Pretty Poison Pandemic | ナノ





「あちらの椅子へお掛けください」
「どうも。……ここはどういう部屋なんでしょう?」
「ちょっとした内緒話をするための空間です。法律的にグレーな尋問とか。防音設備が完璧で、盗聴および盗撮対策に精密機器の電気信号を狂わせるための特殊なジャミング電波を常に発生させています。微弱ではありますが……体調に異常はありませんか?」
「大丈夫です。刑事ドラマに出てくる取調室みたいで、ちょっと緊張してますけれど。このスチールデスクとか、鉄格子つきの窓とか、いかにもそれらしいじゃないですか」
「気が散るようなら別室を用意しますが……」
「あ、どうぞお構いなく。これから真面目トークするぞ! っていう雰囲気が出てていいですよ」
「雰囲気……ですか。……ふふっ」
「? なぜ笑いますか?」
「すみません。この状況下でそんなジョークが飛んでくるとは思っていなかったもので」
「冗談のつもりはなかったんですがね……。まあ、ウケてもらえたなら幸いです。どうせ重い話なんでしょうから、少しでも空気は明るくしておきましょう」
「その口振りですと……大体の察しはついてらっしゃるようですね?」
「ええ──いつぞや前振りのあった、X市地下爆発事故の現場から見つかった遺体の身元確認の件でしょう?」
「……ご明察です。どうして?」
「勘ですよ。ニュースでも“瓦礫の撤去は終わりが見えず、荒涼とした光景ではあるものの、復興は着実に進みつつある”って言ってましたし、そろそろ頃合かと思っただけです」
「本当に、あなたは頭の切れる方ですね」
「買い被りですよ」
「実際、私の用件はその通りです。既にシェルターに運び込まれた遺体の身元確認が始まっています。遺族たちの立ち会いのもと、もう半数が身内のところに──帰るべきところに帰りました。親族全員の死亡が確認され、連絡の取りようがなくなった人々に関しては、顔写真や歯科での治療履歴などと照合して本人かどうかを判断しています。そうして一致が確定した遺体は自治体の協力のもと荼毘に付され、今回の事故にあたって設立された共同墓地に埋葬されることになりました。事故に巻き込まれた霊園もいくつかありましたから、自分たちの管理する墓が壊れてしまったためにその共同墓地への埋葬を希望される遺族も少なからずいましたので、そういった要望にも可能な限り応えています」
「なるほど……よく、わかりました」
「あなたの体がまだ万全でないのは重々承知しています。ですが──X市がなるべく早くもとの都市機能を回復するためにも、ご協力をお願い致します」
「短時間の外出許可は下りてますから、明日すぐ伺います」
「よろしいのですか? その……、差し出がましいようではありますが、心の準備が必要なのでは?」
「私は根が卑屈でチキンですからね、変に余裕を持たされると気持ちが揺らいでしまいそうで。ぶっつけ本番くらいの方がいいんですよ」
「はあ……そういうものですか」
「そういうものです。それに──」
「? それに?」
「長い時間もらって決心できたことが、ひとつあるので」
「決心……ですか」
「そうです。すべての清算が終わったら、ありとあらゆる片がついたら、伝えるべきことを伝えるべき相手に伝えようと、思っています。やっと思いが固まったので、気が変わらないうちにさっさと済ませておきたいんですよ」
「伝えるべきことを、伝えるべき相手に……」
「いつまでも宙ぶらりんにさせてしまうわけにはいかないですからね。いい加減きっちり返事しておかないといけません。いっぱい助けてくれたのに、両手で抱えきれないほどたくさんのものを与えてくれたのに、今の今まで待たせてること自体が申し訳ないんですけれど……それはまあ大目に見てほしいところです」
「それは……あの“彼”のことですか?」

ニーナの問いに、それまで淡々と喋っていたヒズミが初めて表情に変化を出した。頬をやや赤らめて、はにかんで口元を綻ばせる──まるで、それは恋する乙女の照れ笑いのような。

「もう遠慮しません。わがまま言いたい放題してやります。鬱陶しがられたって、嫌われたって、こんな重い女だとは思わなかったってこっぴどくフラれたって構いません。私をこんなにしちゃったのはあの子ですから。責任しっかり取ってもらいます。私が近々どうなっても、あの子が先々どうなっても──絶対もう離れてなんかやらないって、ようやく覚悟できたんです」



Z市の繁華街で怪人が暴れているという警報を聞きつけて出動したはいいが、蓋を開けてみればなんのことはない──大した相手ではなかった。圧倒的な強さを誇るサイタマにしてみれば災害レベル虎だろうが鬼だろうが、はたまた竜であったとしてもそこにほとんど差異はない。天地が引っ繰り返ろうとも苦戦したりなどしないのだけれど、それを差し引いても退屈な事案だった。いつものようにワンパンでぶちのめして、汚れた手袋を早く洗いたいなあと思いながらゴーストタウンの自宅へ帰還した彼を出迎えたのは、

リビングでぼろぼろと涙を流しているシキミだった。

「…………!?」

様子を見るに、このあいだヒズミたちと一緒に鑑賞したような胸震わせる映画を見ていたとか、ハートフルなドラマの再放送がやっていたとか、感動巨編を読んだとか、そういうわけでもないらしい。シキミはサイタマが帰ってきたのを物音で察知して、急いで醜態を隠そうとしたのだろう──薄手の生地の、白いパーカーの袖がファンデーションとアイライナーとアイシャドウでみっともなく汚れている。それでも泣き腫らした目元は隠せていなかったのだけれど。

まさに──青天の霹靂。

「あ……っと、お帰りなさい、せんせ」
「……なんかあったのか」
「な、なんでもないですよ! ちょっと目にゴミが」
「どんだけでけーゴミが入ったらそんな号泣できるんだよ」

追及もほどほどに、サイタマはシキミの側に胡坐をかいた。逃げるように身を引いたシキミに、なぜだか少し苛立ちを覚えた。理由はサイタマ自身にもわからないが、どうにも腹の虫がざわついて落ち着かない。

「なんかあったんだろ。言ってみろ」
「……先生……」
「なんだ、俺じゃ役不足か?」

水浴びを終えた小型犬のようにぷるぷると首を横に振って、シキミは嗚咽混じりに大きく息を吸い込んだ。

「本当に、なんかあったとか、そういうんじゃないんです」
「嘘つくなよ」
「嘘じゃないんです。違うんです……本当に……ただ最近いろいろあって……ちょっと爆発しちゃっただけです」
「……シキミ」
「ヨーコさんとも、まだ連絡つかないし……どこでなにやってるんでしょうかね、まったく、ひとの気も知らないで」

蚊の鳴くような声でシキミは言う。

ああ、そうか──とぼんやりサイタマは理解する。十年以上も寝食をともにしてきた“保護者”の失踪は、まだ高校生のシキミには重すぎるのだ。ふらっといなくなることはこれまでもあったというが、経緯が経緯である。かの大祭典、ヒーローズロックフェスティバルを襲った原因不明の“結界”を打破すべく別れて、それっきり音沙汰がないのだ。所在どころか生命の安否も定かでない。

ヨーコはシキミを拾ってくれた恩人なのだという。
親を亡くし、味方のいない家で泣いて暮らしていたシキミを山奥から連れ出してくれたのだという。

心配にもなるだろう──泣きたくなるくらいには。

「大丈夫だよ」
「先生……」
「根拠があるわけじゃねーけど、多分そのうち思いもよらねーところから出てきてくれる気がするぜ。……それにだな」
「それに……?」
「今は俺がいるだろ」

言いながらサイタマは後悔した。この状況でその台詞はまずい。口説き文句以外のなにものでもない。いやほら俺だけじゃなくてジェノスもヒズミもいるだろ──と取り繕いかけて、シキミが浮かべた切ない泣き笑いに、なにも言えなくなった。

「ありがとう、ございます、先生」
「シキミ、」
「先生がいてくれて、本当によかったです」
「……………………」
「出逢えて、よかったです」

なんだそれは。
なんなんだ──それは。

まるで今生の別れみたいではないか。

シキミにそんなつもりはなかったのだろうが、少なくともサイタマにはそう聞こえてしまった。いつか離れてしまう未来を彷彿とさせる、諦めを孕んだ言い種だった。

だから。
咄嗟に。
手が伸びてしまった。

「! う、わっ」

シキミの頭から漂って鼻腔をくすぐるのはシャンプーの匂いだろうか。嗅いだことのない甘い香りだった。指の隙間を通る黒髪はさらさらと心地よく、サイタマは無意識のうちに撫でるように掌を動かしていた。

抱きしめる、なんて色気のあるものでもない──シキミの後頭部に手を添えて引き寄せて、自分の肩口に顔を埋めさせただけだ。サイタマにもたれかかる姿勢になってしまったシキミの背中に腕を回すようなこともしない。そんなことをしたらいよいよアウトである。

「俺がいるだろ」
「せ、先生、あのっ」
「だから、そんな顔すんな」
「せんせ……、」
「もう泣くな」

このタイミングでジェノスが帰ってきたら言い訳できないな、アイツどんな反応するんだろうか、などと至極とりとめのないことを考えながら、それでもサイタマは泣きじゃくるシキミを突き放したりはしなかった。なにがあっても、誰に笑われてもいいから、せめて彼女が泣きやむまではこうしていてやろう、なんたって俺はヒーローだしな──と、サイタマはゆっくり目を閉じた。