Pretty Poison Pandemic | ナノ





果たしてサイタマは不在だったので、シキミは彼の“お隣さん”の部屋に招かれる運びとなった。彼女いわく「帰ってきたら物音でわかるから、それまでここで待ってていいよ」とのことだった。

リビングに通されて、適当に座るよう勧められた。シキミは言われるがまま中央に設置されたローテーブルの前に正座して、そわそわと落ち着かない様子で視線をさまよわせている。

「粗茶ですが」

キッチンからお隣さんが出てきて、シキミの前にグラスを置いた。漂ってくる甘い香りから察するに、どうやら紅茶のようだ。リットルのパックでスーパーやコンビニなどに売っている、清涼飲料水にカテゴライズされる類の、本場の人間が飲んだらこんなもんは紅茶じゃねえと罵倒されてスコッチの瓶でぶん殴られそうな代物のようだ。

しかしシキミは本場の人間ではないうえに、緊張で喉が干上がっていたので、それは極上の──さながら神の恵みのように感ぜられた。

「ありがとうございます、……えっと」
「あ、そういえば自己紹介してなかったっけ。私はヒズミ」
「ヒズミさん」

それが──噂の“生存者”の名前か。
感慨深いものがあった。

「しかし……素性はバレバレなのに、変なところだけ報道規制かかってるってのも、面倒な話だな」

気怠そうにそう言って、お隣さん──ヒズミはテーブルの上に転がされていた煙草の箱を掴んだ。流れるような動作で一本を抜き取って、口にくわえかけたところで、はたとシキミを見て手を止めた。

「あ、ごめん。ついつい癖で」
「いえ、お気になさらず」
「いやいや、学生さんの前じゃあね」

学生さん。
そう──学生さん。
シキミが今その身に纏っているのは紺のブレザーに、チェック柄のプリーツ・スカート──彼女が通っている高校の制服なのだった。

「大丈夫です。同居人も吸っていますので」
「え? 彼氏かなんか?」
「ち、違います。保護者です」
「ふうん」

適当に相槌て、ヒズミは今度こそ煙草に火をつけた。ライターもマッチも使用せず、親指を先端に押しつけただけで、そこから紫煙が立ち上りはじめる。
子供騙しの手品などでは──ないのだろう。
種も仕掛けもないのだろう。

「それが、あなたの……“能力”ですか?」
「あ? あー、うん。そうそう。発電体質なんだって。帯電体質、蓄電体質、放電体質……いろいろ呼称はあるみたいだけど、小難しいことは知らん。わかりやすく言うなら学園都市の第三位、常盤台中学のエース的なアレだとミサカはミサカは説明してみたり」
「それでわかりやすいのは、ごく一部の人だけだと思いますが……」

例に挙げられた、とある彼女の最大電圧は確か十億ボルトだったか。
それと同等だというのなら──フィクションに描かれた超常現象と同程度の潜在能力を秘めているというのなら、ぞっとしない話ではある。

「あの、少し不躾な質問なのですが」
「なんでございましょう?」
「もし不快でなければ──あの“地下研究所爆発事故”から、今日に至るまで、あなたはどこにいて、なにをしていたのか、教えていただきたいのです」
「……あー、それは……」

ヒズミが言い澱んで、くわえ煙草のまま鼻の頭を掻いた。
慌ててシキミがフォローに入る。

「あ、こ、答えにくいことなら、口止めされているとかなら、大丈夫です。ちょっと気になっただけですから。すみません、配慮が足りなくて」
「いや、そういうわけでもねーんだけど。ちょっと複雑っていうか。混み入った事情があってね。話が長くなるかも」
「それは構いません」
「なるだけ簡潔に説明するなら、事故に巻き込まれて、ヒーローに──あ、いや、当時はまだヒーローじゃなかったんだっけ。まあいいや。とりあえず正義の味方ふたりに救出されて、でもなんか“後遺症”で変な能力に目覚めちゃって、協会お墨付きのお医者さんに診てもらって、いろいろ検査とかしながらその正義の味方の人たちとも交流を深めて、そしたら匿われてた病院がテロリスト集団に襲撃されて、私はたまたま外出してたから無事だったんだけどそれからすぐ闇討ちに遭って大怪我して、正義の味方その一もボッコボコにやられて、被害をこれ以上増やさないために自首しようと思ったらその道中で蜘蛛の化け物と対決することになって、そいつぶっ倒して、そのときにちょっと本気出したらその影響で髪がわさーって伸びて、なんかついでに体もおかしくなったらしくて、ほとんど協会に勾留される形で検査漬けの生活に戻った。それが一週間ちょい前くらいかな」

短くなった煙草を灰皿で揉み消して、間髪入れずに次の一本に移るヒズミ。随分とヘビースモーカーなようだ。もはやチェーンスモーカーといってもいいかもしれない。

「それで、その一連の事件の真犯人が協会の幹部さんだったらしくて。主治医さんと正義の味方その二がタッグ組んでやっつけてくれて、そいつは逮捕されたみたい。地下研究所はそいつが独断で、自分の思想と理想のみに従って単独で造った施設だったそうだよ。協会はそいつ一人を悪者にして、槍玉に上げて、市民の義憤と反感をそいつだけに集めることで、機関全体の信頼度が落ちるのを防ごうとしたんだろうって主治医さんは言ってた。その目論見が成功してるのかどうかはわかんないけどね。ほら、うちテレビないから。ニュース見れないんだよね」

確かに、この部屋にはテレビは置いていない。パソコンもない。スチールパイプ製のシンプルなシングルベッドと、ローテーブルと、壁掛け時計と、シルバーの骨組みの棚くらいしかない。インテリア専門店に展示されているモデル・ルームのように、生活感に欠けていた。こんなにも質量の少ない空間で、年頃の女性がひとりで暮らすというのは、とても寂しいのではないかとシキミは思った。

「巨大隕石が落ちてくるって騒ぎになった三日前、私は主治医さんにいくつかアドバイスをもらって出動した。実際うまくいって、主治医さんが協会の偉い人たちに“彼女はもう大丈夫だ。自分の能力を自分で制御できる。協会への敵意もない。生命維持のため継続して診察する必要はあるが、この私が担当するのだから概ね問題ない。経過はきちんと報告するのでご心配なさらないよう。つまり我々がこんな狭苦しいところに甘んじて軟禁されておく理由はなくなったわけである。ということで、ごきげんよう。あなたがたの更なる発展と、変わらぬ息災を祈る”って進言──っていうか、一方的に宣言して、私を外に出してくれた。行く宛てのなかった私のために、もともと正義の味方その一とその二が住んでたこのゴースト・タウンのマンションまるごとその日のうちに買い上げて、部屋を貸してくれた。かくして私は自由の身となったのでした。めでたしめでたし」

一気に喋り終えて、ヒズミは「舌が疲れた」と煙を吐いた。

「ここまでで、なにか質問は?」
「え、えっと……特には」
「それなら今日はここまで。次回までにレポートまとめて提出するように」
「はあ……講義、ありがとうございました」

なんというか──思っていたより壮絶だった。
シキミは自分で質問しておきながらなにも言えず、間を保たすようにグラスの中の冷えた紅茶をちびちびと飲んだ。

ちらりと横目で時計を確認すると、針はちょうど午後四時半を指していた。