Pretty Poison Pandemic | ナノ





シェルターから少し離れたところに、協会が用意した“受付”があった。骨組みに白いシートを取りつけただけの簡素な屋根の下に折り畳み式のテーブルがふたつ並べられ、パイプ椅子が置かれ、スーツ姿の関係者が数人ほど等間隔に並んで座っている。中学校が催す運動会の実況席みたいな安っぽい造りではあったけれど、場所が場所だけに──状況が状況だけに、贅沢は言えない。

むしろ中途半端にちゃんとした設備にしてしまうと“寄付金の無駄遣い”とか“そんな余裕があるなら復興支援に回せばいいのに”とかマスコミに叩かれてしまいかねない。そういった配慮もあるのだろう──とジェノスは他人事のように考えていた。

付き添いでやってきた第三者が待機するためのスペースも確保されていたので、ジェノスはそこヒズミからの連絡を待っていた。備えつけられたプラスチックのベンチから、数百メートル先に見えるシェルターをじっと睨みつけている。挨拶程度に話しかけることさえ躊躇われる殺伐とした雰囲気を放っている彼だったが──近づいてくる人影があった。

「君が“ジェノス氏”で間違いない?」

シェルターから視線をずらし、ジェノスは横目にそいつを見た。白衣を纏った長身の男だった。無造作に逆立った短い銀髪。ヘアワックスでセットしているのか、はたまた単純に寝癖なのか。歳の頃は二十代半ばに見える。彫りの深い顔立ちをしていて、見目は悪くない。脚が長く、背筋もすっと伸びているので、雑誌のトップを飾るメンズモデルのようですらある。濃緑の瞳は深い森のようだった。

「……お前は誰だ?」
「申し遅れた。俺はハイジっていうんだ」
「ハイジ、というのは女性名の愛称ではなかったか」
「複雑な事情があるんだ」

了承も取らず、ハイジはジェノスの隣によいしょと腰を下ろした。それどころか遠慮なく距離を詰めてくる。知り合ったばかりの相手と親しくなりたがる幼稚園児みたいな仕種だった。

「今はベルティーユ教授の同僚っつーか、チームメイトっつーか、まあそんな感じの立場。教授から君の話はいろいろ聞いてるよ。どうぞよろしく」
「チームメイト……海人族の襲来のどさくさで逃げた凶悪犯の捜索がどうとかいう、あれのことか?」
「それは企業秘密」

語尾にハートマークがつきそうな猫撫で声で嘯き、悪戯っぽくウインクしてみせるハイジに、ジェノスは眉根を寄せた。敵意は感じられないが、悪ふざけの過ぎる子供のようで、いまいち信用できない男だ──というのが、現段階でのハイジに対するジェノスの評価だった。

「そんな怖い顔すんなって。仲良くしようよ」
「うるさい。慣れ合うつもりはない」
「あっ、そう……ふーん」

口を尖らせてそっぽを向くハイジ。いかにも拗ねました候といった彼の態度に、ジェノスはますます混乱してしまう。突然やってきて勝手に機嫌を損ねて、一体なんなのだ。年上の大人とは思えない。

しかしそれでも頑として席を立とうとはしないハイジから、ジェノスはシェルターに意識を戻した。繭のようなあのドームの中で今頃ヒズミはどんな顔をして、どんなことを考えているのだろう。早く会いたい。話を聞きたい。手を取ってやりたい。涙を拭ってやりたい。

拳を固く握りしめ──ジェノスは彼女に心を焦がす。



……いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

長時間フローリングで横になっていたために軋んでいる体を起こして、サイタマは現在時刻を確認する。午後の三時を少し回っていた。どうやら豪華すぎる朝食で腹が膨れて、そのまま寝落ちてしまったらしい。己の自堕落さにうんざりしつつ、室内を見回す──シキミの姿を探したが、彼女はどこにもいなかった。その代わりに、テーブルの上に置き手紙があった。

ファンシーなメモ帳の切れ端に、かわいらしい丸文字で「ヒズミさんのお部屋で勉強してます。なにかあったら呼んでください。シキミ」と書いてある。

気を遣わせてしまったようだった。ますますサイタマは情けなくなって、被っていたタオルケットを脇に置く──このタオルケットもシキミがわざわざ掛けてくれたのだろう。腹を出して寝転がっている自分が風邪をひいてしまわないように。まったく、自分という男はどこまで弟子に世話をかければ気が済むのか。

「……隣、行くか」

誰にともなくひとりごちて、サイタマはのそりのそりと動き出した。寝間着から夏物のパーカーとハーフパンツに着替え、適当に顔を洗って歯磨きも済ませ、サンダルをつっかけてヒズミの部屋へ向かう。女性のプライヴェート・スペースに無断で上がり込むのは気が引けたが、今までに彼女の部屋を訪れたことは何度かあるので、少しくらいならいいだろうと割り切ることにした。

鍵はかかっていなかったので、チャイムも鳴らさず中に入った。三和土にはシキミの靴が行儀よく並べられていた。リビングに顔を出す。テーブルの上には筆記用具と英語の問題集が広げられていて──

シキミはそれらすべてに堂々と背を向けて、夢中でテレビゲームに興じていた。

「……勉強してるんじゃなかったの?」
「はっ!?」

サイタマの声に驚いてがばっと振り返り、途端に顔を青くするシキミ。宿題をサボっているのを親に見つかってしまった小学生みたいな──いや、比喩でなく実際に状況はまさしくそんな感じだった。ページを開いたままぽつんと置き去りにされていた問題集はほとんど白紙である。

「おおおおはようございます先生」
「あ、あー、おはよう」
「ここここれには深い理由があるんです」
「深い理由?」
「あ、あのえっとなんていうかえっとその、息抜きですっ!」
「大体の予想はついてたけど浅っ」
「あううう……」

風船から空気が抜けるがごとく萎んでいくシキミだったが、しかしコントローラーは手放さない。彼女の隣に胡坐をかいて、サイタマは改めて画面を眺める。グロテスクな風貌をした悪魔たちを、主人公のデビルハンターが斬ったり撃ったり挑発したり好き放題やらかして、その言動のスタイリッシュさが売りの人気アクション・ゲーム──記憶の片隅に薄っすらと見覚えがあった。

「お、これdmcだな」
「そうです。先生、ご存じなんですか」
「シリーズ一作目だけやった。映像こんなキレーになったんだな」

シキミが現在プレイしているのは、延々と出現しつづける敵をひたすら倒していくモードだ。ステージが進むにつれて難易度はどんどん上昇していく。既に終盤に差しかかっているようだったが、シキミは巧みな指捌きでモンスターを撃破していく。

「うまいもんだな」
「これ、家にもありますから」
「そうなの?」
「……ヨーコさんが、いつもやってました」

会話の流れで出てきたその名前に、空気が一瞬じわりと温度を下げる。

「……そうか」
「すごく上手いんですよ」
「へえ」
「ユーチューブにプレイ動画とかも上げてました」
「古風な割にデジタル趣味だな、あの人……」
「ヒズミさんも結構やりこんでるみたいですね。トロフィーほとんど埋まってましたよ」
「まあニートだからな、アイツ。時間が有り余ってんだろ」
「確認したら“そんでもって地獄へようこそ!”まで獲得しててびっくりしました」

それは作中の隠し要素である最高難度の“ヘル・アンド・ヘル”をクリアすることでゲットできる輝かしい称号で、つまりれっきとした廃人の証なのだけれど、その辺りのディープな事情にあまり詳しくないサイタマは曖昧に相槌を打つことしかできない。

残すところ十ステージまで来たところで、あえなくシキミは敗北を喫した。タイトル画面に戻って、シキミはゲーム機のスイッチを落とした。

「もういいの?」
「はい。午前中からずっとやってましたから」
「いや課題やれよ」
「うっ……」

自ら進んで夏休みの宿命を背負う道を選んだとはいえ、シキミもそこらの高校生と変わらないということだ──終わりの見えない地獄に嫌気が差して、目先の娯楽に気持ちが傾いてしまったのだろう。その抗い難い誘惑には、サイタマにも覚えがある。

「散歩でも行くか」
「! お散歩ですか」
「おう。その辺を適当にぶらぶらと……パトロールって名目で」
「いいですねっ! 是非っ!」
「帰ってきたらちゃんと課題やれよ」
「…………勿論ですよ」
「なんか変な間がなかったか?」
「キノセイデス!」
「なんで片言なんだよ」

床に落ちていたリモコンを拾い上げ、サイタマはテレビを消そうと電源ボタンを押した──つもりだったのだが、どうやら間違っていたようだった。チャンネルが切り替わる。見渡す限りの廃墟に、巨大な塔のようなものが立っている映像が表れた。風景との対比で、それが天を突くほどの高さを持っていることがわかる。CGだろうか、新しい海外映画の宣伝でもやっているのか──とサイタマは思ったが、画面の右上に踊っているテロップは「LIVE」とあった。どうやらニュース番組らしい。

「──ご覧いただけますでしょうか! あれが……あれが、X市に突如として出現した謎の“大樹”です!」
「……!? X市って言ったか!?」

流れてきたアナウンサーか誰かの逼迫した音声に、サイタマが身を乗り出した。大樹──なるほど確かに、よく見てみれば、その塔は樹木のようであった。ごつごつした質感の茶色の幹。上部は傘を広げたように枝分かれしており、そこには青々とした葉が鬱蒼と生い茂っている。太い根が瓦礫の山の隙間を蛇のようにうねっているのも確認できた。

「現場はX市のシェルターで、こちらには先日の爆発事故によって亡くなられた人々の遺体が安置されており、管理にあたっていた協会関係者の報告によりますと、地響きのような轟音がしたと思ったらシェルターを飲み込むようにいきなりあの“樹”が生えてきたとのことで、それから数時間が経過した現在もなお、あの“樹”は成長しているようです! あの“樹”からの物理的な攻撃や毒物の散布などは今のところないようですが、協会は近隣の市へ厳重警戒を呼び掛けています。災害レベルは虎! 虎です!」

要請を受けたヒーローが続々と駆けつけているらしいが、この怪奇現象の原因はいまだ解明されず、事態は混迷を極めているとのことだった。とにかくあの樹を倒してしまおうと、水素爆弾や超高出力レーザーの投入も検討されているとか、いないとか──大衆向けの報道番組から得られた情報は精々それくらいだった。

「……どういうことだ? なにが起こってる?」
「わ……わかりません。でも、X市の……遺体が安置されてるシェルターって……」
「ああ──ヒズミとジェノスが行ってるとこだな」
「行きますか、先生」
「当然だろ。お前もすぐ準備しろ」
「わかりましたっ!」

引き締まった返答をして、シキミはリビングの隅に置いていたキャリーバッグを──特殊な仕掛けによって二重底になっていたそれを開けて、愛銃“ヴェノム”を取り出した。底が平らな試験管のような形状をした弾丸をシリンダーに詰め、予備もしっかりとホルスターに装着する。ロックフェスで起きた結界騒動の際にも使用したスチェッキンは腰のベルトに差して、すぐ発射できる状態にしておいた。

その間にサイタマは一度自宅に戻っていた。シキミがすべての支度を終えて外に出ると、サイタマは既に準備万端だった。いつものヒーロースーツの、白いマントを風にはためかせている。

「森林伐採──環境破壊か。気が進まねーな」
「でも、これもヒーローの仕事ですよ」
「その通りだな」
「早く行きましょう、先生」
「おう。これはダッシュで行くしかねーよな!」

颯爽と決め台詞を口にして。

サイタマとシキミは一路、X市へと直走る。