Pretty Poison Pandemic | ナノ





本部のエントランスは、スーツを着込んだ協会関係者たちが集まってにわかに騒がしくなっていた。これだけの異常事態だ──無理もないだろう。シキミは戸惑うことなくその輪の中に突き進んでいく。そのうちの一人がシキミに気づいて、あからさまに動揺を示した。

「毒殺天使様!? なぜここに!? 他のヒーローたちと出動なさったのでは」
「この中に管理課の方は? 開発課か総務課の方でも結構です」
「あ、あの、わたくし、管理課でございますが」

遠慮がちに手を挙げた者がいた。肩まで伸びた黒い髪に、埃のついていない清潔な眼鏡のマッチした、理知的なキャリア・ウーマン風の女性だった。

「ちょうどよかったです。今回の敵襲に基づいて、本部の倉庫に格納されている第一級指定特殊危険兵器の持ち出しを緊急申請します。許可をください」
「わ──わかりました。すぐに準備いたします。なにをご所望ですか? ヴェノムは常時携行されておられたかと思いますが……超火力グレネード・ランチャー“ブランヴィリエ”は、砲撃可能な稼働ステップへ移行させるのに少しばかり時間がかかってしまいますが」
「いいえ。そちらではありません」

シキミは澱みのない眼差しで、その名を口にする。

「“ドクター・キリコ”を出してください」



上空に停滞していた船から、再び砲弾の雨が解き放たれた。それらは真っすぐにヒーローたち目がけて降り注いで──ぴたり、と止まった。物理的に有り得ない、重力法則を無視したストップが掛けられて、

「どいつもこいつも私がいないと駄目ね! 雑魚一匹に手間取ってるし……もう一回C級から出直したらどうかしら!」

向きを百八十度くるっと転換させて、

「砲弾お返しするわ」

猛烈な勢いで船へと舞い戻っていった。そして直撃した──ハリウッド映画さながらの大規模な爆発が起こり、船が傾くのが地上からでも見えた。

(なんという強力な力だ。本当にタツマキ一人で落とせそうだ)

チートめいたタツマキのエスパー能力を直に観察して、ジェノスは彼女がS級2位たる所以を認めざるを得なかった。あの生意気なほど過剰な自信にも、今では頷ける。

「俺は用事がある。先に帰らせてもらうぞ」

傍らで成り行きを見守っていた駆動戦士がそう言った。協会のブレインの中心である童帝も止めることはせず「どうぞお好きに。既に何人かいなくなってるし」と肩を竦めている。

「その前に……ジェノス君。ちょっといいか?」
「?」
「言っておきたいことがあったんだ」

S級9位ヒーロー、駆動戦士。面識はないはずだが……と訝るジェノスに、駆動戦士は耳打ちするように顔を寄せた。

「メタルナイトはお前の“敵”だ。気をつけろ」
「……どういう意味だ?」
「そのうちわかる。ただ、今は彼に近づかない方がいい」

意味深長なその言葉を残して、駆動戦士はどこかへと消えていった。後を追って問い質すこともできたが、そうしなかった。あまりにもその“忠告”の内容が漠然としすぎていて、そうする気が起きなかった、というのが正しいところである。



少し離れたところでは、変わらず謎の生物とヒーローたち──シルバーファング、金属バット、ぷりぷりプリズナー、アトミック侍の戦闘が続いていた。桁外れの膂力を持ち、さらに幾体にも分裂し、おまけに再生を繰り返す未知の怪人に苦戦していた。宇宙から来たという、人外の生命体──この惑星を侵略せんとする邪悪な敵に、いまだ彼らは王手を取れずにいた。

急所の存在を暴き、いくつかの頭を潰すことはできたものの、そう易々と斃せる相手ではなかった。残っているのは、あと二体。裏を返せば──まだ二体、残っているのだ。

「──見っけた」

シルバーファングが一体の腕を引き千切り、そこに隠されていた、ビー玉のような形状をした“急所”をその手に掴んだ。指先で砕こうと力を込めた、その隙を突かれた──横から飛んできたもう一体の殴打が、もろにシルバーファングに入った。どうしたって強靭そうには見えない彼の老体は、血反吐を吐きながら吹っ飛ばされて──瓦礫の壁に激突した。

「ち……直撃……」

アトミック侍の弟子にあたるA級ヒーロー、イアイアンが呆然と呟きを漏らした。彼は既に敵の一撃を受けている──左腕を失っている。その威力を、身を以て知っている。

「脆い脆い! お前たちは脆いのだな! 一撃で即死だ!」

勝利を確信している、怪人の高笑いが周囲の空気を震わせる。

「なにを手こずることがあったのか! 俺は守らず攻めのみに意識を向けていれば早々に片づくのだ!」

シルバーファングが壊し損ねた急所から、再生が始まる。アトミック侍も、金属バットも、ぷりぷりプリズナーも、それを阻止せんと動いたが、とても間に合いそうにない。千載一遇のチャンスがこうして潰えてしまうのか、と思われた、その刹那。



──きゅんっ、



という、風を裂くような細い音。それにヒーローたちが反応するより早く、速く、疾く、再生しつつあった“急所”は粉々に砕けていた。いくつもの細かい破片になって、地面に落ちた。

「な……!?」

ラスト一体となった怪人が、驚きに硬直した。さらにそいつは──自身が打ち込んだ渾身のパンチを食らってなお立ち上がってきたシルバーファングの姿を見て、より焦燥の色を濃くした。

「うぃーい、肩凝りが取れたぜ……それにしても鈍っとるわ。やはりたまには全力で運動せんといかんな」
「!?!? 生きて……」

そしてまたそこへ、きゅんっ、という音が飛び込んでくる。怯んだ怪人のどてっ腹に風穴が空いた。自分がどういう攻撃に晒されているのか理解ができず、浮き足立った怪人を──

「おい、どこ見てる」

アトミック侍の斬撃が完璧に捉えた。彼の冠する“アトミック”の名の通り、怪人の体は原子レベルに近いほど全身あますところなく細切れになって──しかし、すぐに再生が始まる。

「──普段は肉体のどこに心臓部があるかわからんように自由に移動させている。しかし──肉体が復活するときは頭部から再生される。そしてその中心に心臓部がある」

シルバーファングは元に戻りつつあった怪人の顔面に拳を突き刺した。

「これだけ何度も見ていれば、猿でも要領を掴めるわい」

引き抜いた手には──ビー玉があった。

「ほれ、王手じゃ」
「くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

敗北を悟った怪人が吠える。
ぱきん、と間抜けなほど軽い音を立てて、最後の一体も斃れた。

「これで全部の頭がイッたようだな! ひとまず勝利だ」
「まだでっけえ敵が上に残ってるけどな……エスパーのガキでも落とせなかったらどうすんだ?」
「それより……さっきのアレはなんだったんだ?」
「アレ? アレってなんだよ、アトミック侍」
「シルバーファングが吹っ飛ばされたときだよ。俺たちがなにもしてねえのに、勝手にビー玉が割れたろ。誰がやったんだ?」
「それだけじゃない。ワシが立ち上がってから最後の一体にアトミック侍が“アトミック斬”を叩き込む、その前にも一発、謎の攻撃があった。あれでヤツに隙が生まれ、ワシらはとどめを刺すことができた。あれは誰の仕業なんじゃ?」
「知らねーけど、勝ったからいいんじゃねーの?」
「……おぬしのその単純さは武器じゃな」



彼らが首を傾げている──その答えは。
協会本部の上層階にあった。

頑強な要塞の内側から外界へ攻撃をするために設けられたスペースである。特殊強化ガラスの壁に囲まれた部屋で、任意の操作でハッチを開くことができるようになっているのだ。協会の科学力の粋を結集させた最新技術のそこに、現在も人ひとりがやっと這って潜れるほどの長方形の隙間が空けられていて──

ニメートル弱はあろうかという巨大な銃を構えたシキミが、そこに伏せていた。

「…………ふう」

バレットM82A1をベースに、協会とシキミが改修と改良と改造を重ねて作り上げた、大型セミオート式の狙撃銃。ショート・リコイル、六条右回りののアンチ・マテリアル・ライフル。二キロメートル離れた人間の体をバラバラにできるほどの威力を備えた、正真正銘の軍事兵器である。

その重火器は、シキミ命名──“ドクター・キリコ”という。

「ひとまずは、これで大丈夫そうですね」

前方下面に取りつけていたバイポッド──銃身を支えるための二脚を取り外して、シキミは上体を起こした。その背後で唖然と口を開けていた管理課の女性、トキノはそこで我に返ったらしく、ずり落ちたままになっていた眼鏡を元の位置に戻した。

「お、お疲れ様です。毒殺天使様」
「上空の飛行物体にも狙撃できればいいんですが、この“ドクター・キリコ”では火力が足りませんね……“ブランヴィリエ”か“アグリッピナ”なら落とせるかもしれませんが、この様子では必要ないでしょう」

眼下に広がる地上では、タツマキが念動力を使ってブロックの塊を船に叩き込んでいる。あの猛攻を受けて、宇宙から来た得体の知れない船とはいえ、無傷でずっと浮かんでいられるとは思えない。

「イチかバチかで戻ってきてよかった。あの場にいても、あたしの戦闘能力じゃ他のS級さん方の脚を引っ張るだけだったでしょうし。金属バットさんの殴打が効かないのに、普通の銃で応戦できるわけがありません。それなら遠くから、隙を突く攻撃ができればと考えて“ドクター・キリコ”を動かしたんですが……正解だったようですね」

目を保護するために装着していたゴーグルを外して、シキミは嘆息した。そんなことを淡々と述べる彼女に、トキノは戦慄を禁じ得ない。十代半ばという若さにして、突発的な異常事態においても的確な判断ができる沈着さ──そしてなにより、この“ドクター・キリコ”を──超重量級の巨大狙撃銃をまるで自分の手足のように操って、数百メートル以上もの距離を欠片ほども苦にせず、一発で正確に標的を射抜く技術。しかも二発、立て続けに連続して──そんなものは突拍子もないファンタジー漫画の領分だ。現実に存在していいわけがない。

これが──これが、ヒーローという人種なのか。
トキノは手が震えているのを自覚した。

「……毒殺天使様、いかがなさいますか? 皆様のもとへ向かわれますか?」
「いえ、今更行ったところで、あたしにできることはありませんから……そうだ、ヒズミさんと合流しないと……」
「え? ヒズミ様……ですか?」
「緊急招集をかけられたとき、一緒にここへ来たんです。あたしたちの会議が終わるまでベルティーユ教授のところで待っていると言っていましたから、彼女の研究室にいると思うんですが」
「ヒズミ様なら、外へ出て行かれるところを見ましたが」
「えっ?」

トキノの台詞に、シキミは目を見開いた。

「ベルティーユ様はそのとき、海人族の襲来で起きた混乱に乗じて逃げた凶悪犯たちによる再犯対策のための会議に呼ばれていました。恐らく面会ができないとわかって、出掛けられたのではないかと……」
「……そんな!」

このヒーロー協会本部の──外に。
蹂躙され尽くした街のどこかに──ヒズミが──

シキミから血の気が引いて、一気に顔面蒼白になる。

「嘘だ……嘘……ヒズミさん……」

シキミの手からゴーグルが滑り落ちた。プラスチック製のそれと硬い床のぶつかる、かつん、という乾いた音が、いつまでもシキミの鼓膜にこびりついたように反響していた。