Pretty Poison Pandemic | ナノ





ヒーローズ・ロック・フェスティバル。

広大な海浜砂州自然公園にて開催されるこの一大イベントの最大の魅力は、三つのステージで展開される熱いパフォーマンス。もっとも大きなメイン・ステージの“タイタン”では有名アーティストのライブや人気ヒーローによるトークショーなど、大興奮確実の演目が目白押しだ。サブ・ステージの“カリスト”と“エウロパ”でも、新進気鋭のロック・ミュージシャンたちによる白熱の演奏が君たちを熱狂の渦に連れていってくれるだろう。

それだけではない。会場内のフリーエリアには、有名店の出張屋台が数えきれないほど並んでいる。腹が減っては戦はできぬ。空腹を満たし、しっかり水分も摂って、万全の状態で暴れてほしい。ゴミは各自で持ち帰るか、所定のダスト・ボックスに捨ててくれ。もちろん分別を忘れずに。

そのほかにも遊戯アトラクション、ラジオ生放送ブース、グッズ販売所も設けられている。Tシャツやマフラータオルなど様々な当フェス限定商品が多数販売されているぞ。余すところなくチェックしてひとつたりとも見逃すな!

それでは、諸君らの健闘を祈る。



──以上、パンフレットの煽り文より抜粋。



「すげー規模だなあ。オラわくわくすっぞ」

備えつけのベンチに座って入場時に係員から渡されたその冊子をじっくり読み込みながら、ヒズミは誰にともなく呟いた。風に煽られて飛んでいきそうになる麦わら帽子を慌てて押さえて、下に押し込めて隠している白い髪を誰かに目撃されていないかと周囲を窺った。

現在ヒズミのいるフリーエリア──入場券を持たずとも出入り可能なその広場は、行き交う人々でごった返している。

友人同士と思しきグループで連れ立って歩いている若者もいれば、楽しそうにはしゃいでいるカップルもいて、親子連れも少なくない。ひとりで歩いている男女の姿も見受けられる。開演までまだ二時間以上もあるというのにこの有様だ。これからまたどんどん増えていくのだろう。なるべく衆目を避けて歩かねばならないヒズミにとってそれはぞっとしない話ではあったが、このごみごみした空気感こそがロックフェスの醍醐味なのだ。気分の高揚を抑えられるはずもない。

(……ジェノスくん、まだかな)

待ち合わせの時間を既に五分ほど過ぎている。場所は間違っていないはずなのだが、待ち人がやってくる気配は一向になかった。なにかトラブルでもあったのかなあ、と考えながら、ヒズミはパンフレットを畳んで隣に置いていた軽食に手をつけた。

丼の形をしたプラスチック製のパックには白飯が詰められ、焼いた牛タンとキャベツの千切りが乗っている。その上にたっぷりとかけられたにんにく入りの塩ダレが食欲をそそる香りを振りまいていた。たいへんに美味そうではあるが、二十歳を過ぎた女子が朝食とするには少し重たすぎるメニューであるような気がしないでもない。

「いっただっきまーす」

行儀よく手を合わせて食事にありつこうとしたヒズミの頭上に──ふと影が落ちた。

顔を上げる。
見知らぬ若い男が立っていた。

黒いタンクトップから伸びる腕は筋肉質で、背も高く、全体的にがっしりした体型だった。ハーフリムのサングラスをかけていて、レンズの色が濃いために表情を窺うことはできなかったが、丼を持ったまま固まっているヒズミを見下ろして凝視しているのは明らかだった。

見た目、完全にちんぴらである。
威圧感が半端ない。

「待たせたな」
「ワワワワタシニホンゴワカリマセーン」
「は?」
「ヒトチガイデース」
「思いっきり日本語じゃないか」
「いいいいIch kann nicht japanisch sprechen!」
「……落ち着け。俺だ」

そう言って、男はサングラスを外した。
曇りない白目に囲まれた美しい金の瞳が現れた。

「…………どなた?」
「ジェノスだ」
「えええええええええええええええええええ」

いきなり叫んだヒズミの口を、ジェノスが慌てて塞ぎにかかる。その掌は人肌の温かさで、肉の柔らかさも併せ持ち、普段の彼がぶら下げて歩いている金属質なそれとはまったく異なる感触だった。

「大声を出すな! 静かにしろ!」
「えっあっすみませんごめんなさいっていうかいやでもだって腕が肌色だし白目が白いしなんで? なんで?」

腕が肌色で白目が白いのはよくよく考えるまでもなく人間として当たり前のことなのだが、相手が相手だけに驚きを禁じ得ない。すっかり取り乱しているヒズミの隣に腰を下ろして、ジェノスは再びサングラスを装着した。

「教授に頼んだ。ヒズミとロックフェスに行くから、俺がサイボーグだとバレないよう偽装用パーツを作ってほしいと」
「……“準備”ってこういうことだったのか」
「そういうことだ」

そういうことで──こういうことだったのか。

ヒズミは口をぽかんと開けたまま、普段と違うジェノスの全身を改めてしげしげと眺めた。髪型と顔の造りは変化していないが、それでも雰囲気はまるで違う。そこらを歩いている生身の若者となんら大差ない。近代の技術力の目覚ましい発展に圧倒されながら、ヒズミはそこで彼の額に水滴が玉状になって浮いているのに気がついた。

「あれ? 汗かいてる?」
「……教授が協会の技術者や優秀な医師たちとチームを組んで研究開発している義肢を借り受けた──というか、実動テストの被験体に駆り出された」
「義肢?」
「病気や事故で肉体の一部を失った患者が、常人と同じ生活を送れるようにというコンセプトで製作中の、極めて精密な人体のレプリカだそうだ。従来の義肢よりも触覚がとくに優れていて、触れた対象の温冷を感じることもできる。老廃物を排出するための汗腺もある。戦闘能力を落とすわけにはいかないから、交換は一部だけに留めてあるが」
「パーツとっかえたってこと? 手からビームとか出せなくなったの?」

ヒズミの問いに、ジェノスは黙って掌を翳して見せた。その中心がカメラのレンズ・カバーのように回転しながら開いて、見慣れた砲口が現れた。機械で構成されていた元来の手に空いていたのと同じ空洞だったが、精巧に再現された“人間の手”にぽっかりとそんな穴が口を開けているのは、ヒズミの目には余計に鮮烈だった。

「俺の場合はやや特殊だが、普通人でも訓練を積めば本物の腕と同じように握力の微妙な加減もできるようになるそうだ。今回は感知器官のテストが主で、駆動力に関してはポテンシャルを落とさず維持させてもらっている。しかし──」
「しかし?」
「……ここまで再現率が高いとは思っていなかった。元のボディでも温度や湿度は数値として把握していたから、難なく適応できるだろうと予想していたのだが……甘かった」
「というと、つまり?」

はるか頭上の太陽がじりじりと照りつける炎天下。
地平に陽炎さえ揺らぐ、茹だるような真夏日。

実に四年振りに──身を以て思い知らされたこの感覚。

「死ぬほど暑い……」
「…………………………」
「…………………………」
「……飲みもの買ってこようか?」
「…………すまない」

燃え尽きた矢吹丈のごとくにぐったり前のめりになっている哀愁に満ちたジェノスを──不憫きわまりない溶けかけサイボーグを一刻も早く救ってやるべく、ヒズミは近くの売店へ小走りに駆けていった。

なんとも──いかんとも。
前途多難で先行き不安な幕開けだった。