Pretty Poison Pandemic | ナノ





ついにやってきた──ロックフェス当日。

数ある楽屋のうちのひとつで、シキミは手持ち無沙汰に携帯をいじっていた。今日のために用意された派手な衣装に着替え、ヘアメイクも済んでしまい、やるべきことがなにもなかった。先程まであちこちばたばたと駆け回っていたスタイリストやディレクターの面々も現在は他の出演者の相手をしているようで、シキミひとりに宛がうにしては広すぎる室内は音もなくがらんとしている。三人くらいは並んで使えそうな大きさのドレッサーの前で椅子に深く座って、ひたすらぼーっとしていた。

(挨拶回りも一通りしちゃったしなあ……)

ふう、と息をついて、シキミはペットボトルの烏龍茶で喉を潤した。ごくごくと豪快に半分以上も一気飲みして、グロスが取れたりしていないだろうかと鏡に向かってチェックしていたところに──

「おーっす、シキミ」

軽く右手を挙げながらサイタマが入ってきた。弾かれたようにシキミは立ち上がり、居住まいを正し、深々と礼をした。

「おはようございますっ! 先生!」
「すげーな、その格好でステージ出んの?」
「はい。そうです」
「似合ってんじゃん。かわいいよ」

サイタマが賞賛の言葉を述べた。ツインテールにセットされた黒い髪、化粧によってさらに華々しさを増した幼さの残る顔立ち、赤を基調にアレンジしてアイドル風に拵えられた愛らしいセーラー服──もしもこの姿の彼女がグラビア雑誌の表紙を飾ることがあったなら、世の男性たちは蜜に吸い寄せられる虫のようにふらふらと手に取ってしまうことだろう。

「美少女に拍車が掛かってんな」
「そ、そんな……やめてくださいよう」

照れくさそうに目を逸らして、頬もやや赤らめて、シキミは口を尖らせる。その仕種もまたキュート大盛りチャーミング増し増しで、独り身のサイタマの心にストレートに刺さった。ずきゅん、という効果音がどこからともなくサイタマの耳に聞こえた気がした。

「そ、そういえば、先生おひとりなんですか? ジェノスさんとヒズミさんは……」
「あいつらは別行動だよ。俺はともかく、ジェノスもヒズミも関係者用のチケット持ってたって警備員に止められるだろ絶対」

サイタマの言は至極もっともだった。白髪の女性にサイボーグの青年──どうしたって目立ってしまうだろう。世間に顔の知れているふたりなのだから──というか、ジェノスに至っては主催の一端を担っているヒーロー協会に所属している男なのだから、そのうえ今回のロックフェスへの出演依頼をにべもなく突っ撥ねているのだから、尚更のこと。

「ジェノスのヤツ、昨日の夜に“準備するから”って出てったきりまだ戻ってねーんだ。ヒズミと会場で待ち合わせしてるみてーだけど、俺が出てくるときヒズミまだ寝てたくさかったからな……本当に来んのかな、あいつら」
「準備って……いったい?」
「さあ? なにしてんだか全然わかんねえ。まあ、あいつなりになんか考えてんだろ。ヒズミがロックフェス無事に楽しめるように……」

言いかけて、サイタマは途端に苦々しげな表情を浮かべた。シキミが小首を傾げる。

「どうかしましたか?」
「あー、いや……ジェノスとヒズミなあ……」
「ジェノスさんとヒズミさんが?」
「………………こないだ……抱き合って……キスしようとしててな……」
「うえっ!?」

驚愕のあまり思わず品のない声が出た。

「えっ!? え!? マジで……あ、いや、本当ですか!?」
「夕飯にするから寝てるヒズミ起こしてきてくれってジェノスに頼んで、でもいつまで経っても戻ってこねーから様子を見に行ったら……玄関で……壁際でさ……なんか……こう……アレしてやがったんだよ」

言葉尻がこれ以上ないほど濁っていた。意図的でなかったとはいえ現場を目撃してしまった動揺と、ふたりの進展を邪魔してしまった罪悪感とに苛まれているようだった。

誰よりも強靭な肉体を保持しているとはいえ。
サイタマも人の子なのである。

「だからもうここんとこ本当クソ気まずくてさ……」
「そ……それは……ご愁傷様です」

知らなかった。
ロックフェスのミーティングやリハーサルに追われてサイタマのもとを訪ねられずにいたこの数日間のあいだにそんなことになっていたとは。

「ま、まあでも、これでじれったい状況からは脱却できたんじゃないでしょうか? 先生おっしゃってたじゃないですか。あのふたりがくっついてジェノスさんが出て行ってくれれば万事解決、みたいなこと」
「それはそうなんだけどよ……でもあいつら実際どうなってんだかわかんねーんだよ」
「え? めでたく晴れてくっついたのでは……」
「ジェノスからヒズミへのスキンシップは露骨に増えたんだけどよ……ヒズミがものすごい避けてんだよ……照れてんだかなんだか知らねーけどさ……なんかもうジェノスが可哀想すぎて見てられなくてだな……」
「ああ……」

納得せざるを得なかった。

ヒズミはどうにも他人との距離の取り方がうまくない。というか壊滅的に下手である。それくらいは付き合いの短いシキミでもなんとなく察している。必要以上に近づかれると脱兎の如く離れていく。これまでの人生において、そういう経験がなかったのだろう──心を開く機会に恵まれなかったのだろう。

あくまで憶測の域を出ないけれど。

「あたしジェノスさんなら大丈夫だと思いますよ」
「……豪速球しか投げらんねーヤツなのに?」
「だからいいんじゃないですか。ヒズミさんみたいに深く考えすぎる人には、それくらい真っすぐすぎる方が効果的なんじゃないでしょうか」
「根拠は?」
「女のカンですっ!」

こうも堂々と胸を張られてはサイタマも頷くしかなかった。

「めんどくさくなくなるならなんでもいいよ、俺は……」
「もっと興味持ってあげてくださいよ」
「自分が寂しい生活してんのに、他人がリア充への階段を上ってくの優しく見守れるわけねーだろ」
「さ……寂しい!? 先生がですか!? すみませんっ! あたしってば全然これっぽっちも気づかなくて! あたしでよければお聞きしますのでっ! なんでも言ってください!」
「いや……そういうアレじゃなくてだな」
「遠慮はいりません! 先生のためならなんでもします!」

目を輝かせて──そんなことを臆面もなく言う。
この少女は果たして自分がどれほど異性にとって魅力的な風貌を持っているのか理解しているのだろうか、とサイタマは思う。

「あたし先生のためならなんでもできますからっ!」
「……お前さ、誰でもかんでも適当にそういうこと言うもんじゃねーぞ」
「誰にでもなんて言いません! 先生だけです!」
「……………………」

だめだコイツ。
天然だ。

サイタマはシキミのその無自覚さに、無防備さに眩暈すら覚えるのだった。