Pretty Poison Pandemic | ナノ





「──そういえば」

ふと思い出したように、ヒズミが口を開いた。

「あなたに伝言を預かっています」
「……? ベルティーユか?」
「いいえ。さっきシェルターの側で倒れてた、白衣を着た銀髪の男の人です」

テオドールの顔色が少し変わったのを見て、どうやら心当たりがあるようだとヒズミは推察し、話を続ける。

「俺もヒーローになった。ヒーローっていうか、実際に戦ったりはしない研究員だけど、困っている人を助ける仕事に就いたんだ。君みたいに、ジャスティス・レッドみたいになりたくって、協会に入ったんだ。だから君にも戻ってきてほしいんだ。前みたいに、世界の平和のためにカッコよく怪人と戦って。俺、ずっと待ってるから」
「……………………」
「原文そのまま、確かに伝えましたよ」
「……これは参ったな」

自嘲気味に口元を歪めて、テオドールは短く息を吐いた。

「彼とはどういったご関係で?」
「ご想像にお任せするよ」
「不用心ですね。オタク女子にそんなこと言ったら、ホイホイ掛け算されますよ」
「なんだ、そっち系なのか? 君は」
「いえ。恥ずかしながらベーコンレタスは専門外です」
「そうかい、よかった。新刊のネタにでもされたらどうしようかと思ったよ」
「随分と業界事情にお詳しくていらっしゃる」
「まあね……ていうかそもそも、そういうポップカルチャーが好きじゃなきゃ、コスプレみたいな格好してヒーローになろうなんて思わないだろ」
「仰る通りです。……コスプレなんですか、それ?」
「最初はそれだけだったよ」

そしてテオドールは訥々と語り出す──身の上話を。

「戦隊モノを愛してやまない仲間同士で、いつもつるんで遊んでた。どういうきっかけだったかは忘れたけど、そのうちの誰かが“俺たちも正義の味方になろう”って言い出した。当時は僕らも若くてね……まだ十代の頃だ。勢い余って“ジャスティス・レンジャー”なんていう頭の悪そうなチーム名までつけた。裁縫の得意なヤツがそれっぽい衣装を作って、メカに強いヤツが護身用の警棒とかスタンガンとかを改造して武器を調達して、僕が警察のホームページとか無線とかから機密情報を盗み出して、夜な夜な街に繰り出しては引ったくりの現行犯とか逃走中の犯人とかを人気のないところに連れ込んで寄って集ってボコボコにしてた」
「とんだ数の暴力ですね」
「今になって思えば、どっちが悪者だかわかったもんじゃないな。僕のハッキングも、ぶっちゃけ非合法だったし」
「未成年のガキが、どこでそんな技術を……」
「全部インターネットだよ。爆弾の作り方だって、検索サイトで探せる時代だぜ。電子の海にはなんでも落ちてる。面白い動画も、危険な知識も、キーボードを叩くだけで簡単に集まる。僕みたいに友達のいなかった根暗野郎には、パーソナル・コンピュータっていうのはこれ以上ない遊び道具だったのさ。仲間たちと知り合ったのも、個人が趣味で運営してたチャットだった」

なんとも現代的な経緯であった。
文明の利器の恩恵は、光と闇を併せ持っている。

「そんなことを続けているうちに、怪人による災害が増えだした。僕たちは当然、義憤に燃えた。戦わねばならないと決意した。メンバーは全員それまでの生活を捨てた。ブルーは勤めてた商社を辞めて、イエローは経営してた模型店を畳んで、学生だったブラックとグリーンと、そしてレッド──僕は躊躇いなく中退した。ちょうど就活の時期だったんだけどね。サラリーマンになるための面接練習なんてしてる場合じゃないと思ってた」
「……………………」
「それで、怪人災害対策のために政府によって立ち上げられた機関に入った。その機関はヒーロー協会が設立されたときに吸収合併されたんだが──脱線するから置いておこう。とにかく“ちょっと人より喧嘩慣れしている”だけだった僕たちは、そこで本格的な鍛錬を積んだ。その道のプロフェッショナルから戦闘のノウハウを叩き込まれた。正直なところ想像していたよりかなり厳しい世界だったけど、ジャスティス・レンジャーは誰一人として逃げなかった。全員が平和のために苦しい特訓を耐え抜いた」
「素晴らしい人たちだったんですね」
「ああ。誇りに思うよ」

テオドールは本当に誇らしげに薄く笑った。そこには一片の欺瞞もないように、ヒズミには見えた。

「僕は仲間たちと正義活動に従事しはじめた。協会が採用しているヒーロー名簿やランキングなんかの制度は、機関時代にも似たようなものがあった。今ほどの知名度はなかったけれど……というかむしろ、ほとんど誰も知らなかったんじゃないかな。私財を投じて協会を作った大富豪が考案したことになってるみたいだし。まあ、どうでもいいことだが」
「私は覚えておきますよ」
「そうかい」
「あなたの仲間たちが死んだ、例の“事件”が起こったのは?」
「……七年前だ。僕が君くらいの歳の頃──ヒーローになってからは半年くらいだったかな。……こうして振り返ってみると、短かったな……栄光の時期は」
「人生なんて、そんなものでしょう」
「君は冷めてるんだな、まだ若いくせに。……それで僕は一人になって、世の中に絶望した。いや……絶望したのは、自分自身にだったのかも知れない。たとえなにがあっても、正義のために戦い続けると決めたはずだったのに、容易く折れてしまった自分自身に絶望して、失望した。それを認めたくなくて、周りのせいにした。身勝手な復讐に躍起になった。でも、心のどこかでは、怪人の量産計画なんて素っ頓狂な空想に、誰も乗るわけがないと思っていた……どうしてだろうな。どうしてああも全部うまくいってしまったんだろう。簡単に同志が集まって、簡単に資金も貯まって、簡単に地下研究所が完成してしまった。もう引き返せなくなった。誰も“そんな馬鹿なことはやめろ”とは言わなかった」

誰もが自分の背中を後押しした。
破滅へ向かう道を進めと──先陣を切れと。
彼の前に孤独で壮絶な一本道を敷いた。

「……僕は最低だな」
「………………」
「最低で最悪の、どうしようもないクズだ」
「そうですね。私もそう思いますよ。だから──」
「……だから?」
「後始末くらいは、きっちりつけてください」

ヒズミは頭を横に向けて、無造作に垂れた白い髪の隙間から少女を窺った。ふらふらと遊んでいた少女は、ヒズミの視線に気づくと、ぱあっと顔を輝かせ、小走りにこちらへ駆けてきた。いつか水族館で見たペンギンの走り方に似ていた。よたよたと、左右に忙しなく揺れている。

「ああ……」

テオドールが唸りとも呻きともつかない声を上げた。そんな彼と、ヒズミの間で少女が足を止めた。きょろきょろと二人を交互に見遣って──

「おにいちゃん、おねえちゃん」

──喋った。
この短時間で、言葉さえも学習していた。
順調に──成長を遂げている。

「ねえ、いっしょ、に、あそぼ?」
「……だってさ、“お兄ちゃん”」
「……………………」
「理由がどうであれ──これはあなたが考えて、あなたが始めて、あなたが成したことです。大事に大事にお腹の中の命を守ってきた母親の想いを踏み躙って、まだ産まれてさえいなかったこの子の希望を潰して、スタートラインに立ててさえいなかった人生を台無しにして、人類の脅威にしてしまったのは、あなたなんです」
「……わかってるよ」
「これは、あなたが負うべき責任です」
「わかってる」

忌むべき怪物を倒して幕を引くのは。
誰でもなく、正義の味方の仕事だ。

たとえ、それが──どんな背景を背負っていても。

どんな残酷な運命であっても。

テオドールが重い腰を上げ、右腕を振った。その五指が複雑に動いて、糸が伸びる──空間を囲む花の白い光に反射して、きらり、と鋼鉄製のワイヤーが細い線を宙に走らせた。

それらは意思を持った生き物のように、少女の小さな身体に巻きついた。少女は最初こそ驚いて目を大きくしたが、すぐに満面の笑顔に戻った。これも遊戯の一環だと思っているらしい。これはどんな玩具なのかしら、どうやって遊ぶのかしら、と──期待に浮かれている。

しかし“母親”たる“大樹”は、その鋼線の危険性を察知した。シキミを繭の外へ押し流したのと同じく、花々を肥大させ、不可解な動きを見せたテオドールを押し潰そうとした──それを防いだのはヒズミだった。

電撃を迸らせ、怒涛の濁流を弾き返す。美しい花弁は高圧電流によって焼かれ、一瞬で燃え滓となって枝の床に落ちた。少女はそれを目の当たりにしても、怯えるどころか、ますますはしゃいでいる。まあ、とっても素敵な花火だわ、とでも思っているのかも知れない。

テオドールがヒズミを振り返る。彼女はその場に胡坐をかいたまま、全身から火花を飛ばしている。表情は変わらず眠そうで怠そうで無気力だったが、その焼け爛れた首からは夥しい量の血が零れ出していた──放電によって、ぎりぎり繋がっていた首の皮一枚が限界を迎えつつあるようだ。

「……無理しない方がいいんじゃないのか?」
「どうぞ私のことはお気になさらず。これは私の──“傍観者”の役目です」
「傍観者の──役目?」
「主役が無事に結末を演じられるよう、観客も尽力するものです」

次々と飛びかかってくる花の嵐をすべて撃ち落としながら、にこりともせずヒズミは平坦な調子で述べる。

「ですから、あなたは──あなたの、したいように」
「……………………」
「私は、あなたを見届けます。あなたの決断と、あなたの償いを……」

ヒズミの言葉はそこで途切れた。喉へのダメージが蓄積したことによって、遂に発声ができなくなったようだ。それでも電撃の手だけは緩めない。整えられた舞台を守るべく──命さえ投げ出す覚悟で、特等席に坐している。

声を失ってもなお、痛みを殺して戦う彼女の目の前で──



その瞬間は、至極あっさりと訪れた。



──腕だったもの。
──脚だったもの。
──胴だったもの。

──頭だったものが切断されて転がる。

耳を塞ぎたくなるような音もなく。
目を背けたくなるような血もなく。
涙を流したくなるような言もなく。

決着して。
終結した。

かくして世界に混沌の渦を齎した大樹は──
歓喜の産声も許されず。
生涯の謳歌も赦されず。
母親の愛情も知らないままに。
斃された。

誰よりも弱く、誰よりも脆く、誰よりも暗く、誰よりも悲しい、
──とある勇敢な“ヒーロー”の手によって。