Pretty Poison Pandemic | ナノ





──なにが。

一体なにが起こったのだろう。

ベルティーユに挨拶しようと研究室を訪れてみたら、ドロワットに会った。彼女の話によれば「いま教授は海人族の襲来時のどさくさに紛れて脱走した凶悪犯の件で、幹部連中に協力要請を受けてバタバタしてるわ」とのことだったので、面会を諦めて協会本部を出た。すっかり手持ち無沙汰になってしまったので、適当に暇を潰そうと、行きつけの喫茶店“フロラドーラ”でゆっくりお茶を飲みながら煙草をふかしていたのだった。

ガラス張りになった壁から、高く聳えるヒーロー協会本部が見えていた。空から鳥の化け物が数匹ほど下りてきて、あろうことか集中攻撃を展開しはじめたのも見えていた。これは撃退しに行った方がいいんだろうか、いやでもS級ヒーローが集結してるわけだし別にいいのかな──と逡巡しているうちに、別の飛行物体が現れて、絨毯爆撃が始まった。



見境もなく。慈悲もなく。感慨もなく。容赦もなく。余地もなく。倫理もなく。常識もなく。良心もなく。理性もなく。

すべてを破壊して無に帰す──残酷な一斉掃射。



少しだけ意識を失っていたようだ。重い瞼をなんとか開く。視界が赤かった。血の色だった。かつて喫茶店を構成していた木材や鉄筋が圧し折られて崩れて、自分の体を押し潰している。痛い。痛い。痛い。痛い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い──

なんとかそれらを押し退けて這いずり出て、そしてヒズミが見たのは。

荒涼たる光景だった。

まるで世界の終わりのような。
この世の果てのような。

すべてが粉々に打ち砕かれた廃墟。立ち並んでいたビルディングはすべて倒壊し、見渡す限り瓦礫の山と化していた。生きているものの気配はない。
街そのものが、まるごと息絶えていた。

「…………あ」

全身が滑稽なほど震えているのがわかった。こんな景色を、いつかも見た気がする。そう、あのときも──あちこちが痛くて、心臓が破裂しそうなほど怖くて、ひとりぼっちで──名前も知らない誰かの体が、無惨にその命を奪われて動かなくなっているのを──数えきれないほど直視させられた過去。

いまだ薄れることのない、あの“事故”の忌まわしい記憶。
鮮明に思い出す。思い出してしまう。フラッシュバックのように再生される。どこまでも救いのない、混沌と絶望の大惨事──

息ができない。締め上げられるような苦しさに胸を押さえて、そのまま瓦礫の上に倒れ込む。助けを求めようにも、声が出ない。犬のように舌を出して喘いで、悶え転がることしかできない。

「あ、あ、あ、あ、あ、あ……っ、」

そういえば──“あのとき”は。
誰かが救ってくれたような覚えがある。

颯爽と現れて。
自分を優しく抱き起こして。
闇の中から助け出してくれた気がする。

いつも──いつも彼が支えてくれた。
手を取って隣を歩いてくれた。

──ああ。

彼の姿を探しても、見つからない。どこにも彼がいない。

名前を呼ぼう、そうだ、そうしたら──きっと、いつものように飛んできてくれるかもしれない。甘えてもいいと言ってくれた、迷惑なんかじゃないと、自分のことを××だと言ってくれた、彼なら、×××くんなら、彼なら──

(…………あれ……?)

朦朧とする意識で彼のことを脳裏に浮かべて、しかし茫洋と霞んでしまって、よく思い出せない。顔も、名前も、遥か彼方に遠ざかって、はっきりしない。×××が×××で、怖くて、どうしようもなく×××で、縋りつきたくて伸ばした手は空を切って、力なく落ちた。

彼は果たして誰だっただろうか?
そして──自分は?

自分は何故、こうして生きているんだろう?

(……わたしは──ひとりで……ひとりなんだったっけ……)

真っ赤に歪む視界が、徐々に狭くなっていく。もうなにも見えない。なにも聞こえない。誰もいない。さようなら。さ×うなら。ご愛読ありがとうございました。次回作にご期待ください。ごき×いくだ×い。ご×たイく×サい。×××××××××××××。×××××、×××、××××××××!

×××××──×××××××、××××××!

ヒズミの思考はそこで切れた。コンセントを引き抜いたテレビ画面のように、ぶつん、と──いっそ酷薄なほど、一瞬でブラックアウトした。



「あんな上空に構えられたのでは攻撃する手段がない。謎の飛行物体は現在沈黙している。今のうちにメタルナイトを呼ぶのがいいだろう」

……というのが最強の男、S級7位のキングの言であった。それは他人への押しつけに、解決の放棄に聞こえなくもないが、実際その通りだろうとシキミは思う。絶対的な強さを誇るキングを以てしても、対抗手段がない。手の打ちようがないのだ──空を飛べでもしない限り。

「なによそれ!? 情けないわね! あんたそれでも最強の男なの!? 既に街が一個なくなってるのに、また向こうに先手を譲るつもり!? 信じらんない!」
「ちょっ、タツマキちゃん! キングさんを怒らせると殺されるぞ」

クロビカリが狼狽えながら激昂するタツマキを宥めにかかるが、彼女は聞く耳を持たなかった。

「もういいわよ! 私が一人で片づけるわよ!」
「待て、俺も行く。有効かどうかわからないが俺も地上から攻撃をしてみよう」
「聞こえなかったの!? いいって言ってるでしょ!?」

ジェノスの申し出も、タツマキは突っ撥ねた。彼の矛先が上空の未確認飛行物体からタツマキに切り替わりかける。

「……………………」
「お、落ち着いてくださいジェノスさん」
「気持ちはわかるが彼女を怒らせると殺される……」

シキミとクロビカリの大人の対応で冷静さを取り戻したジェノスは、なにやら思案顔で腕を組んだまま押し黙っていたが──なにも言わなかった。事態が収まったのを察知して、シキミはおずおずと「あの、すみません」と話の向きを変える。

「あたし、本部に戻ります」
「? なによ、避難でもするわけ?」
「いいえ。本部に武器を取りに行きます」
「武器だと?」
「シルバーファングさんたちに加勢しようと思います。あたしが加わったところで大した戦力にはならないでしょうが、あたしにはあたしにしかできない攻撃手段がありますので」

不安そうではあったものの、それは確固たる自信に裏づけされた宣言だった。タツマキは高飛車っぽく鼻を鳴らして、

「敵が上空にいるから自分にはなにもできない、なんて言ってる腰抜けとは大違いだわ」
「ちょ、マジでタツマキちゃん、それ以上キングさんに喧嘩を売るのは……」
「好きにしなさい。あの船は私がなんとかするから」
「ありがとうございます。健闘を祈ります」
「ふん、祈られるまでもないわ。あのくらい」

シキミは踵を返し、ダッシュで離れていった。瓦礫だらけで足場が劣悪であるという状況をものともせず、風のように駆けて本部を目指す。やはりA級の肩書は伊達ではないんだな、とジェノスは海人族との戦い──シキミがサイボーグである自分と並んで走るという離れ業を披露したことを改めて思い起こし、みるみる小さくなっていく背中を見送った。