Pretty Poison Pandemic | ナノ





──許容を超過した衝撃により、主脳に異常を確認。
──神経接続、エネルギー制御回路、オールレッド。
──安全確保のためセーフティ・モードに移行。
──全システム緊急凍結。
──主脳の意識レベル回復を最優先。

──駆動可能状態への復旧まであと三十秒。

──バッテリー・コアの正常動作を確認。
──焼却砲、ブーストエンジンの正常動作を確認。
──全システム緊急凍結を解除。

──駆動可能状態への復旧まであと十秒。

──神経接続、エネルギー制御回路、オールグリーン。
──主脳の意識レベル回復。正常動作を確認。
──セーフティ・モード解除。
──現時点に於いて、対処すべき問題なし。

──駆動可能状態への復旧まであと三秒。
──再起動します。



そしてジェノスは目を覚ました。
頭部を強打したことにより、気絶してしまっていたようだ──素早くジェノスは体を起こす。全方位、どの角度にも飛び出せるよう、脚部パーツの発条を極限まで縮めた姿勢をとる。感知センサーを全開にして、周囲に敵性因子が潜伏していないかどうかを瞬時に探る。

果たして、歴然と反応はあった──しかしジェノスはその場から動くことができなかった。

彼の眼前に超然と立ちはだかる“それ”は。
あまりにも巨大すぎた。

「……なんだ、これは……!」

そんなことを──問うまでもない。

さっきまでシェルターがあった場所に聳えているのは、常識を超越した巨大樹だった。数万人を収容できる規格のドームを、丸ごと幹の内に収めてしまっている。そこから縦横無尽に伸びる無数の根が地面を砕いて潜り込み、ところどころ波のように盛り上がって浮き出ている。ジェノスがいた“受付”の仮設テントはその根の隆起に巻き込まれて見るも無残に崩壊していた。金属製の骨組みはいくつもの節に折れて転がり、屋根のシートはずたずたに引き裂かれている。

根といっても、そのサイズは一般的に連想される植物のレベルではない。成人男性が腕を回しても指先が届くかどうか怪しいだろう。まるでそれ自体が幹のようですらある。充分に警戒しながら表面に触れて、ジェノスは自分の体内に埋め込まれた探知機能をフルに使ってその温度や硬度、水分量や細胞の構造まで細かに分析していくが、得られたのはこれが正真正銘“植物”に他ならないという結果だけだった。

なにも変わったところはない。
しかし──広い世界のどこを探したって、こんな植物の存在は有り得ないだろう。

神話に登場する“ユグドラシル”でもあるまいし。

(突然変異の新種か? しかし何故ここで、このタイミングで……いや、そんなことを考えている場合じゃない。シェルターにはヒズミが……あの樹の中にはヒズミが取り込まれてしまっている!)

内部がどうなっているのかわからないが、それでも危険なことに変わりはない。もう二度と宇宙人襲来のときのような思いをヒズミにさせるわけにはいかないのだ。自分が助けに行かねばならない。一刻も早く彼女のもとへ駆けつけてやらないと──

やや離れた位置に、先ほど馴れ馴れしく話しかけてきたハイジが転がっていた。意識はないようだったが、心拍にも呼吸にも処置を要するほどの乱れは見られない。目立った外傷もない。放っておけばそのうち回復するだろう。

(……悪いな。俺には守りたい人がいるんだ)

大して申し訳なくもなさそうに心の中だけでハイジに詫びて、ジェノスは怯むことなく──謎の大樹へ猛然と向かっていった。



重い足取りで部屋を出ると、廊下に父と母が並んで立っていた。二人とも目尻を吊り上げて、怒りに満ちた表情をしている。その鋭い矛先が自分に突きつけられているのは、いくら他人の感情を読み取るのが苦手なヒズミでも理解できた。

「どこに行くの?」

母の声はどこまでも刺々しく、ヒズミの心臓を抉る。静かな怒気に晒されて、全身から汗が噴き出る思いだった。

「……バイトの時間だから」
「あんた、いつまでアルバイトなんてくだらないことしているつもりなの? 一生フリーターでいるつもりじゃないでしょうね?」
「どれだけ親に恥をかかせれば気が済むんだ」

父の口調も厳しい。呼吸が浅くなる。頭の奥が割れるように痛みはじめる。

「コンビニのバイトなんてどうせ大した仕事じゃないんでしょうから、今は楽かも知れないけどね。あんたなんて中途半端で、無気力で、どうしようもない人間なんだから、お母さんは学校に行けって言ったのよ。学歴があれば結婚するまでの仕事くらいならどうにでも見つかるんだから」
「おい、それは違うぞ。お前は甘い。今は学歴があったって就職は難しいんだ。コンビニだって昇格制度があるだろう。それを利用して社員にでもなればいい」
「コンビニの社員なんて情けないわ。ご近所さんになんて言えばいいのよ。それに、ああいう大手チェーンは過労が問題になっているじゃない。ブラック企業っていうんでしょう? いいようにこき使われて、体調でも崩したらどうするのよ。病院代だって安くないのよ」
「仕事についていけなくて体をダメにするようなヤツは、元々がだらしないんだ。きちんとした生活を送っていないからすぐ逃げる。根性がないんだ。そうに決まってる。お前はただのパート主婦だろう。ろくに会社っていう世界で働いたこともないくせに、くだらないニュース番組で見たことをそのまま鵜呑みにして、わかったような口を利くな」
「どうして私がそんなこと言われなくちゃならないの!? あなただって、長いこと今の会社に勤めてるのに、ぜんぜん役職が上がらないじゃない。ずっと平社員じゃないのよ。大した稼ぎもないくせに偉そうにしないで。私がどれだけ苦労して遣り繰りしてると思ってるのよ!」
「それが女の役目だろうが! 何様なんだ!」
「こっちの台詞よ!」

……ああ、また始まってしまった。
まったくもって面倒くさい。
相手していられない。

いつもいつも飽きもしないで口論を繰り返して、八つ当たりで手当たり次第に物を投げたりもして、実にくだらない。なにをそうも必死になっているんだろう。所詮は人間なんて生まれて、生きて、死んでいくだけの猿なのに。一生懸命になったって仕方がないと、どうしてわからないのか。

この世に生を享けるというのは罰ゲームに等しい。
真面目にやる方が──馬鹿らしいのだ。

「悪いけど、私もう行かなきゃいけないから」
「あんたはなんとも思わないの!? お母さんが馬鹿にされているのに、なにも言い返してくれないの!?」
「……バイトがあるから」
「なんて──なんて薄情な子なの! あんたに思いやりはないの!?」

平手で頬を打たれた。
叩かれた箇所がじんじんと痺れて、熱を持つ。

「あんたは……あんたみたいな人間は絶対に幸せになれないわ! 自分のことばかり考えて、ただ楽をしたいだけなのよ! あんたみたいなのは一生ずっと誰にも愛してもらえないわ!」
「……そうだろうな」
「自分が一番大事だと思ってるから、そういうことが言えるのよ! あんたは、あんたは死ぬまで一人で生きていくんだわ! 自分のことだけ考えて! 誰にも大切にしてもらえないで、ひとりぼっちで死んでいくのよ──自分以外の誰のことも愛せないままで!」

自分以外の誰のことも──
愛せない?

それは──違う。
と。
思った。

だから言った。
言ってしまった。

「それは違う」
「……なにが違うっていうのよ」
「私は別に私を愛してない」

むしろ嫌っている。
誰だって汚れたものは嫌いだろう。

「それに、大切な人くらい、私にもいる」

……いたっけ?

痛み続ける脳味噌の奥に一瞬なにかが過ぎった。
誰かの霞んだ面影が。
ひどく懐かしく愛おしいような、誰かの──

「私を守ってやるって言ってくれた」

言ってくれたっけ?
……誰が?

「大丈夫だ、ここにいる、って言ってくれた」

誰だって汚れたものは嫌いだろう。

でも彼は──そんな自分を。

「好きだって言ってくれたんだよ……!」



そうだ。
行かなければ。
彼が。

きっと彼が待っている。



棒立ちの両親のあいだを通り抜けて──ほとんど突き飛ばすようにして、ヒズミは玄関へ大股で歩く。ドアノブに手をかけて、振り返った。その表情に迷いはない。凛と澄んだ眼差しで、父と母を見据える。二人とも泣きそうな顔をしていた。それはヒズミが彼らと共に暮らした二十年間の中で見たどの表情よりも悲愴さに溢れていた。それでも戻るわけにはいかない。立ち止まることはできない。

今の自分にはもう、帰るべき新しい居場所があるのだ。
ヒズミはきっぱりと別れを告げる。

「いってきます」

ドアを押し開けて外に出る。射し込む光に視界が白く塗り潰された。あまりにも眩しすぎて、意識ごとホワイトアウトしそうになる。それでも振り返らない。戻らない。立ち止まらない。ヒズミは光の中へ一歩を踏み出した。

──いってらっしゃい、と聞こえた気がした。