Pretty Poison Pandemic | ナノ





「思ってたより暗いんだな」
「おいコラ立ち止まってんじゃねーよ早く行けよクソが」
「足元に気をつけろよ、ヒズミ」
「ちょっと待て早い早い早いって置いてく気かよてめーこの野郎ゆっくり歩けバカ」
「どうしろと言うんだ……」

幽霊屋敷の内部は、どうやら廃病院をモチーフにしているらしかった。照明を限界まで落としているために、先がどうなっているのかほとんど見えない。通路に無造作に打ち捨てられているぼろぼろに破れた待合用のソファや、朽ち果てたストレッチャーがリアリティを醸し出していた。

「ああいう物陰から急に飛び出してきたりするんだろう?」
「バッッッカ野郎なんてこと言うんだ貴様!! 焼くぞゴルァ!! サイボーグの丸焼き一丁上げんぞオラァ!!」
「どうした? 手でも繋いでやろうか? ん?」
「結! 構! です!!」

相変わらず強気に凄んでいるヒズミであるが、その顔は引き攣っているうえに膝がぷるぷると笑っている。七分丈のカーゴ・パンツのポケットに両手を突っ込んで、足元のみを凝視しながら歩いている。たとえ死んでも前など見てやるものか、といった態度だった。

普段の彼女とは、なんというか、イメージが違って。
見ているだけでもう、愉快でたまらない。
自分は好きな相手ほどいじめてやりたいタイプだったのだな、とジェノスは新たな自分との出会いに内心で驚きつつ、それすらどこかで楽しんでいた。

しかし中に入って一分以上が経過したが、仕掛けらしい仕掛けにはまだ遭遇していない。ただこうして不気味な道を歩かされているだけだ。所詮はこんなものか──とジェノスがやや拍子抜けしたそのとき、

背後から絶叫が響き渡った。

びくっ、と大きく全身を跳ねさせて、ヒズミが振り返った。ジェノスもそちらへ視線を送る。そこには血だらけのナース服を纏った、顔面の焼け爛れた女性がいて──大音量の金切り声を迸らせながらこちらへ迫ってきていた。

「……──ッッッッぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

恥も外聞もない、知性のかけらもない、ついでに品性も感じられないその悲鳴はヒズミのものだった。一発でパニックに陥っていた。隣のジェノスに飛びついて、縋りついて、しがみつく。

「いやああああああ! 焼いて! アイツ焼いて!!」
「落ち着け。係員が変装してるだけだ」
「大至急ネイルハンマーを!! 宮田さんを呼んで!! 撲殺天使を!!」
「羽生蛇村まで行けと?」
「宇理炎!! 宇理炎を持て!! 今日からジェノスくんはSDKだ!! いんふぇるのおおおおおおおおおおおお」
「いいから落ち着け。あのナースは作り物だ。恩田姉妹じゃない」
「うわあああああんもうやだあああああああああごめんなさいいいいいいいいゆるしてえええええええええ」

ずるずると地面にへたりこむヒズミ。すっかり腰が抜けてしまったようだ。これではとても先へ進むことはできないだろう。予想以上のリアクションに、幽霊ナース役のスタッフの方が戸惑っているのが見えた。彼女も仕事でやっているので、こういう身動きの取れなくなった客にはリタイア用の非常口から出て行ってもらわなければならないのだ。特殊メイクの施された化け物の形相のまま、比較的まともそうなジェノスに「大丈夫ですか?」と目線で窺っている。

「……仕方ないな」

溜息混じりにそう呟いて、ジェノスは震えあがっているヒズミを──ひょいっ、と担ぎ上げた。

「ひょえっ」
「さっさと出るぞ。目を瞑って掴まってろ」
「…………うん」

素直に従って、ヒズミはジェノスの首に腕を回した。子供のように抱っこされて、おとなしくされるがままになっている。すっかり青菜に塩といった様子のヒズミを微笑ましく思いつつ、彼女の帽子が視界を塞がないよう体勢をうまく微調整しながら、ジェノスは歩き出した。



開場時刻になるやいなや、ライブエリア内にまるで土石流のように人々が流れ込んできた。
というより──雪崩れ込んできた。

ほとんど全員がフェス仕様のオリジナルTシャツを着ているが、推しているバンドのロゴが入っているものや、アニメのキャラクターがプリントされた痛シャツに身を包んでいる者の姿も見受けられる。ほとんどコスプレに近い奇抜な衣装の若者もいた。こういうイベントの場では、着用する衣服が自己主張を行うための看板みたいな役割を持つのか──などとうっすら感心しながら、サイタマは遠巻きの関係者席からそのカラフルな人混みを眺めていた。

かくいうサイタマも、そのロックフェスTシャツ姿である。さきほどスタッフに贈呈されたものだ。せっかくなので着替えることにしたのだが、これでテンションが上がるかと言われると別段そういうわけでもない。関係者用に設えられたブロックの、等間隔に並べられたパイプ椅子のひとつに腰を下ろして、ただぼんやりと眼前で繰り広げられる行列の大移動を観察しているだけだ。

ヨーコは小腹が空いたと言ってフリーエリアに向かってしまった。あの妙な術を使ってタダ飯にありつこうとでもしているんじゃなかろうか、というサイタマの無礼千万な懸念を、しかし咎める者はこの場には存在しない。

「ああーっ! サイタマ先生だ!」

聞き覚えのある声だった。

「……おー、シキミの友達の。……えっと」
「ツルコですよう」

振り向いた先にいたのは、いつぞやシキミの見舞いに行った際に会ったクラスメイトのツルコだった。彼女は名前を覚えてもらえていなかったことに拗ねて、ぷーっと頬を膨らましている。

「忘れないでくださいよう、先生」
「わりーわりー」
「ツルちゃんって呼んでくれてもいいんですよ」
「いや、シキミに怒られそうだから遠慮しとくわ。……そっちの子は?」

ツルコの後ろで所在なさげにしている、赤いセルフレームの眼鏡をかけた女の子をサイタマが指さした。ああ、とツルコは思い出したように頷いて、

「こいつはヒメノです。あたしたち三人でいつもシキミとつるんでて」
「はあん。そうなの」
「えっと、その、どうも、はじめまして……ヒメノです……シキミがいつもお世話になっております……」
「あ、これはこれはどうも」

慇懃に挨拶してくれはしたものの、ヒメノの視線はおどおどと中空を彷徨っている。初対面の人間と打ち解けるのが苦手なタイプらしい。

かくして左から──ヒメノ、ツルコ、サイタマの順に並んで座る形になる。

「お前らもここで見るの?」
「はい。シキミからチケット強奪したんで」
「強奪って……穏やかじゃねーな」
「だって今日はA級トップのアマイマスク様も来るんですよ! 行くしかないじゃないですか!」
「誰それ」
「えええええっ! 知らないんですか!」

ツルコは無知なサイタマへ懇切丁寧にイケメン仮面とやらについて詳しく説明したが、結果として彼に伝わったのは“いかにアマイマスクがカッコいい男か”という情報だけで、その実力のほどや活躍の内訳はまったくわからないままだった。ヒーローとして活動する傍ら、映画に出たりCDを出したりしている人気者──というだけで、まあ大体の想像はつくのだけれど。

「海人族から市民を守った他のヒーローたちとのトークショーに出演するんですよ」
「どうせ映画の宣伝かなんかだろ?」
「……まあ、それもあるんでしょうけど」
「トークショーってシキミが出るヤツだろ? 何時から?」
「予定では一時からです。ちょっとした休憩タイム的な」
「ふーん。しかし、大丈夫なのかよ。こんな大勢の前で」
「大丈夫じゃないですか? なんだかんだテレビ出たことも何回かありますし」
「へえ。すげーんだな、あいつ」

となると──尚のこと。
無理をしているのではないかと思ってしまう。

(ヨーコさん曰く、まだ完治してねーそうだしなあ)

ヒズミの我が身を省みないっぷりも大概だったが、シキミもなかなかどうしてその気があるらしい。思えばベルティーユ教授も無茶苦茶の甚だしいひとであった。オンナノコというのは得てしてそういう生き物なのだろうか。

(……いや、あいつらが特殊なんだろうな)

そんなことを考えながら。

サイタマはステージの脇に取りつけられた大型の液晶に目をやった。そこにデジタル表示で映し出されている時刻は、開演のちょうど二十分前を告げていた。