Pretty Poison Pandemic | ナノ





「あなたは何者? 名乗りなさい」

明らかに異質な風貌である怪人と対峙しながら、シキミはまったく臆することなく、目も逸らさない。そんな彼女に、怪人──鶏と中年男性を適当に合成したような、むしろコントの衣装みたいな滑稽な格好をしたそいつは、疲労の色濃い憔悴しきった表情を向けている。

「名前? そんなもん、今の俺にはねえよ……小さい頃から人見知りで、会社の飲み会でも誰とも喋れなくて、何十年も隅っこで黙々と唐揚げばっかり食ってたら、こんな姿になっちまった……はっ、根っからチキンな俺には相応しいのかもしれないけどな……」

ぼそぼそと覇気のない声で怪人は言った。

「そんなチキンさんが、どうしてこんなところにいるの?」
「ここは人がいねえからよぉ。誰の目も気にせずに、のんびり生きるのにちょうどよかったんだよ。けど最近なんかゴタゴタがあったみたいで、うるさかったから、出ようかと思ってよ」
「……どこへ行くつもり?」
「さあな。なんにも考えちゃいねえよ。けど──この姿になってから、妙に力が沸いてきやがるんだ」

怪人は威嚇するように翼を広げた。
シキミが、それと悟られないようスクールバッグの中身に意識を集中する。

「今なら、そう、こうなった今なら──俺を散々コケにして馬鹿にしてきた会社の奴らに、復讐もできるんじゃねえかと思ってよぉ。そう考え出したら止まらなくってよぉ。これからぶっ殺しに行ってやろうかってとこだったんだ」

白目のない異形の瞳が、シキミを映して獰猛に光る。

「お前、女子高生ヒーローなんだろ? 雑誌かなんかで、写真を見たことがあるぜ。かわいい顔して大したもんだよな……俺みたいなクズとは大違いだ……でもなぁ」

次の瞬間にはもう、怪人は動いていた。
ひとっ跳びでシキミとの距離を一気に詰めて、鳥類独特の節くれ立った脚で飛び蹴りを放った。

「なんでかなああああああ! 負ける気がしねえんだよなあああああああああッ!」

それはいっそ狂気的な咆哮だった。普通人ならばそれだけで全身が竦んで身動きが取れなくなり、その強靭な脚力によって肉も骨も生命も粉々に砕かれていただろう。

しかし。
しかしシキミは。
そんな非力な“普通人”ではない。

怪人の渾身のキックは舗装された道路に突き刺さり、アスファルトを割った。そこにいたはずのシキミの姿はなく、幻のように消えてしまっていた。

「な…………あぁ!?」

動揺する怪人の頭上に、ふっ、と影が過ぎった。

(──上かッ!)

反射的に、怪人は頭を上げた。
その視界に飛び込んできたのは、地上の数メートルを華麗に舞いながら、こちらへ銃口を向けているシキミだった。

そう──銃口。
小柄で華奢な彼女が扱うには、いささか大きすぎる銃だった。拳銃の形をしてはいるが、全長は五十センチ近い。

横にずれて開いたシリンダーに、シキミは“弾”を装填する。しかしその“弾”は、怪人の目にはとても銃弾には見えなかった。彼女の大腿部に巻かれた黒いベルトにくくりつけられていた、それは短い矢のような──いや、矢ですらない。先端が平らで、ガラスなのかプラスチックなのか、無色透明である。中に液体が詰まっているのが確認できた。細い試験管のような形状のそれを、シキミは鮮やかな手捌きで己の銃に詰める。その間、わずか二秒弱。

怪人が翼を横に薙いだ。そこから羽根が高速で射出されて、研ぎ澄まされた刃となってシキミを刻まんと飛来する。シキミは空中で身を翻してそれを躱した。その勢いを利用して宙返りをし、突き出した右足で怪人の脳天に踵落としを叩き込む。

「ぎゃっ!」

頭を押さえてふらついた怪人の顎に、すかさず二撃目を入れる。華麗な後ろ回し蹴りが炸裂し、怪人はたまらず後ろに倒れた。

「ぐ……ちくしょおあああっ!」

怒号を撒き散らして怪人が起き上がる。
再びシキミに飛びかかって今度こそ引き裂こうとして──その眼前に突きつけられた銃口に、動きを封じられた。

「あなたに恨みはないけれど」

すさまじい大立ち回りを経てもシキミは息ひとつ乱していない。顔色は冷静そのもので、なんの迷いもなく引鉄に指をかけて、怪人を見下げている。

「あたしの仕事をさせてもらいます」

言って。
撃った。

放たれたのは針のついた銀色の筒──注射器に似た形をしたものだった。それが怪人の右の眼球を貫き、抉って、深々と突き刺さった。

「ぐあああああああああああッッッ!」

思わず耳を塞ぎたくなるような悲鳴が上がったが、それだけだった。怪人は激痛に暴れたが、それでも動いている。生きている。致命傷にはなっていなかった──その弾丸による傷の、それ自体は。

そして変化は劇的だった。

「あ……あああ……あぁ!?」

怪人が目を見開き、目を剥いて苦しみだした。前のめりに崩れ、胸のあたりを押さえながら、呻いている。そんな怪人の悶絶を見ようともせず、シキミは既に警戒を解いてしまっているようで、シリンダーを開いて排莢作業にかかっている。取り出した“薬莢”の中身は空になっていた。そこに入っていた液体が、綺麗さっぱりなくなっていた。役目を終えた“薬莢”を太腿のベルトに戻して、シキミはそこでやっと地面をのたうち回る怪人へ憐れむような視線を向けた。

「て……てめえ、なにしやがっ……」
「私のことを雑誌で見たことがあるなら、あたしのヒーローネームも知ってるでしょう?」

それ──すなわち。
“毒殺天使”。

つまり装填した試験管風の弾に込められていた液体は──
あの奇妙な銀色の注射器に詰まっていたのは──

「毒……だと……!?」
「怪人にも効力を発揮する、致死性の猛毒です。即効性でもありますから、数秒で全身へ回って、神経を麻痺させて、あらゆる筋肉の活動を停止させます。といっても」

シキミは目を細めた。

「もう聞こえていないでしょうけれど」

口から泡を吹き、激しく痙攣していた怪人は既に動くのをやめていた。
体内を蹂躙する猛毒によって──息絶えていた。

「…………ふう」

疲弊の混じった息を吐きながら、シキミは装填していた弾をすべて抜いて、銃のグリップ部分のレバーを操作した。すると銃は自動で変形して、コンパクトに折り畳まれた。掌サイズの金属の塊になったそれをスクールバッグにしまって、協会へ怪人討伐の報告をするべく携帯電話を取り出そうとしたところで、

「なんだ、お前、そこそこデキるんじゃん」

間の抜けた声がかけられた。ばっ、と振り向くと──そこにはいつの間にかヒーロースーツに身を包んだサイタマと、ついでにジェノスが立っていた。ぜんぜん気づかなかった。シキミは驚いて飛び上がりそうになるのを堪え、とりあえず頭をぺこぺこと下げた。

「あ、おっ……お疲れ様です!」
「いやまあ俺なんにもしてねーけどな」
「あっ、す、すみません! え、えっと、あの、どうしてサイタマ様がここに……?」
「ジェノスが怪人のエネルギー反応を察知したっつーから、退治に来たんだよ。そしたらもうお前が戦ってたから、こっそり見物してた」
「そ……それはお見苦しいところを……」

しどろもどろになりながらなおもお辞儀を繰り返すシキミに、サイタマが苦笑を漏らした。

「あの戦い慣れした身のこなし。どうやらA級の肩書は伊達じゃないようだな」
「あ、ありがとうございます、ジェノスさん」
「それでも先生には遠く及ばないが」
「……だからこそ、弟子にしていただきたいのです。今日もサイタマ様にお会いしたくて来ました。あたし──あ、いや、わたくしはもっと、強くならないといけないんです」
「そうは言ってもなあ。教えられることなんてなんにもないぜ、正直」

困り果てた様子で、サイタマは腕をこまねいている。

「それでも、学べることはあるはずです。どうしても、あなたの強さの秘訣を知りたいのです」

シキミは頑として引かなかった。
まっすぐにサイタマを見て──小柄なシキミと成人男性であるサイタマとでは身長差があるために、必然的にやや上目遣いになってしまうが──長い睫毛を湛えた黒目がちの眼でじっとサイタマを見つめて、シキミはもはや懇願に近い声色で問う。

どれだけ贔屓目に見ても美人と評せるかんばせの、可憐な女子高生が制服姿で絞り出すその台詞が、モテない男のハートにどれほどの影響を与えるのかなどまったく考慮すらせず、シキミはサイタマに──無意識に、無自覚にとどめを刺した。

「どうか、おそばに置いてくださいませんか?」