Pretty Poison Pandemic | ナノ




「今晩メニューどうしましょうか」
「どうしようなあ。お、野菜が安い。買っていこう」
「そうですね。野菜を食べるのは大事です」
「それヒズミにも言ってやってくれ。あいつ食わねーんだ、野菜」
「そうなんですか? 好き嫌いはよくないですよ」
「だよな。あいつすげー偏食なんだよ……“短い人生なんだからうまいものだけ食べていたい”とか“葉っぱと根っこなんてウサギの餌じゃねーか”とか屁理屈こねやがってさ。カレーとか作っても人参とかじゃがいもとかことごとく除けんだよ。まあ無理矢理ジェノスのヤツが口に突っ込んでんだけど」
「……目に浮かびます、その光景」

そこそこ人で賑わっているスーパーの片隅で、サイタマとシキミはそんな会話を交わしていた。店内にいる客の八割は主婦だろう。並べられている生鮮食材の良し悪しを厳しく選別する彼女たちの眼差しは百戦錬磨の猛者のように鋭い。これくらいの貫禄がないと家庭は守れない、ということだろうか。

「バーニャカウダとかなら食べやすいのかな……」
「なにそれ? 攻撃魔法? ドラクエ?」
「違います。ドラクエでもFFでもテイルズでもウィザードリィでもないです。ガーリックとかオリーブオイルとかを混ぜたディップに野菜を浸して食べるイタリア料理です」
「ウィザードリィってお前。コアすぎだろ」
「ヨーコさんがゲーマーなんです。あ、でもそういえばバーニャカウダって冬に食べるものなんだったっけ……専用のポットがないとソース温められないし……うーん」

顎に手を当てて考え込むシキミに、サイタマは感心したように嘆息を洩らしている。

「はー、本当に料理できるんだな、お前」
「好きですから。おいしいもの食べると元気が出ます」
「そうだな」
「今日は腕によりをかけて作ります!」
「期待してるぜ。でも病み上がりなんだから、無理すんなよ」
「はいっ!」

太陽のように笑って、シキミは大きく頷いてみせた。委細がどうであれ、サイタマに認めてもらえたという事実が純粋に嬉しくて仕方ないようだった。その底抜けの無邪気さは、どこまでも“普通の女子高生”にしか見えなくて──だからこそ、サイタマは深読みせずにはいられない。

病院で、ベルティーユと話した内容を思い返す。



「サイタマ氏、君も深海王とシキミが戦っている現場を目撃したのだろう」
「ああ。ちらっとだけど、見てた」
「彼女の“豹変”は、目の当たりにしたか?」
「……ああ。一瞬だったけど」
「君は“あれ”をどう思う?」
「どう思う……って」
「彼女の体から検出されたのは、身体強化のための薬剤などではなかった。毒だった。猛毒だったのだよ、サイタマ氏。人体に常に起こっている細胞分裂や壊れた筋組織の回復などの“変化”を過剰に促進させて自壊させる類の猛毒だったのだよ。あんなものを取り込んで生きていられるはずがないんだ。ごくごく少量だったがね。それでも──あのヒズミですら、落雷の直撃を受けてなお生きているヒズミですら、同じ成分を同じだけ体内に摂取したら呆気なく命を落とすだろう」
「……………………」
「君は知っているのかい? 聞いているのかい? 彼女が一体どういう人間なのか──いや、彼女が“人間なのかどうか”──」
「……いや。昔いろいろあったってのは聞いてるけど、具体的なことは知らねーな」
「自身の師にすら、隠さねばならない経緯があるということか──ふむ。これは看過できそうにないね。彼女は常軌を逸している。早急に解析して、分析して、対策を練らなければならない。対抗策を編み出さなければならない。サイタマ氏も協力してくれるかい?」
「俺にできることなんてあんのか? あんたみたいに専門知識なんてねーぞ。ていうかただのバカだぞ、俺」
「まずは彼女が隠していることを聞き出してくれればいい。彼女が過去になにか──我々には思いもよらない壮絶な経験をしているであろうことは容易に想像がつく。それを断片でも引き出すことができれば、ヒントにはなるだろう。現時点でもっともそれができる可能性が高いのは、サイタマ氏、君だ。是非とも協力してほしい。まだ若く、人形のようにかわいい彼女を長生きさせたいのなら──ね」



彼女を長生きさせたいのなら──
と、ベルティーユは言った。
つまり。
ベルティーユが自分に頭を下げてまで情報を得て、そして早いうちになんらかの手を打たなければ、彼女の命は長くないということか。

(全然そんなふうには見えねーんだけどな──)

隣でじゃがいもの袋詰めを物色しているシキミには、これといって変わったところは見られない。顔色が悪いわけでもなく、足取りがふらふらしているわけでもなく、痩せすぎているわけでもなく、かといって肥満体型でもなく、胸部の膨らみは……まだ成長途中のようだけれど、顔立ちも人目を惹きつけるものがあって、睫毛も長くて、薄い桃色の小さな唇はやや厚めで──

「…………先生?」
「おっふ!? どどどうした!?」
「あたしの顔になにかついてますか?」

なんの疑いもない眼差しで、ちょこん、と首を傾げるシキミ。サイタマは我に返って、ぶんぶんと首を横に振った。

「なんでもないなんでもないなんでもない」
「そうですか? なにか考えごとをされていたようでしたが……」
「いや腹が減ったなーって思って! そんだけ!」

強引なごまかしだったが、シキミは「そうですか! じゃあたくさん作らないとですね!」と屈託のない満面の笑みで、どうやら納得したらしかった。素直すぎる。猜疑心というものがないのだろうか、この若人には。教授が語ったような“壮絶な経験”をしているとは、とても思えない。

「……そんなサラッと聞けねーよ、教授……」
「なにか言いました?」
「………………なんでもない」

こんもりと食材が山になった籠を乗せたカートを押して、サイタマとシキミはレジへ向かった。なるべく空いているレジを選んで並んだ。若い女性店員が値段を読み上げながら商品をスキャンしていくのを、サイタマはぼんやりと締まりのない顔で眺めていた。

「……以上で四千八百二十八円になります。キャンペーン中ですので、割引させていただきますね!」
「え? キャンペーンですか?」

財布から紙幣を取り出そうとしていたシキミが訊ねると、店員は「はい、こちらです!」とレジスターの横に貼られていた藁半紙のチラシを指し示した。

そこには手書きの文字で“夏のラブラブ割引! ご夫婦もしくはカップルでご来店のお客様が対象!”と記載されていた。

「……ら、ラブラブ割引……」
「はい! ですので、お会計から五パーセント引かせていただきます!」
「…………どうも」

まさか“カップルじゃないです師弟関係です”などと要らない訂正をするわけにもいかず、サイタマはそのままさっさと会計を済ませてしまった。勘違いされてしまったうえ、自分がおろおろしている間にサイタマに支払いをさせてしまったため、シキミはひたすら申し訳なさそうにしている。

持参のエコバッグに買ったものを詰め替えながら、二人を取り巻く気まずい空気をどうにかしようとシキミはできるだけ明るい口調を努めて雑談を切り出した。

「よ、世の中いろんなキャンペーンがあるんですねっ!」
「……そうだな」
「企業努力は大事ですよねっ!」
「……そうだな」
「え、えっと、サイタマ先生は彼女とかいないんですかっ?」
「…………ここ数年いない」
「み……皆さん見る目がないんですねっ!」
「いや……こんなハゲと好き好んで付き合わねーだろ」
「そんなことありませんっ! あたしは先生かっこいいと思いますっ!」
「…………そうか」
「先生はとても素敵なお方ですからっ!」

喋れば喋るほど墓穴を掘り進んでいるのに、果たしてシキミは気づいているのだろうか。彼女は耳まで真っ赤にしている。そのうち熱暴走して頭から煙でも出てくるんじゃないか、とサイタマは半ば本気で思った。

この如何ともよろしくない流れを打破してくれたのは、出口の自動ドアに貼り出されていたポスターだった。夜空に咲く大輪の花火の写真をバックに“納涼花火大会”というロゴが躍っている。日付を見てみれば、なんと明日だった。

「あー、花火大会……今年もやるんだな」
「そういえば、毎年この時期ですね」
「行くのか? 友達とかと」
「いえ。入院してたし、みんな遠慮して誘ってもくれませんでしたよ」

冗談めかしてシキミは肩をすくめた。両手にビニール袋を提げたサイタマはふうん、と適当に相槌て、そして自分より頭ひとつ低い位置にあるシキミの目をじっと見た。

「行くか」
「え? 行くって?」
「花火大会」
「えっ」
「いや、俺も花火なんて最近見てねーなと思ってさ……用事があるならいいんだけど」
「とんでもないですっ! 行きますっ! 嬉しいですっ!」

興奮して身を乗り出すシキミにサイタマは思わず苦笑してしまう。その反応にシキミは一瞬きょとんとして、そして自分が少々ばかり張り切りすぎたことを察し、より一層その愛嬌ある顔を紅潮させた。羞恥に耐えきれず、シキミは両手で顔を覆い隠した。

「すみません! すみませんちょっとテンション上がりすぎちゃって!」
「……お前ってさ」
「は、はい?」
「かわいいよなあ」
「か……っかかかかわ……!?」

もはや日本語ですらなくなっていた。音もなく滔々と暮れていく夕焼け空と、慌てふためく目の前のシキミと──どっちの方が赤いかな、と仕様もないことを考えて、サイタマの口元は自然と綻んでいた。