Pretty Poison Pandemic | ナノ





オープニング・アクトはサイタマの知らないアーティスト集団だった。パンフレットの記述によれば新進気鋭のロック・バンドで、独特のサウンドと高い演奏力で人気急上昇中なのだという──要するに掃いて捨てるほど巷に溢れている似たようなグループのうちのひとつということか、とサイタマは結論づけていた。

それでも“人気急上昇中”の煽りに間違いはなかったようで、数万人を超える観客たちはそのパフォーマンスに早くも熱狂していた。まあ彼ら彼女らとしては、ただ馬鹿騒ぎができればいいのだろう。日頃の鬱憤をここぞとばかりに晴らせればそれでいいのだろう。開会式でJ市長が行った式辞の、大して面白くもない冗談にもどっと笑いが沸き起こっていたし、一種のトランス状態に陥っているのかも知れない。集団心理──同調現象というものは、まったくもって空恐ろしい。

ツルコとヒメノはブロックの仕切りに体をくっつけて前のめりになりながら、ギターのサウンドに合わせて高く掲げた腕を振っている。さすが若い子は元気がいいな──とサイタマがステージそのものとはなんの関係もないところでしみじみ感心していると、そこへジェノスとヒズミがやってきた。ジェノスが着ている黒いタンクトップから伸びる腕が普段の機械仕掛けのそれから大きく変わっていて、サイタマは思わず二度見してしまった。

「え!? あれ!?」
「おはようございます、先生」
「お、おう、ていうかジェノス今日はなんていうかアレだな、肌色だな」
「カモフラージュのために、教授から義肢を借りました」

周囲がとにかく喧しいので、自然と会話が大声になる。

「準備ってこういうことだったんだな」
「はい。なんだか変な感じです」
「それはこっちの台詞だよ」
「感覚器官も再現してあるので、いつものボディと勝手が違って……」
「へぇえ……ん? なんでヒズミぐったりしてんの?」

ジェノスの隣で放心状態になっているヒズミに目敏く気がついて、サイタマが言及した。麦わら帽子に隠れている表情は暗く、どんよりと沈んでいる。

「ジェノスくんにいじめられました」
「はあ?」
「先生こいつSだよ。ドSだよ。血も涙もねーよ」
「……なにがあったの?」
「フリーエリアでやっていた幽霊屋敷のアトラクションに行ってきたんです」
「ふーん、外ではそんなんもやってんのか。……ん? なに? ヒズミお前お化けダメなの? ホラー映画とかゲームとか好きだって言ってなかったか?」
「映画は他人事だし、ゲームはお化け倒せるだろ……現実にはネイルハンマーも射影器も光の弓矢もグレネードランチャーも存在しないんだよ……果敢にデビリタスと戦ってくれるヒューイもいないんだよ先生……」
「俺ダニエラさんの方が怖かったけどな」

サイタマの左の席にはツルコの荷物が置かれていたので、ジェノスは反対側の隣へ回った。ヒズミもしょぼしょぼとそれに倣う。そしてやや離れたところで飛び跳ねているツルコの後ろ姿に反応を見せた。

「あそこで踊ってるの、ひょっとしてツルコちゃん?」
「ああ、そうそう。シキミからチケット強奪したらしいぞ」
「強奪って」
「本人がそう言ってたんだよ」
「元気そうだねえ。終わったら声かけよう」
「お前は踊ってこなくていいの?」
「いやあ、このバンドにはそんな入れ込んでないんで。もっとスクリーモでスラッシュでグラインドでラウドでヘヴィなのがいいっスわ」
「あ? なんだって?」
「ニューウェーヴもシューゲイザーもポストロックもアシッドロックもスラッジ系も好きだけど、やっぱりギターが走りまくっててスピード感あるのが燃えるよなー。ハードコア要素の強いメロコアも……」
「ごめん全然わからん」
「先生は普段なに聴いてんの?」
「……蛍の光?」
「それスーパーの閉店前に流れるヤツじゃねーかよ」

素早いヒズミの突っ込みが入った。

「俺も音楽のことはよくわかりませんが」

ジェノスが口を挟んできた。フォローのつもりだろうか。

「ヒーローやってたら、音楽なんて聴いてる余裕ないか」
「そういうわけでもねーよ。ただ興味がないだけで」
「でも男って、女にモテたいがために一生のうちに一度は必ずギターの練習する生き物なんだろ?」
「なんだその根拠のない思い込みは」
「あー、ジェノスくんはそういうの縁ないかな……かつてのサイタマ先生はそっち系の残念男子だと思ったんだけど」
「お前ほんと俺に対して遠慮なさすぎじゃね?」
「そんなことねーって。でも実際のところ、あるだろ? ロックスターに憧れた時期とか」
「……ノーコメント」

なによりわかりやすい肯定の返事だった。

「あははは、サイタマ先生おもしれー」
「くそ、てめーマジでいつかぶん殴ってやるからな」
「そんな怒んないでくださいよ先生。ギター掻き鳴らす先生マジかっこいいですよ超リスペクトですよ。もう本当うっかり惚れちゃうね」
「お前はギターのうまい男が好きなのか?」

ジェノスがそんなことを訊ねてきた。腹を抱えて笑い転げているヒズミは、彼が至って真面目な、真剣な目つきで自分を見据えていることに気づいていない。

「あ? いやだってかっこいいだろ。あーやってステージに立ってさ、汗だくになりながら必死で演奏して観客を盛り上げてんのとかさ。妙な色っぽさっつーか、得も言われぬエロさがあるっつーか」
「エロさ……」
「お前そんな邪な目で今までライブ見てたのかよ」
「いやいやいやいやそんなことはないです! 断じてないですとも! ちょっと先生そんないかがわしい誤解を招くようなこと言わないでくんねーかな?」
「お前の場合ただの自業自得だろ」

そんなサイタマとヒズミの、くだらない応酬の間に挟まれながら──ジェノスはなにやら考えごとをするように黙り込んで、己の掌をじっと見つめていた。



「すいませーん、シキミさん、そろそろ出番ですー。スタンバイお願いしまーす」
「あ、はーい。わかりましたー」

スタッフに呼ばれ、シキミは鏡台の前から立ち上がった。ドアの外で待機していた案内役の若い女性──首から下げている証明カードには、ミクリヤ、と名前が書いてある──彼女の後ろについて、シキミは機材やダンボールで散らかった狭い通路を、舞台袖に向かって歩いた。

「体調はいかがですか? シキミさん」
「ちょっと緊張してますけど、でも大丈夫です」
「ちょっと、ですか。頼もしいですね」

ミクリヤは口元に手を当てて、おかしそうに笑った。

「他のヒーローの皆さんも、なかなか堂々としてらっしゃいましたけど……あ、そういえばスティンガーさんはさっきすごい勢いでお水を飲んでましたっけ。杖をついて歩いてらっしゃって、随分とつらそうでしたけれど」
「そうなんですか……平気なんですか? こんな大きなイベント出て」
「お医者様はいい顔しなかったそうですけれど、本人がやる気満々だったみたいで。売り出し中の身としてこの大チャンスを見逃すわけにはいかない! とかなんとかで」
「はあ……」
「イナズマックスさんやスネックさんも、同じような感じで出演を快諾してくださったらしいですよ。ドクターストップを押し切って」
「ぷりぷりプリズナーさんもご活躍されたと聞いてますが」
「……あのひとは……まあ……その、囚人ですから」
「……ああ……」

なるほど──それは充分に、大衆の前に出るには相応しくない肩書きといえよう。

ステージのすぐ横の、演者の待機用に作られたスペースに到着して、ここで待っているようにと指示された。

人気ロック・バンドが奏でる爆音の響くなか、しかし周りに他のヒーローの姿は見当たらない。これから集まってくるのだろうか。

「…………ふう」

ひとつ息を吐いて、シキミはスカートで手汗を拭った。大丈夫です、とミクリヤには言ったものの──やはり平常心ではいられない。いられるわけがない。いくら雑誌の取材を受けたことがあるとはいえ、テレビに出たことがあるとはいえ、実際に観衆を前にして話をしたわけではないのだ。

しかし失敗を犯すにはいかない。失態を晒すわけにはいかない。なぜなら今日はサイタマも来ているのだ。尊敬してやまない師の目の前で、情けないところは見せられない。

(落ち着いてシキミ……そう、ただ台本通りにやればいいだけなんだから……)

自らに言い聞かせるように心中でそう繰り返して、シキミは深呼吸した。

そのとき、ちょうど曲が終わったようだった。割れんばかりの拍手がシキミのところまで届いた。

決戦の火蓋が切って落とされる瞬間が、近い。