Pretty Poison Pandemic | ナノ





「なんで俺を誘ったりするんだ」
「いいじゃねーか。借りは早いうちに返したいだろ?」
「お前に借りを作った覚えはないが」
「ヒズミ助けてやっただろ」
「ここであいつの名前を出す意味がわからないな」
「とぼけんなよ。お前あいつに惚れてんだろ」
「……………………」
「お前がそういう態度なら、まあ俺は好都合なんだけどよ。堂々と口説けるしな」
「くど……っ!?」
「ありゃいい女だ。そこそこ別嬪だし、頭も悪くなさそうだしな。こないだはお前が邪魔したせいでフラれちまったが、次うまくやればどうにかなりそうだ」
「ヒズミに手を出したら焼却してやるからな」
「はっ、碌に経験値のない青臭いガキになに言われたって怖くない。だいたい俺は死にたくても死なない体なんでな、……ほら、着いたぞ」

ゾンビマンに案内されたのは、こぢんまりとした、個人経営の中華料理屋だった。ランチタイムを微妙に過ぎているので、店内に客の姿は疎らである。狭い空間に充満する焦げた脂の匂いは、さぞかし食欲をそそるのだろう──平常時だったなら。

カウンター席の一番奥を選んだゾンビマンの隣に、ジェノスも腰を下ろした。すかさず赤い頭巾を巻いたエプロン姿の女性店員がやってきて、メモとボールペンを構え、二人の顔を順番に窺った。言葉を発することなく注文を取りに来たことを示すには、もっとも的確なポーズだった。

「チャーシューメンと餃子。お前は?」
「……塩ラーメン」
「以上で」

店員がカウンターの向かいの厨房にオーダーを伝える威勢のいい声を聞きながら、ゾンビマンは煙草に火を点けた。白い煙が立ち上って、ジェノスの鼻先をかすめる。ヒズミの部屋と似た匂いがした。ほんの数日振りなのに、ひどく懐かしいような哀愁に囚われる。

「……ゾンビマン」
「どうした」
「一本、くれないか。煙草」
「はあ?」

ゾンビマンは驚いたような声を上げ、きわめて猜疑的な視線で、いきなり妙なことを言い出したジェノスをしげしげと眺めた。

「なんだよ、急に」
「嫌なら別にいいんだ」
「お前、歳いくつだ」
「十九だが」
「アウトじゃねーか馬鹿野郎」

と呆れた口調で言いながらも、ゾンビマンは煙草の箱の口をジェノスに向けて差し出した。軽く振ると、うまい具合に一本だけがするりと飛び出て、ジェノスはそれを手に取って唇に挟む。ライターも借りて、ぎこちない手つきで先端に火を点けて、おおきく息を吸い込んで──思いきり顔をしかめた。

「…………まずい」
「ほら見ろ、この不良サイボーグ。言わんこっちゃねえ」

ゾンビマンが灰皿をジェノスの前に押した。しかしジェノスは煙草をくわえたまま、消そうとはしなかった。

「なんでこんなものを好き好んで吸うんだ」
「フィルター通した酸素の方が、全身に染み込む気がする」
「理解できない」
「お前にはまだ早いんだよ。二十歳を過ぎてから出直してこい」
「……ヒズミは十六から吸い出したと言っていた」
「へえ。かわいい顔してなあ……たぶん苦労してたんだろ」
「苦労だと?」
「嫌なことを忘れるには、ニコチン摂取するのが一番いいんだよ。ヤニくわえて深呼吸して寝りゃあ、大抵のことはどうにかなる、気がする」

そう──なのだろうか。
濁った息を吹いて、ジェノスは思う。

こんなにも苦い煙を吸って、吐いて、そこに彼女はなにを乗せていたのだろうか。言葉にできない陰鬱を、表面に出せない暗澹を、円満に往かない悲愴を──すべて丸めてくしゃくしゃにして、ぽいと屑籠に放り込むように、人知れず発散していたのだろうか。

生きていくだけことにも向いていない彼女が。
ただ唯一、上手に深呼吸をする手段だったのかもしれない。
ジェノスは灰皿で短くなった煙草の火を捻じ消した。きっともう二度と吸わないだろう、と思いながら。

注文した品が運ばれてきて、しばらくは二人とも無言で麺をすすっていたが、ややあってから沈黙を破ったのはゾンビマンの方だった。

「ところでよ、お前、なんでヒズミのこと真っ先に助けに行かなかったんだ」
「……本部の中にいると思っていた」
「すぐ連絡取らなかったのか?」
「あのときは、それどころじゃなかっただろう」
「まあ、そりゃそうだが」

餃子をタレに浸しながら、ゾンビマンは言う。

「つまりお前は、大事な大事なヒズミよりヒーローとしての責務を優先したってわけだ」
「……なにが言いたい?」
「お前はヒーローとしては優秀だってことだ。ヒーローとしては、な」

辣油にまみれた餃子を一口で平らげ、ゾンビマンは続ける。

「ヒーローとしては合格だが、男としちゃあ、どうなんだろうな?」
「……責めているのか」
「まさか。俺はそんなねちっこいヤツじゃない。誤解するな」
「じゃあ──どういうつもりなんだ」
「たぶん俺は他の何万人を見殺しにしてでも、惚れた女を助けに行ける男だ」
「………………」
「ヒズミにとって本当に必要なのは、どっちなんだろうな?」

すべての市民に対して平等に救いの手を差し伸べるヒーローと。
自分の危機に脇目も振らず飛んで駆けつけてくれるヒーローと。

どちらが模範なのかは──言うまでもないけれど。

「お前は一体どっちになりたいんだ?」
「俺は……」
「曰く、二兎を追う者は一兎をも得ず──だぜ、若いの」

ゾンビマンはいつの間にかラーメンも餃子もぺろりと完食してしまっていた。食後の一服に興じながら、赤い瞳でジェノスを真正面から見据える。

「ベルティーユ教授とやらから聞いたぜ。X市の爆発事故で、ヒズミを救助したのはお前と、あのB級なんだってな」
「……そうだ」
「命の恩人ってわけだ」
「そんな恩着せがましい言い方は好きじゃない」
「お前が好きか嫌いかはどうでもいい。そんなことに関係なく、事実は事実だ。そんでその事実はお前にとってアドバンテージだった。ヒズミの隣に四六時中くっついて過ごす名目にするには充分だからな──どうせ、お前はこの先ずっと俺が守る、とかなんとか言ったんじゃないのか?」
「……………………」
「本当わかりやすいヤツだな、お前」

露骨に眉間の皺を増やしたジェノスを、ゾンビマンは嘲るように笑った。

「ともあれ──俺も同じ立場になったわけだ。命の恩人、っていうな。通りすがりにたまたま声かけられて知り合った有名人、から一気に躍進した」
「それで俺にどうしてほしいんだ? そんな不愉快な話をわざわざ俺にする、その真意はなんなんだ」
「白けること言うなよ。俺は親切で宣戦布告してやってんだぞ」

宣戦布告。
ゾンビマンは確かに、そう口にした。

「いつまでもそんなだらしのない気持ちでぼけっとしてやがると、鳶に油揚げ攫われるぜ」
「……ヒズミをモノみたいに扱うな」
「なるほど、優等生だな」

ゾンビマンは伝票を掴んで席を立った。

「今日は奢ってやる」
「借りを返してもらうんじゃなかったのか?」
「無理矢理に付き合わせたからな。そこまで図々しくない」
「……ふん」
「図々しくもないし、軽々しくもない。これでも結構マジなんだぞ、俺は」
「……俺の知ったことではない」
「せいぜい頑張ろうぜ、お互いな」

支払いを済ませ、暖簾をくぐりかけて、その去り際に──くるり、ゾンビマンはとジェノスを振り返った。

「ヒズミを助けた借りはこれで返してもらったが、お前にやった煙草の借りはいつかまた返してもらうぜ」
「……………………」
「じゃあな」

ぴしゃり、と引き戸を閉めて、ゾンビマンの姿はジェノスの視界から消えた。ジェノスは既に伸びつつあるラーメンを一口つるつると含んで、咀嚼して嚥下して、ぼそりと吐き捨てる。

「図々しい男だ」