハイ。気をつけてくださいです」
 もしかして自分を心配してくれたのかな、と思いながら壇は笑顔を返した。そうでなければ見知った人物を見付けても特に声を掛ける必要はないだろう。
 越前もきっとあの人と同じで不器用なのだ。ありがとうございます、と言うと越前は別に、と息を吐いてマフラーに顔を埋めた。
 ふと視界の端に長身が映った気がして壇がそちらを向くと、待ちわびていた人物もこちらを見付けて歩んでくる。それはとても面倒そうな表情であったけれど、嬉しかった。
 ベルトを留めていないながらもシックなトレンチコートに身を包んだ亜久津はいつもより大人びて見えて胸が高鳴る。先程までの後悔はどこに行ってしまったのか、夢中で亜久津に駆け寄った。
「亜久津先輩!」
「……なにしてんだ、テメェは」
 呆れたようなそれは壇に向けられたのか越前に向けられたのかわからないものだったが、壇を見ていたので多分前者であろう。
 自分が見つけたときとは打って変わって嬉しそうにはしゃいでいる壇を見て、ようやく壇が亜久津に懇意にする訳が分かった気がする。
「それ、さっきの俺のセリフ」
「あぁ? テメェもなにしてやがる」
「寂しそうだから構ってやってただけだけど」
 ちら、と壇を見てから意味ありげに亜久津に視線を戻す。
 その視線の意味に気付いた亜久津が苦々しげに顔を歪めると越前は勝ち誇ったように亜久津を鼻で笑い、「じゃーね」と言って去って行った。元気になった壇は呑気にも手を振って見送っている。
 あれは亜久津と壇がどういう関係か理解したという意味だったのだろう。それは間違っているような気もするが合っているような気もする。
 少なくとも壇の押し付けた約束を思い出してまだ指定された場所に壇がいるかもしれないと思うと、毒づきながらも一応そこに行ってやるくらいには壇に気を許している。
 だがそれは好意ではない。自分が他人に好意を向けるなど有り得ない。――そう断言できるのであったならどれだけ楽であったか。
 苛々しながら煙草を吸おうと手を持ち上げ、家を出るときに持ってきていないことに気付いた亜久津はその手をどうするかと悩んだ後傍らにぴたりと寄り添っている壇の頭に置いてやった。
 指定された時間からは大分時が過ぎている。帰ったなら帰ったでそれでいいというのになんで壇は待ち続けたのだろうか。
 下から見上げる視線に仕方なく自分も視線を落としてやると、目が合った壇はほんのりと上気した頬で幸せそうに笑う。
 子供っぽいこの餓鬼のどこに自分が絆される原因があるのかとまじまじと見詰めると壇が更に顔を赤くしたので気色悪いのと対応が面倒なのとで顔を逸らす。
 そういえばわざわざここまで来たのはなにも壇だけが主な目的なのではなかった。まだ若く母親らしからぬ母親が予約していたケーキを取りに行くという名目もあったはずだ。
 ふいと駅近くの洋菓子店の方に足を進めると、壇はなにも言わずとも付いてくる。店舗前で待ってろというと素直に頷き、出てきたときには半ば不機嫌であった亜久津を不思議そうに見遣る。
 店内はクリスマスということもあって金銀のモールやリースなど、およそ亜久津とは不釣り合いなごてごてとした装飾が成されていて、そんな中での好奇の視線が煩わしかったのだ。

「そういやおまえ、なんの用があって呼んだんだ」
「え? なにも用事はないです」
 未だ流れるジングル・ベルの音楽やざわざわと煩い喧騒から遠ざかりながら疑問を口にすると、なんとも間抜けな答えが返ってきた。
 なにも用事はないというのに自分を呼び出し、一時間近くも寒空の下で待っていたというのだろうか。こいつは本当の馬鹿だ、と溜息を零す。
「だって、先輩と一緒に居たくて……」
 亜久津が苛立つ空気を感じたのか壇はしゅんとして呟き俯く。そういえばまともに顔を合わせたのは一週間前のあの日以来か。面倒くせえ、と亜久津は舌打ちする。
 母子家庭なのでこのまま家に帰っても母親と亜久津の二人だけだ。優紀は壇を気に入っているので壇を連れて帰れば喜ぶだろう。
 優紀がうるさいから仕方なくだ、と自分に何度も言い聞かせ、それに冬期休暇中だから平気だろうと亜久津は嫌々ながらも言葉を吐いた。
 その言葉に壇は苺のように赤くなりながら何度も頷き、それでも着替えはどうしようと悩み、亜久津の衣服を貸すという提案に承諾した。
「今年は雪降らないのですね」
「……」
「降って積もったら、一緒に雪だるま作りましょうです!」
「作んねぇよ」
 うんざりしながら答える亜久津の言葉すらも嬉しいように壇はえへへと笑い、わざわざ自分の歩幅に合わせて歩いてくれている亜久津の隣を陣取る。
 壇は申し訳ないながらも亜久津が好きで、亜久津はそれに気付きながらも傍に置いておいてくれる。それが無関心から来るのか同情から来るのかわからないが、これからも傍にいれると嬉しい。
 誕生日も一緒にいてくれるといいな、と壇はひっそりと願って笑い、亜久津はそんな壇を気色悪いと罵った。
 後ろからは賑やかさが追いかけてくる。同時に振り返って仰ぎ見たツリーがやけに雄々しく見え、次いで母親が遅いと文句を垂れる姿が浮かび、亜久津達は帰路を急いだ。



081225


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