Pretty Poison Pandemic | ナノ





「最初に派遣した調査団の報告によると、ハルピュイアの内部は巨大な樹洞になっているようです」

トキノは手元の資料に目を落としながら説明を続けている。

「じゅどー? ってなに?」
「樹木の中が腐敗などによって空洞になる自然現象です。野生動物がそれを利用して巣を作ったりすることもあります。ハルピュイアに関してはもともとそういう構造のようなので、この表現は正確でないかもしれませんが……、本題から外れますので、置いておきましょう。とにかくハルピュイアの内部は大きな空洞になっていて、さらにいくつかの層に別れているとのことです。早急に詳細なマップを作って、集まったヒーローたちを探索のために出動させたいところではあるのですが……」
「……ですが?」
「先ほど申し上げた調査団からの定期連絡が途絶えたのです」

シキミは息を呑んだ。

「それは、つまり──なんらかのトラブルが起きた可能性が高い、ということでしょうか」
「その通りです。もしかしたら内部には外敵を排除するための、侵入者を駆除するための攻撃システムが備わっているのでは、との見方が強まっていて……、協会サイドも下手に駒を動かせない状態なのです」
「最後に連絡があったのは?」
「一時間ほど前です。通信が入って、調査団のリーダーが支離滅裂なことを一方的に喋って、切れました。それから音沙汰がありません」
「……なかなか不気味だな」

サイタマの物言いはどこか茶化すような、緊張感のないものだったけれど、その眼差しは鋭くハルピュイアを見据えている。

「調査団を突入させたときは、まだ樹が今よりも一回り小さかったうえ、内部へ這入れる隙間も数ヶ所あったのですが……現在はすべて塞がってしまっています。重機や火炎放射器などで穴を空けようとも試みましたが、無駄でした。ダメージを与えて幹の壁を削っても、それを上回る速度で成長してしまう──弱った部分を覆うように、太い枝が生えて再生しまうのです」
「私の“アグリッピナ”は使えませんか?」
「あの大砲ですか? ええ、あれなら貫通できるかも──再生する前に中へ突入できる大きさの穴を抉じ開けられるかもしれませんが、本部からここまで移送して、さらに砲撃可能な状態まで準備するとなると大仕事です。A市の交通網は麻痺してしまっていますし……丸一日かかるでしょう。そのあいだにX市はハルピュイアに飲み込まれ、近隣の都市まで根が伸びてしまうかと」
「とりあえず、砲撃申請を本部へ出してください。打てる策はすべて打っておいた方がいいです。このままここで立ち往生していたって、事態は悪化するばかりです。それに“アグリッピナ”はロングレンジ用のウェポンですから、万が一ハルピュイアから反撃があっても退避できるであろう距離からのアプローチができると思います。ですから、どうか、お願いします」
「……わかりました。すぐに本部へ通達を送ります」

シキミに言われた通り、トキノはすぐに行動を開始した。一礼してから、踵を返してどこかへ走っていった。忙しない彼女を見送って、そこでシキミは初めて気づく──サイタマの姿がどこにもないことに。

「……あれ? 先生?」

サイタマを探してきょろきょろと首を動かした──
まさに、その瞬間。



鼓膜が破れそうなほどの轟音が一帯を震わせた。



「………………ッッッ!?!?」

あまりの衝撃に腰が抜けそうになった。くわんくわんと脳が揺れている。A級ヒーローであるシキミの三半規管をも乱すほどの、すさまじい空気の振動──

果たしてシキミが見たものは。

「先生……!?」

ハルピュイアの根をいつの間にかよじ登り、幹の前に立っているサイタマの背中だった。
彼の正面には、樹の幹が──茶色の樹皮の壁が──なかった。

ごっそりと抉り取られて、大口を開けている。

シキミは驚きに飛び上がりそうになりながら形振り構わずサイタマの側へダッシュして、彼のマントを引っ張りながら押し殺した呻き声で詰め寄った。

「せせせせ先生!! なにやってるんですか!!」
「は? いや、この樹の中に入れなくて困ってたんだろ? だから入口を作ったんだけど」
「作ったんだけど、じゃないですよ!! 内部がどうなっているのかわからないから危ないって今トキノさんが言ってたじゃないですか!! 聞いてなかったんですか!!」
「聞いてたけど、そんなこと言ってたって仕方ねーだろ」
「し……仕方ないって」
「ヒーローが自分の身を案じてどうすんだよ。体を張って危機をなんとかするのが俺たちの仕事だろ? 危ないのなんて最初からわかって来てんだし、今更そんなこと言われたってなあ」

こともなげにサイタマはそんなことを言う。

ああ──そうか。
そういえばそうだった。

このひとはこういうひとなのだった。

折れず、歪まず、ぶれることのない正義感。
誰かのために戦うという強い覚悟。
守るために迷わず命を懸けるヒーローとしての気概。

だからこそ憧れたのだった。
一生ついていこうと決めたのだった。

「んで、俺は行くけど、お前はどうするんだ? 外で待ってるか?」
「……いいえ。お供させてください」
「よっしゃ。いい返事だ」

突如として難攻不落だった巨木に大穴が空いたことに協会関係者やヒーローたちが騒然としている気配を背後に感じながら、サイタマとシキミは一歩を踏み出した。既にサイタマの一撃によって負った傷を塞ごうと蠢きだしている断面は緑色の体液でぬめり、てらてらと光を反射していて、ひどく薄気味が悪い。

まるで地獄門といった様相である。

「行方不明になっている調査団の人たちを探しましょう。深刻な怪我をしているなら救助しなければいけませんし、ひょっとしたらなにか有益な情報を得ている可能性もあります」
「そうだな……それに、この樹が生えてきたときにヒズミがシェルターの中にいたんだとしたら、飲み込まれちまってるかもしれない。多分ジェノスも一緒だろうから、早いとこ見つけてやんねーとな」

そう──怯んでいる暇はないのだ。シキミはベルトからスチェッキンを引き抜いて、手早く安全装置を解除した。

拳銃を構えたまま中を覗き込んでみると、闇の底に着地できそうな足場が薄っすらと見えた。暗くて判然としないが、どうやらその足場はそれなりに広く、奥まで続いていて、床のような形になっているらしい。自分たちが登ってきたのはちょうどシェルターのドーム屋根あたりくらいの高さのはずなのだが、枝なのか根なのか、樹皮と同じ茶色をした蔦が幾重にも重なっている──すっぽりと覆い隠してしまっている。

「──せーのっ!」

サイタマの掛け声を皮切りに。
二人は大樹の形をした化け物の体内へ同時に飛び込んだ。



それと時を同じくして。

ジェノスは大凡サイタマの予想通り、ハルピュイアの内部にいた。ヒズミと行動を共にしているわけではないので、的中とまでは言えなかったけれど。

(今の衝撃はなんだ? またこの樹に変化が起きたのか? 生体反応を見るに、成長速度は今もどんどん増しているようだ。一刻も早く対処しないと、どうなるかわからないな)

その衝撃というのが自身の師であるサイタマ渾身のワンパンによるものだということを、そして彼もまたシキミと一緒にこの大木の樹洞へ今まさにログインしてきたところなのだということを、勿論ジェノスは知る由もない。

複雑に絡んだ枝の床を踏みしめて、ジェノスは歩いている。彼が樹洞へ侵入する際には通れる隙間がかなり高い位置にしかなかったので、ひとまずそこから滑り込み、シェルターの屋根を目指して“下って”いるところなのだった。いずれ多くの人命が危険に晒されるであろう緊急事態ではあったが、ジェノスの頭にはとにもかくにもヒズミの無事を確認するのが最優先事項として決定づけられていた。

まだ記憶に新しい、宇宙からやってきた侵略者の猛攻によって身も心もずたずたに傷ついたヒズミを、今度こそ自分が守り抜かなければ──と。
ジェノスにはその思いしかなかった。

床は壁と壁を完全に繋いでいるわけではないらしく、ところどころで切れていた。中途半端に伸びた足場が上下に間隔を開けていくつもの層になっている。歯車の凹凸が噛み合うように、ジグザグに入り組んでいるのだ。まさかご丁寧に階段や梯子などが付随しているわけもないので、下へ向かうには飛び降りるしかない。焼却砲でブチ抜くことも考えたが、生きている植物というのは内包する水分量が多いために、意外と燃えにくいものだ。それに万が一この樹が大炎上することがあっては、シェルターに閉じ込められている(と思われる)ヒズミは逃げられないだろう。それでは本末転倒である。

幸いにも今のところ着地が困難なほどの高低差にはエンカウントしていないが、とにかくこの樹洞は広すぎる。先がどうなっているのか、ジェノスには皆目見当もつかないところだ。

皆目見当も──つかないところだったけれど。
想像が及ばないからといって。
安全が確立されていないからといって。
この足を止めることなどできない。

振り返らない。
戻らない。
立ち止まらない。

決意を胸に、助走をつけて、ジェノスは枝の床の縁から空中へと躍り出た。