Pretty Poison Pandemic | ナノ





「シキミー、今日パンケーキ食べに行かない? 駅前に新しくできた店が超おいしいんだってー」

ホームルームを終えて、学生のもっとも輝かしい時間──放課後が訪れた。教室はがやがやと賑わい、それぞれのグループがこれからの予定を立てるのにはしゃいでいる。さっさと帰り支度を整えたクラスメイトもその御多分に漏れずシキミを誘いにやってきたのだが、シキミは首を横に振った。

「ごめんツルちゃん、今日ちょっと用事があって」
「えー? ヒーロー協会のなんか?」
「そうじゃないんだけど……巨大隕石の件で、会いに行きたい人がいて」
「ああ、こないだあんたが“弟子入りするんだー!”ってテンション爆超になってた人? でもあの人ってインチキだったんじゃないの? お兄ちゃんがその人ネットの掲示板でめっちゃ叩かれてたって言ってたけど」

ツルちゃん──こと、ツルコの言葉にシキミはむうっと膨れた。人形のようにかわいらしい顔立ちのシキミがそんなふうにしたところで迫力などは微塵もないのだが、それでも怒りは伝わったようで、ツルコは「ごめんごめん」と両手を合わせた。

「そういやシキミは見てたんだったね。ごめんってば、そんな顔しないでよ。あたし心配してるんだから。……あれ? でも、昨日会いに行ったんじゃなかったの?」
「うん、行ったよ。行ったけど……」
「行ったけど?」
「弟子にしてくださいって言ったら、断られた」
「ありゃりゃ。振られちゃったんだ。あんたくらいかわいくても振られることってあるのね」
「振るとか振られるとか、そういう話じゃないってば。もともと「はいそうですか、わかりました」って快諾してもらえるとは思ってなかったし」
「カイダクってなに?」

きょとんとしているツルコを黙殺して、シキミは続ける。

「とりあえずしばらくは粘ってみる。とにかく通いつめて熱意が伝われば、了承してくれるかもしれない。その人……サイタマさん、弟子さんがいないわけじゃないみたいだから」
「え? 他に弟子がいるの?」
「そうみたい。隣に住んでたヒズミさん……女の人と、あと、最近S級デビューした人が、サイタマさんのこと“先生”って呼んでたから」
「S級デビューって……ええっ!? ひょっとしてジェノス様のこと!?」
「ジェノス様ってなによ」
「ジェノス様はジェノス様よ! あの鋼鉄の無表情のイケメンフェイスから滲み出る儚さ! まさにサイボーグ王子! もう既にかなりの数のファンがいるんだから。知らないの?」
「知らないよ。そういう人気投票みたいなの、興味ないもん」

あくまで淡白なシキミの言い種に、ツルコは大袈裟に額を押さえて溜息を吐いた。

「これだから正義バカは……あんただって男性部門の人気ランキングぶっちぎりなんだから、ちょっとは興味を持ちなさいよ。サービスしようとか、そういう精神ないわけ?」
「応援してくれてるのは、ありがたいと思ってるけど……」

正直なところ、自分の外見だけを見て胸ときめかせているだけの大衆には、あまりいい気持ちを抱いてはいない。そういう人間たちの寄付で活動できていることには感謝しているけれど、街中で取り囲まれてかわいいかわいいと喚き立てられたり、握手を求められたり、勝手に写メなど撮られたりするのに関しては非常に面白くないのだ。有名税だと思って割り切ってはいるものの、できるならそういった見世物扱いはやめてほしい。

「本当あんたって……なんていうか……ストリップよね」
「それを言うならストイック」

人前で脱いで踊ったりした覚えはない。

「そういうわけだから、今日はごめんね。ヒメノでも誘えば? あの子こないだ彼氏と別れたらしくて、自棄食いしたい気分だって昨日ラインで言ってたよ」
「あ、そうなの? それは詳しく話聞かなきゃだわ。ちょっと探して声かけてくる。さんくー」
「ゆーあーうぇるかむ」

去り際に「ジェノス様のサインもらっといてー!」と言い残し、ツルコは教室をあとにした。喋くっているあいだに他のクラスメイトは全員いなくなっていた。さて自分も下校しようとシキミはスクールバッグを肩に掛け、気合い充分に椅子から立ち上がった。

彼女が通うのは、Z市立のとある共学の高校である。全校生徒は五百八十七名。市内でも指折りの進学校で、多くの推薦枠を持ち、その校名は津々浦々に通用するブランドを確立していた。そんな名門で学業に励みつつ、正義の味方として悪と戦う日々を送る、まるでアニメの主人公のような“現役女子高生ヒーロー”──それこそが、他ならぬシキミなのであった。

そんな彼女はゴースト・タウンへ向かうバスに乗るべく停留所を目指し、閑静な住宅街を歩いている。

「……はい、はいそうです。今日もサイタマさんのところに。はい、夕飯までには戻ります。え? 海老チリが食べたい? ……わかりました。材料の買い出しだけお願いしてもいいですか? はい。冷凍の海老で大丈夫です。あとは……」

携帯で“保護者”と連絡をとりつつ、停留所に到着して、するとタイミングよくバスがやってきた。

「あ、ちょうどバス来たので切りますね。なにかわからないことがあったら、メールください。返せるかどうかわからないですけど。……はい。それでは」

シキミはバスに乗り込んで、一番うしろの座席に腰を下ろした。車内はがら空きだったので、隣にスクールバッグを置いた。がちゃん、という重くて硬いものが立てる独特の音。バッグの中に教科書やノートやペンケース以外のなにかが入っているその気配に、しかし反応する客はいなかった。バスはゆるやかに発進して、ほんの数人を乗せてのろのろと道路を走りだした。

サイタマ宅にもっとも近いところにあるターミナルで降りたのはシキミだけだった。まあこんな辺鄙な最果ての地に好き好んでやってくる輩はそうそういないだろう。かつては肝試しだなんだと銘打って車で乗りつけてくる若者もいたようだが、怪人の出現率が各地で鰻登りの昨今、そういった向こう見ずの怖いもの知らずの姿も少なくなりつつあるらしい。
それは正しい判断だとシキミは思う。



なにせ、到着してほんの数分で“怪人”に遭遇してしまうような場所なのだから。



頭から赤い鶏冠の生えた中年の男だった。頼りなさげな撫で肩から伸びる腕は白い翼を形成している。小太りで、まるまると膨れ上がった顔の、本来ならば口があるべき箇所に黄色い嘴が生えていた。両目は白い部分がなく真っ黒で、その得体の知れない不気味な双眸が、ぎょろりとシキミを見つめている──

(まったく……時間あんまりないってのに)

うんざりしながら、シキミは眼前に立ちはだかるように現れた“怪人”を見据える。その眼差しに恐慌や焦燥などはない。ただ──燃えるような正義感だけが宿っていた。