Pretty Poison Pandemic | ナノ





ステージ裏の通路は惨憺たる有様だった。

霧の影響はスタッフたちにも出ていたようで、床に倒れ伏して苦しんでいるアシスタント・ディレクタ、壁にもたれかかってぐったりしている美術監督、いかにも体力自慢というようなガタイの大道具の男性までもが座り込んで歯を食いしばっていた。全員を介抱してやりたいのは山々だったが、人数が多すぎてキリがない上に、時間の猶予もない。

「ううう……ごめんなさいっ……!」

断腸の思いで彼らの前を通り過ぎながら、シキミとサイタマは片っ端から裏方を捜索していく。いくつかそれらしいのではないかという機材や、奇抜なデザインの装飾用オブジェを叩き壊したりもしてみたのだが、案の定というかなんというか、変化は現れなかった。

「どうしましょう先生、どうしたら……このままでは……」
「落ち着けって。焦っても仕方ねーだろ」

冷静さを失いつつあるシキミを宥めて、サイタマは顎に手を当てて思案を巡らせる。

「結界の核、ねえ……エネルギーを供給してる心臓みてーな装置なんだっけ? いまいちピンと来ねーなあ」
「せめて形状だけでもわかれば……」
「システムそのものが理解できねーってのが痛いな。そもそもエネルギーってなんなんだ? この意味のわからん結界とやらはどういう力によって動いてんだ? まさか電気とか燃料とかってわけでもねーだろ?」
「ヨーコさんは術を使うとき“気”がどうとかって言ってましたけれど」
「き?」
「生命力みたいなもの、だそうです。それを体の中から集めて練り上げて、変化させるんだそうです」
「あれか、念みたいなもんか。強化系とか変化系とか」
「……先生は例えがすべて漫画ですね」

しかし──正鵠は射ている。
強ち的外れな比喩でもないのだった。

「じゃあ、エネルギーってのは無限ってわけじゃないんだな。犯人の電池切れを待つっていうのは無理か?」
「術者が何人いるかわかりませんから……エネルギー源の交代が利くのだとしたら──とっかえひっかえができるのだとしたら、半永久的に維持できるのではないでしょうか」
「くそっ、めんどくせーな……」
「……これだけ規模の大きい結界ですし、睡眠とかで意識がなくなることがあれば術は切れてしまうらしいですから、まさか一人でエネルギー供給しているとは思えないのですけれど──」

言いかけて、シキミの脳裏にひとつの可能性が過ぎった。

「…………まさか」

巨大な結界。
膨大なエネルギー。
その供給源。



生命力を吸い取られるかのように──

衰弱していく人々。



「お客さんやスタッフたちから“奪って”いる……?」
「…………!」

サイタマが目を見開いた。

「……有り得なくは、ない……のか?」
「可能性はゼロではないかと……」
「でも──かといって、どうするんだ? 閉じ込められちまってる以上、どっか遠くに避難させることもできねーだろ」
「……あたしに考えがあります」

シキミが不安そうに言う。考えはあるが自信がない、確信が持てない──そんな感じだった。

「賭けですが、うまくいけばエネルギーの供給を止めることができる、と思います」

そう前置きしてからシキミが呈した“打開策”は、なるほど確かに妙案ではあった。しかしあくまで推測の上に成り立っている机上の空論に過ぎない──が、サイタマの決断は早かった。

「わかった。任せる」
「え!? 先生、いいんですか?」
「それ以外に手はねーんだろ」
「だ、だって……でも」
「いいから行くぞ。早くしねーと手遅れになる。失敗したらそんときにまた考えりゃいい」
「先生……」
「いいから。俺が信じるお前を信じろ!」
「先生、アニメの見すぎです」

なにはともあれ、フィクション作品の引用とはいえ──それはシキミを奮い立たせるのに充分な台詞ではあった。

そして“ヒーロー”二人は全力で走り出す。
数万の人命を、その肩に乗せて。



もはや野戦病院の趣きと化した通路をうろうろと歩いていたミクリヤは、倉庫の前でなにやら怪しげな作業に勤しんでいる人影をふたつ発見した。ああ、まだ動ける人間がいたのか──と顔を綻ばせ、そちらへ駆け寄っていく。

人影がその気配に気づいて、こちらを振り返る。
知った相手だった。ミクリヤの表情が殊更に柔らかいものになる。
シキミと──見覚えのないハゲた青年が、固く施錠された倉庫の扉を開けようと四苦八苦しているところだった。

「あ、ミクリヤさん! ご無事で!」
「シキミさん、これは一体なんなんですか!? 他のスタッフさんたちが、みんな倒れてしまって──お客さんも──それで、外に出られなくなっちゃって──」
「……説明すると長いので、省かせてください」
「倉庫に……倉庫になにかあるんですか?」
「この状況をなんとかするために、この中にあるものが必要なんですが……鍵が掛かってて。ミクリヤさん、鍵どこにあるかわかりますか? マスターキーとか持ってませんか?」
「ええっ? いや、その、私は下っ端なので……そんな大層なものは。美術スタッフの責任者か、プロデューサーあたりなら持っているかも知れませんが……」

シキミの迫力に気圧されて、ミクリヤはすっかりたじろいでいるようだった。

「……今から探していたら、間に合わなくなるかも知れない……どうしよう」
「なあ、あんた、スタッフさんなんだよな」

そう訊いてきたのはハゲた青年の方だった。焦燥に駆られているらしいシキミとは対称的に、彼は随分と落ち着き払っているようにミクリヤには見えた。

「え、あ、はい。そうですが」
「トラブルに対処する権限みたいなものもあるんだよな」
「……まあ、一応は……」
「よし。緊急事態なので今から扉をぶっ壊します」
「えええええええええええええ!?」
「さ、サイタマ先生!?」
「オーケイ。許可は取ったからな」

これが許可を取ったといえるのか、一方的すぎやしないか、いやそもそもこの倉庫には高価なものや業者からレンタルした機器なども収納されているので、協会の科学力と技術力を借りてちょっとやそっとじゃ壊れない頑丈な造りになっているのだけれど──とミクリヤが言葉にする暇もなく、サイタマ“先生”と呼ばれた青年はドアノブに手をかけて、堅固なロックなどものともせず、まるで施錠など最初からされていなかったとでもいうような気軽さで──扉を開けてしまった。

めきめきばきばき、という、不穏な音とともに。

「開いたぞ」
「……………………」
「ぼーっとすんな。早く“アレ”探して持って来いって」
「あ、はいっ!」

倉庫の中へ飛び込んで、一分も経たないうちに目的のものを見つけ出したらしいシキミと、それらを抱えてどこかへ走り去っていったサイタマを、ミクリヤは呆然と見送るほかなかった。あっという間の出来事だった。介入する余地もないほどに。

「……“先生”……?」

シキミがトークショーで言っていた──圧倒的な強さを持つ、とある男性に弟子入りした、と。

確かに彼の力は凄まじかった。銀行の金庫並みの強度を誇る、いっそ要塞と呼んで差し支えない頑丈な砦を、いともあっさり破ってしまった。技術やテクニックなど使用していない──通用するものでもない。単純なパワーのみで、協会の威信が懸かっているといっても過言ではないハイエンド・テクノロジーの結晶を、金属の塊にしてしまった。

にわかには信じがたいが、それこそがA級ヒーローたるシキミの憧れる所以なのだろう。

「……すごい人がいるもんだなあ……」

ミクリヤは放心状態で立ち尽くしながらそう呟いて、髪をまとめていたバンダナを解いた。額に浮かぶ汗をバンダナで適当に拭って、二人がダッシュで消えていった方向をただ唖然と見つめていた。