Pretty Poison Pandemic | ナノ





自分が不器用なのは知っていたが、まさかここまでとは思わなかった。ヒズミは手の中でくちゃくちゃに折れ曲がった花の残骸を眺めて、がっくりと肩を落とした。

「お姉ちゃん、へたくそね」
「……難しいな、これ」

アバンギャルドな花の塊を持て余しているヒズミとは裏腹に、謎の幼女は鮮やかな手捌きで茎を編んで花冠を作っている。完成したそれを、胡坐をかいて項垂れているヒズミの頭に乗せた。

「とっても似合うわ」
「そう? 恥ずかしいな」
「お姫様みたいよ」
「何年もスカート穿いてない干物に、お姫様ってなあ……」
「女の子は誰だってプリンセスになれるのよ」
「プリンセスねえ……」
「王子様が迎えに来てくれるの」

王子様。
白馬に乗って、颯爽と現れる救世主。

そんな夢物語に酔いしれたことがないわけではなかった。

そして──その願いは叶った。
自分以外の誰かに心から想われて、救われて、満たされた。
幸せだった。
それもすべて──夢だったようだけれど。

夢は所詮、夢だったようだけれど。

「……最後に一回、会いたかったなあ」
「会いたかった? 誰に?」
「王子様がいたんだ」

失敗した花冠を解きながら、ヒズミは訥々と語る。

「助けてくれたんだ。弱くて、逃げてばっかりで、自業自得でひとりぼっちになった私を助けてくれた王子様がいたんだよ」

クソ真面目で、頭が固くて、それなのに詰めが甘くて負けてばかりで、クールな癖に甘えたがりで、独占欲が強くて、四六時中ひっついてきて、口うるさくて敵わなかったけれど。

誰よりも素敵で、誠実で、カッコよかった年下の彼。

「でも全部、夢だった。現実逃避で見てた夢だったんだ。自分勝手に思い描いてた空想だったんだな……都合のいいことばっかり妄想してんじゃねーって神様が怒って、天国に連れてこられちゃったんだ」
「天国?」
「ここは天国なんだろ。こんなに綺麗で、居心地よくてさ」
「ここは天国なんかじゃないわ」

謎の幼女の言葉に、ヒズミは顔を上げた。

「え? 違うの?」
「違うわよ。ぜんっぜん違うわ。ここは“私の世界”だもの」

天国なんかじゃない。
私の世界。

それは──どういう意味だ?

「お姉ちゃんが見ていたのはきっと夢なんかじゃないわ」
「え……」
「本当にいたのよ、王子様が。お姉ちゃんはプリンセスだったのよ。すぐに会いに行かなきゃ」
「でも──私は」
「きっと待っているわ。お姉ちゃんの王子様が……」

そのときだった。

ずん、という腹の底から響く重い轟音。
地平線が大きく振動した。

その地震に似た揺れと同時に、ヒズミの意識は急速に薄らいでいった。視界がブラックアウトしていく。すべてが真っ暗に閉ざされていく中で、ヒズミは確かに聞いた──

また遊びましょうね、という、鈴を転がすようなかわいらしい幼女の声を。



「ええっ!? も──もう分析完了したのですか!?」

ヴァルゴの動転しきった大声にも、ベルティーユは至って冷静に首肯で返した。

「ああ──予め立てていた予測がビンゴだった。大正解だったのさ。この樹の異常な成長の仕組みは、既に私の掌中にある」
「それで、これは一体どういう……」
「簡単なことさ。この樹はもともと普通の植物だった。その辺に生えていた雑草だよ。それが変異したのさ──爆発した地下研究所から漏れ出した特殊な薬剤の影響によってね」

得意げなふうでもなく平然と言いながら、ベルティーユはジュラルミン・ケースを開いた。中に詰まっていた試験管やフラスコや、液体の詰まったガラス瓶などの器具をデスクに広げていく。

「地下研究所では“生物を改造して怪人に作り変える”実験が日夜行われていた。爆発によって実験に使用されていた薬剤がいくつも流出したのだろう。それらはゆっくりと土壌や地下水に染み渡り、枯れずに残っていたわずかな植物に吸収されていった……少しずつ少しずつ汚染していった。それがなんらかのきっかけで一気に堰が切れたんだ。たまたまこのタイミングで許容量を超えたのか、他に要因があるのかまではわからないが……ともかく、ハルピュイアの実態は“地下研究所で展開されていた実験の残滓の影響を受けて巨大化した普通の植物”だ」

呆然としているヴァルゴに目を向けすらせず、ベルティーユは自分の作業に没頭している。

「というわけで、私はこれから“毒”を精製する。ハルピュイアにのみ有効な毒だ。薬剤によって力を得ているのだから、それを打ち消す成分を注入すれば活動は弱まる。ここで用意できる量で殺すことまではできないだろうが、食い止める程度なら可能なはずだ。突入のための穴を空けられるくらいにハルピュイアを弱らせられれば、事態は大きく進展するだろう。ヒーローたちも、活躍の場をお待ちかねのようであるし」

ベルティーユの言う通り、陣営では召集をかけられた多くのヒーローが出動指令を今か今かと待機している。虎柄のタンクトップを着た筋骨隆々の男、喪服にサスペンダーを装着した若い金髪、フブキ組の構成員らしいスーツ姿の集団もいれば、赤いフルフェイスのヘルメットに同じ色のライダース・ジャケット、とどめに臙脂色の革パンツを穿いた、特撮戦隊モノのリーダーみたいな格好をした者もいた。誰もが脅威の怪樹に挑もうと、正義感に溢れた様子で立っている。

「今から三十分で“毒”を用意する」
「そ、そんな短時間で?」
「私はこれでも常日頃から地下研究所の影響を受けた──後遺症の出た“患者”を診ている身だ。“彼女”の診察に比べれば、これくらいは造作もない。その間に、そちらもハルピュイアに集中攻撃する支度を整えておいておくれ。重機でも火炎放射器でもなんでもいい。あるんだろう? 大ダメージを与えられる手段を確立しておいてほしい」
「わ、わかりました。取り掛かります」

慌ただしくどこかへ去っていったヴァルゴを見送ることもなく、ベルティーユは迷いなく“毒”の調合に取り掛かった。この場に毒殺天使がいれば、三十分といわず、その半分くらいの時間で精製を完了できたかもしれないな──などと考えながら。



ジェノスが地面に倒れ伏す調査団員たちを発見したのは、ほとんどそれと同時刻のことだった。

降り立った枝の床の上、皆が一様にぐったりとしている。数は八名。そのうちの一人──生体反応の数値がもっとも通常レベルに近い男に駆け寄って、俯伏せになっていた体を引っ繰り返し、揺さぶりながら声をかけた。

「おい、大丈夫か、なにがあった」

男の目は閉じたままだったが、唇が動いた。掠れた声が絞り出される。

「……が……化け物が出た……」
「化け物? 化け物だと?」
「街が……みんな死んでしまう……ビルが壊されて……誰か……」

──街?
──ビル?

ジェノスは眉根を寄せた。ここは樹洞の中である。人工的な建造物などあるわけがないのに──男はしきりに街が破壊される、市民が危ない、などと支離滅裂なことを口走っている。

「どういうことだ? おい! しっかり──」

呼びかけも虚しく、男はそれ以上言葉を発することはなかった。生命に関わるダメージを受けているのかと思い探知センサーをより高感度に引き上げたが、それによって判明したのは彼が“深く眠っている”ということだけだった。

そう──眠っているのだ。

「……夢でも見ているのか?」

他の者たちも同じようだった。誰もが睡眠状態にある。悪夢に魘されているかのように、全員の表情は苦悶に歪んでいた。

(樹の影響か? 精神攻撃の一種だろうか……今のところ俺の接続回路に不備はないし、生身でない者には作用しないと見てよさそうだな)

そう判断し、ジェノスはひとまず調査団員たちをそのままにして降下を再開した。彼は後々、深く悔いることになる──自分の読みの甘さに打ちのめされることになる。

状況を正しく把握できていない現状において、機械の身体を持つ彼が“常人の神経に働きかける系統の精神攻撃なら、自分は大丈夫だろう”と思い込んでしまったのは致し方ないことだったのかもしれないが、それでも彼の行動は軽率だった──油断に他ならなかった。

疑いもせずジェノスは下りていく。
──落ちていく。

その先になにが待ち受けているのかも露知らずに。