Pretty Poison Pandemic | ナノ





「いや、お前も行くつったってさ」

サイタマが目を瞬かせながら突っ込みを入れてきた。

「お前も大概すげー目立つぞ? その腕とかどうすんだよ。バレバレだろ」
「そうですよ。会場には協会の人間がたくさんいるでしょうし、あっという間に見つかっちゃうと思いますけど……出演を断っておきながら参加はするなんて、多分いい顔されませんよ」
「それくらいは考えてます、先生。手は打っておきます。……それで、どうするんだ、ヒズミ」
「うえっ?」
「お前が行くなら俺もついていく。どうするんだ」

突然の展開に取り残されていたヒズミを、ジェノスがほとんど睨むような目つきで射抜いている。ヒズミはあたふたと救いを求めるようにサイタマやシキミを窺ったが、二人とも助け船を出す気はないようだった。ヒズミが自分の口で回答を述べるのを待っていた。

「どうするんだ」
「………………………………行きたい」
「わかった。そのつもりで“準備”しておく」
「いや、ていうか、わざわざジェノスくんにそこまでしてもらわなくても大丈夫だと思」

言い募ろうとしたヒズミの台詞はジェノスの鋭い眼光によって遮られた。
これはもうなにを言っても無駄そうだ。ヒズミは諦めて彼のお守りを受け入れることにした──ありがたく好意に甘えておくことにした。



……このときはまだ、誰も想像すらしていなかった。
平穏を取り戻すために企画されたこの大祭が、不可思議な大事件の舞台となることなど──

このときはまだ、誰も予期すらしていなかった。



「……はい。そうです。謝礼の方はしっかり……は? いらない? いや、それはさすがに……はい、……条件ですか? まあ、可能な範囲であれば……はい……そうですか。……わかりました。はい。それでは、失礼します」

通話を切って、ジェノスは携帯電話をポケットに捻じ込んだ。見上げた空は既に暮れ始めている。今頃シキミは協会支部でロックフェス関係者とのミーティングに精を出しているのだろう。大衆の前に出て行って笑いを取ったり愛想を振りまいたりするなどジェノスには耐え難い屈辱のように思われるのだが、シキミはそうではないらしい。

自分がステージに立つことで喜ぶ人がいるなら──という精神なのだろう。実際インターネットの掲示板などでは深海王との戦闘で負傷したシキミを心配する声が上がっている。上がりまくっている。誰も彼もが女子高生ヒーローという偶像に夢を見て、憧れ、胸ときめかせているようだった。

この分では、シキミ目当てにロックフェスへ足を運ぶ人間も相当数いるのだろう。ますますヒズミを放ってはおけないな──とジェノスは心中で兜の緒を引き締めた。ロックフェスを合戦場かなにかと勘違いしているんじゃなかろうかといった真剣な面持ちだった。

“依頼”の電話のためにベランダへ出ていたジェノスが室内へ戻ると、果たして家主であるサイタマはキッチンで夕飯の製作中だった。先日たまたま安く手に入ったという昆布を菜箸で鍋に沈めながら、ご機嫌に鼻唄など口ずさんでいる。

「俺も手伝います、先生」
「あ? いやいいよ。たまには俺がやるよ」
「しかし先生の手を煩わせるわけには」
「いいって言ってんだろ。それよりお前ヒズミの様子見てこいよ。あいつケーキ食ってシキミ見送ってから“頭痛がする”つって帰ったきり音沙汰ねーだろ。夕飯どうすんのかも聞かなきゃいけねーし」
「……そうですね」

そうなのだった。
体調不良を理由に自分の棲家へ戻っていって、ヒズミは今どうしているのだろう。寝ているのだろうか。そもそも本当に頭が痛かったのかどうかすら怪しんでしまう──自分と同じ空間にいるのが心苦しくて、顔を合わせるのが気まずくて逃げたのではないかと勘繰ってしまう。そんなふうに自分勝手に彼女を疑ってしまう自分に、ジェノスはどうしようもなく嫌気が差した。

「早く行ってこいよ。あいつがメシ食うのか食わねーのかで作る量も変わってくるんだからさ」
「わかりました。行ってきます」

サイタマに急かされて、ジェノスは右隣のヒズミの部屋を訪れた。施錠されていなかったので、合鍵を使用するまでもなかった。なんて不用心な──という腹立たしさを抑え、玄関へ足を踏み入れる。照明はすべて落とされているらしく、室内は薄暗かった。眠っているのか、とジェノスはなるべく足音を立てないように短い廊下を進んでリビングを覗き込み──電気もつけずにテレビを見ているヒズミの姿を視界に捉えた。

フローリングに直に胡坐をかいて煙草をふかしながら、猫背でテレビ画面を凝視している。ジェノスが来たのに気づいていないようで、画面から目を離す気配はない。声をかけようとして──その前にテレビで流れている映像をしかと見て、頭を殴りつけられたような衝撃に言葉を失った。

そこに映し出されていたのは、巨大なモンスターがビル群を薙ぎ倒しながら闊歩している現実離れした光景だった。コンピュータ・グラフィックを駆使した最新の特撮怪獣映画──ではない。画面の中で化け物と戦っているのは、他ならぬヒズミだったのだから。

黒いバイクに跨って怪獣の猛烈な攻撃の隙間を疾走しながら、自らの放つ電撃で応戦している。先日の海人族だ──とジェノスは直感して、上空から撮影されたらしいその映像についつい見入ってしまう。左上に“謎の異能力者が巨大怪獣と交戦した映像を入手”というテロップが躍っていることから察するに、ニュース番組の目玉コンテンツとして放送されているものなのだろう。

怪獣が振り回した尻尾の直撃を受けて、バイクごとヒズミがすっ飛ばされた。ビルの中に突っ込んで、彼女の姿がカメラの前から消えた。雨の中にもうもうと広がる土煙が、その威力のすさまじさを視聴者に伝えている。

「…………ヒズミ」

名を呼ばれて、ヒズミはやっと反応した。しかしこちらを振り返ることはしない。相変わらずテレビと向き合った姿勢のまま、言葉だけ返してきた。

「ジェノスくん?」
「これは、一体どういうことだ」
「……フリーの記者団体がヘリコプター飛ばして撮影してたんだって。それをヒーロー協会が買い取って、報道各社に流したって……質のいい映像だったとは聞いてたけど、本当によく撮れてんなあ。映画みてえ」
「なぜお前がそんなことを知っている」
「協会の人から事前にリークしてもらってた」
「……俺は聞いていない」
「言ってないからね」
「ヒズミ」

怒気さえ含んだジェノスの静かな声に、ヒズミは軽口を止めた。しかしそれでも──彼女はジェノスに背中を向けたままだ。

「どうして隠していた」
「……隠してたわけじゃねーよ。別に言わなきゃいけないことじゃ……知らなくても困ることじゃねーだろ? ジェノスくんに責任とか関係があることじゃねーんだから」
「関係なら、大いにある」
「そんなこと──」
「そうやってまた独りで抱え込んで、お前が泣くからだ」

ヒズミがくわえていた煙草の灰が床に落ちた。

「……ジェノスくん」
「頼むから心配くらいさせてくれ。迷惑くらいかけてくれ。俺は──お前がそうやってなんでもかんでも背負い込んで、平気な振りをしながら潰されていくところなんて見たくない。だから隠すな。取り繕うな。苦しいときは苦しいと、痛いときは痛いと──怖いときは怖いと、ちゃんと言ってくれ」

淡々としているヒズミよりもよっぽど息の詰まりそうな、絞り出すように紡がれたジェノスの言葉に──ヒズミは。

ゆっくりと振り返った。